価値はいずこ

前回プレイエルの一件では、手に入れるわけでもないのに意味もなくザワついて、つい愚にもつかないことに時間を費やしてしまいました。
結果、あれこれ動画などを拾い見したりしましたが、現代のピアノの音に慣れた耳には、やはり音の性質や響きがずいぶん違うらしいことをあらためて感じたところです。

プレイエルに限らず、昔の名品といわれるピアノに共通するのは、楽器としての成り立ちに健やかさがあり、生まれながらのびのびしていて、それが100年前後も経てばさすがに経年加齢による衰えなどはあるとしても、それを差し引いても器は大きく、泰然として音質はまろやか。
言葉にするのは難しいけれど、ごく簡単にいえば、その音はおっとりして、つややかで、ふわっと光が射すような響きと余韻があり、それが人の心にじわりと沁みてくるらしい。

現代のピアノは比類ない設計と精度をもって寸分の隙もなく作られている見事さはあるし、なによりクリアで若々しいけれど、同時に限られたコスト事情などとのせめぎ合いからくる精一杯さというか、ほとんど余力がない感じが否めない。それでいて、パワーや華やかさ、現代的で洗練された雰囲気も併せ持たねばならないなど、そのあたりのやりくりに最新技術が役立てられているのか…どうもハイテクな音に聞こえます。

一方のヴィンテージピアノは、まさにその対極にあるもの。
西洋の古城のような幽玄な美しさと威厳があり、その芳醇な音には寄り添ってくるような親しみさえあるから、ちょっとさわってそれらの音や感触を楽しむこと、さらには工芸品としての価値も備わり目にする楽しみもあり、風流な目的には古いピアノはまさにうってつけだろうと思います。

それでも世の中はいろいろで、ごくありふれた無機質な音のほうを好む向きもあるのは、非常に驚かされるのも事実ですが、それはまさに人それぞれであるし、ひとつには慣れの問題もあるように思われます。

今どきは、手間ひまのかかった料理よりコンビニに売っているもののほうが好き、熟練の技と熱意が吹き込まれた家具よりイケアやニトリの家具のほうが好き、という人もいるのだから(値段は別にしても)、そのうち電子ピアノの音が好きでアコースティックピアノの音は好きじゃない、ヴィンテージピアノなんて触るのもイヤだ!というようなことになるのかも、、、