Eテレのクラシック音楽館、6月1日はペトル・ポペルカ指揮/N響定期公演が3/4ほど、後半残りの30分は「ピアノとともに90年 井上二葉 フォーレを弾く」というもので、きわめて興味深いものでした。
井上二葉さんのお名前は、安川加寿子さん門下として知ってはいたけれど、コンサートに行ったこともなければCDも持っていないから、その演奏を聴くのは初めてでした。
1930年生まれの御歳94歳でステージに立たれるだけでも充分に驚きですが、ご自宅でのインタビューは、その内容も興味深いものであったし、話しぶりもまったく淀みなく、きわめて明晰。
現在も毎朝ピアノの練習を欠かされず、いつも暗譜のフーガで始めるとのこと。
高齢で現役を貫いたピアニストとして、私が真っ先に思い出すところではホルショフスキーですが、彼の盟友だったパブロ・カザルスも、毎日のスタートはチェロではなくピアノでバッハの平均律を弾く事というのを思い出しました。
井上さんは生まれはシドニー、ピアノをはじめられたのはドイツ、その後も帰国と渡欧を繰り返されたようですが、それにはお父上が外交官だったことが関係していたようです。
師となる安川加寿子さん、内田光子さんも外交官の家庭出身で、子供時代をあちらで過ごすのは、日本で修行してから音楽留学するのとは、またひと味もふた味も違ったものがあるだろうと思います。
そしてついには安川加寿子さんと同じくパリでラザール・レヴィの教えを乞うことになり、そこで最も厳しく鍛えられたのがフォーレだったとのこと。
また、子供時代の日本では、ご近所に同世代の矢代秋雄氏がおられて親しくしておられた由、幼いのに楽譜を広げてはフムフムと頷くようなちょっと変わったお子さんだったとか。矢代氏といえば、ボッティチェリの作品で唯一日本に存在する『シモネッタ・ヴェスプッチ』の紹介の中で、父である矢代幸雄氏(美術史家でボッティチェリの研究者)のお名前が出てきて、子供の頃からそういうものに囲まれていたということも、大変な影響があっただろう…というか無いはずがないと思います。
二葉さんの入学祝いに作曲されたという手書きの美しい楽譜も映りました。
番組の流れから、安川加寿子さんの演奏映像もほんの少し出てきましたが、これはかなり驚かされるところがありました。
というのも、子供のころには何度か演奏会に行ったことがあるし、むかしNHKでは折々にその演奏が放送される機会もありましたが、過度な表情を排したサラサラと流麗な、いかにも軽やかなフランス流派というイメージで、ガッチリ弾くドイツ系とは対照的といった印象が強かったのですが、今回見た映像(『子供の領分』の終曲とショパンのスケルツォ第4番のフィナーレ)では、思ったよりはるかにガツンとくる重量があり、どちらかというと激しい演奏だったのは、エエエ!!と思いました。
全体に打鍵は強めであるし、要所々々では上から手を振り落とすようにガンと弾かれたり、その思い切りの良さにはびっくりで、そういう意味では、今の演奏は高解像度ではある代わりに、表現として精気がなく、精気がないから布局も起承転結もないし、聴き手をどこかへ連れ去るような強い牽引力がないのだと思いました。
井上二葉さんに話を戻すと、帰朝後は現代音楽に取り組んだり、フォーレのピアノ曲全曲演奏演奏会を開催、一方でランパルの共演ピアニストとして100回以上のステージをされるなど、大したものだなぁと思いました。
昨年11月王子ホールで演奏会が行われたようで、その中からフォーレの夜想曲が紹介されましたが、いかにもこの方の一番深いところに染み込んだものという感じで、揺るぎない凛としたものに貫かれた演奏でした。