いつ頃からであるか自分でもよくわからないけれど、日に日にピアノから遠ざかるようになり、弾きたいという意欲もほとんど失って、ピアノに触れない生活がすっかり定着してしまいました。
もちろんピアノが好きなことはいうまでもないものの、自分の演奏技量となると如何ともしがたいものがあり、譜読みをするのも一苦労であるし、そもそも生来の怠け者でコツコツ努力を積み上げるタイプでもないから、こんな自分はピアノを弾くことには向いていないのだ、、と、ようやく悟ったということかもしれません。
その辺のことは言い出したらキリがないからこれぐらいにして、ともかく弾かないでいても、不思議なことに弾きたくてウズウズするというようなこともなく時間が流れていったというか、要するに弾かないことに何のガマンも苦痛も伴わず、むしろ涼しくさえ思えたことは、裏を返せば自分にとっては弾かないことのほうが結局はムリがないことであるような、、そんな感じでした。
よって我が家の2台のピアノは音を出す機会もなくなり、いらい沈黙するに至りました。
しかし、あまりにそれが続くようではピアノに対して申し訳ない気がするから、たまにちょっと触ってみるけれど、もう指はすっかり運動不足になっているし、ピアノも寝グセがついている。
さらには、とりあえず暗譜のできていたようなちょっとした曲でもあちこち忘れて虫喰いのようになっており、あー、もう本当にダメだなぁ!と思いました。
こうなると、いよいよ弾くということから遠退いてしまうわけですが、弾きたいと思わなくなったから弾かないだけで、とくだんの悲壮感もありません。
そりゃあ、めざましく弾けていたような人なら惜しいだなんだと感慨もあるかもしれないけれど、私なんぞでは残念ということさえおこがましいから、ごく自然の成り行きですんなり受け入れができた気がします。
そういうわけだからピアノのコンディションが良い筈もなく、だらしない状態へ突入していくのは当然の成り行きです。
ほどほどに弾いて、ほどほどに調整するというのが本来であるのに、弾かないから調整もとりあえず優先順位から外れてそのままになってしまう、、というか、弾かないでも調律だけはやっておくべきというのは、理屈ではわかっていても、いざそうなってみるとなかなかそのようにもならないものです。
と、そうこうしているうち、さすがに楽器に対してすまないような気がいよいよ募ってくるに及んで、自分の都合で弾かないのは勝手だとしても、ピアノ好きの端くれとして自宅内にピアノが存在している以上、やはりそれなりの責任はあるような気がして、ついに自室のアップライトを調律していただくことになりました。
依頼の連絡を入れると、久しぶりだったけれど快く応じていただき、調律と軽めの整音をお願いして3時間強の作業でしたが、結果はすばらしく正解でした。
あちらこちらに乱れや緩みが散らばっていたのが収束しただけでなく、生命が吹き込まれたようで、ゴロゴロ寝てだらしなく過ごしているのと、身なりを整えて出かける時とでは、同じ人でもずいぶん違うようなものでしょう。
自室のアップライトはBECHSTEINのMillenium116Kで、2018年だったかこのモデルにはじめて触れたとき、その音のピュアな美しさ、サイズを超えて抜けるような鳴り、上質なタッチなど、まさか116cmの小さめのアップライトとは思えぬものがあって衝撃を受け、とうとう購入に踏み切ったものでした。
購入に際し、2台のうちから「選定」というのを経験したものこれがはじめてでした。
そんな出会いの頃のトキメキもどこへやら、すっかり放置してしまっていたけれど、久しぶりに手を入れ整えてもらうと、音だけでなく、指先に振動が直に伝わってくる感触などがたとえようもなく絶妙で、この2日ほど少し音を出す程度ですが、最近にしては触れるようになりました。
過去に私自身がさんざん繰り返してきたことですが、、、やはり調整は大事だなぁ!と反省を込めながら思っているところです。









