ショパンコンクール2025について、くだらないことばかり書きつけているけれど、元来の怠けものであるのはあいかわらずで、最低限度の下調べさえ怠っているから、いつも行き当たりばったり、見ながら知ったり驚いたりすることばかりです。
多くのユーチューバーさんはじめ、ネット上になんらかの発信をするような人は、私からみればどこでそんな詳細な情報を得てきているのだろうと、ただもう驚くやら感心するやら、まあ今どきはそれくらい当前かもしれないけれど、私には無理なので、自分は自分のスタイルで行くしかありません。
コンクールの様子も、多くの方のようにしっかり視聴しているわけではないから、気の向くままに勝手放題な見方をしており、全体としてあまり高揚感を覚えることもなく、だらだらと見るだけだからそのぶん気楽でもあります。
二度目の挑戦の人もおられて、日本の牛田さんもそのひとり。
前回どんな演奏をされたか知らないし、ファンではないけれど、今回見ている限りは相当に準備されてがんばっておられるなあというのは伝わりましたが、あれだけ弾いても、本戦に進めないというのは、やはりシンプルに厳しいなぁと思いました。
小柄な方で、左右の袖口から出たいかにも肉の薄い、儚さのある白い手は、どこかショパンの手の模型を連想させられるようでした。
二度目という点では、エリック・ルー氏も同様で、こちらは優勝候補という下馬評もあるとやらで、、、
…話は前後するけれど、戦いはついに本戦へ突入しており、この方、本戦でいきなり幻想ポロネーズを弾きだしたのでぎょっとして、とっさに3次の演奏順が最終日最後に変更になり、そのとき右の人差し指に絆創膏があったから、なにか肉体的な故障からこの曲を弾き残していたのか?…などと思ったけど、そうではなく、なんと今回は協奏曲の前にこれを弾くことが全員に課せられていると知ってびっくり仰天!
毎回、審査員の紹介などは飛ばしているから、その前の人の時はわからなかったけれど、ルー氏の後の中国の少女もやはり弾いていたから、あわてて調べて、ようやく確認がとれた次第。
理由は、協奏曲が初期の作品であるから、3次からの繋がりをもたせるため後期のこれを弾くとか、あれこれの理由が述べられているし、それをまた解説している御方もおられたりしますが、この判断はまったくいただけないという印象しかありません。
3次が終わって、ショパンの命日を挟んだあとは、ステージにはオーケストラが登場して二者択一の協奏曲を弾くという長年にわたるコンクールの慣行があって、さあこれからというときに、いまさらのようにあの長い作品を毎度聴かねばならないとは、これでは何のために延々と厳しい予選を積み上げ踏み越えてきたのか、まるで意味がわかりません。
この作品が後期の傑作のひとつに数えられる偉大な作品であるとしても、事ここに至って、オーケストラを待機させてまで弾かせるほどの価値があるとは思えない。
それでなくとも、ここに至るまでにもうさんざんソロは聞いてきており、にもかかわらずこの期に及んで、協奏曲の前座のように幻想ポロネーズを押し込んでくるというのは説得力に乏しく、「晩年の成熟した作品も加える事で、資質の幅広さを聴きたい」とされているようですが、それならこれまでの長丁場で審査員は何を審査していたというのでしょう。
「ショパン自身が協奏曲の前に即興的ななにかをよく弾いていたことに倣っている」ともあるけれど、それなら、事前に即興演奏したい人はしてもよいし、なにかソロを弾きたい人は弾いてもよい!でよくないでしょうか。
理由はいくらでも付けられますが、率直にいって、くどいばかりで、あまり良い趣味とは思えません。