第2次予選でショッキングなことがありました。
ただひとり応援していたZihan Jinさん、2次予選の途中までまずまずの調子で弾かれていましたが、前奏曲の16番で信じがたい事故が起こってしまい、第3次にには進めず敗退となったようです。
24の前奏曲は全曲ではなくNo.1〜16までとし、続けて英雄ポロネーズという選曲だったようですが、プレリュード16番はジェットコースターのような曲、冒頭の激しい和音の連打に続いて、右手が駆け上がって行ったとき「あ…」と思いました。
この人らしくない焦った感じで、音の分離も悪く、いささか乱雑に飛ばしていったのが気にかかったのですが、その後音が外れ、立ち直れずに指がもつれ、パニックとなり混乱してしまうことに、、、
よりにもよって唯一期待していた人の身の上に、まさかこんなことが起こるだなんて、見ているこちらまでいきなりズブッと胸を刺されたような衝撃と狼狽、、、
最後を締めくくる英雄ポロネーズも、到底ほんらいの実力とは思えないようなものとなり、コンクールというのはやはり何があるかわからないものだというのを、しみじみ感じました。
この人は、もちろん基本の演奏力も素晴らしいものがあったけれど、きめ細やかな、メリハリある音楽表現がとくに優れていたと思います。
なにより趣味がよく、隅々にまで呼吸がかよい、入りと出、陰と陽、歌い込みと区切り、それぞれの意味が必然的に生まれて、見事に聴かせる特別な才能を持った人でした。
人によっては、ちょっとミスったぐらいでパニックになって崩れるようではダメだというかもしれないけれど、私は個人的にあまりタフではない人の、わけてもショパンでは繊細なデリカシーの持ち主が奏でる儚さや移ろいを含んだ演奏が聴きたいわけで、何があろうとデンと構えたふてぶてしいような人が、いくらミスも無く弾き終えたところで、別段ありがたくもないわけです。
コンクールとはそういうものと言ってしまえばそれっきりだけれども、生身の人間のすることで、ひとつのミスがすべてを失うというようなことなら、やはり安全確実が第一となるであろうし、そのために芸術に必要不可欠であるギリギリのところで輝く感性、問答、冒険とか即興といった要素が大いに減殺され、ロボットのような演奏に陥ることを思うと、それもどうかと思うのです。
…いまさら私ごときが言い立てることでもありませんが。
ある人が、ショパンコンクールとは「プロのピアニストとして世界へ飛び出すための、きっかけ作りの場のようなもの」といわれたのが、なるほどなぁと思いましたが、であるなら余計に、ひとつの躓きで全て終了というようなことではなく、その人が持っている才能の本質を総合的に検証し判断する場であって欲しいと、恨み節ですが思いました。
もし私がルール作りをできるなら、スポーツだってクイズだって敗者復活戦というのがあるのだから、コンクールでも一回だけ、弾き直しができる権利を与えてあげたいものです。
音楽は一期一会の世界であることはわかっているけれど、明暗の分かれ目があまりにもやりきれない気がして仕方ないのです。
泣き言を言ってみても始まりませんが、動画を繰り返し見てもやはり良いピアニストだと思うばかりで、こんな駄文をひねるのもしばらく嫌になるほど、なかなか立ち直れないものですね。
彼の弾くコンチェルトは聴いてみたかったし、返す返すも残念でした。