伝統

日本の芸事の修行においては、厳しく峻烈であればあるだけ正統で本式なんだとするきらいがあったようで、その気風は長らく引き継がれたもののようで、ピアノもその影響がなかったとは言い難く、私もほんの僅かばかりそのヘンな経験をした記憶があります。
ほめて伸ばす効用を知らず、ことさら厳しくすればよいという強烈な信念でしょうか。

狭く閉ざされた世界で、師匠とか先生といわれる人達は高名になればなるほどその考えや教えは絶対となり、いまならパワハラや体罰などで訴えられてしまうようなことが時代を遡るほどまかり通っていて、驚くべきは本人はもとより親たちも一切の不平不満を感じるでもなく目を据えて服従し、すべては修行のためと堅く信じて従っていました。
時代といえばそれっきりですが、なんとも馬鹿馬鹿しく滑稽で、どこか悲しげでもあります。

日本人は、民族的に見ると比較的穏健でおとなしく引っ込み思案だから、国際舞台に立っても弱腰で、気後れして、なんでも忖度する精神文化があることを思うと、こんな激しい情熱を併せ持っていることがなんだか異様でもあります。
大戦時の軍人による狂気も含めて、苦行を耐えぬいてこそ崇高なものを勝ち得るといったように思い込む独特な体質があるのかどうか、私ごときにはよくわかりません。

芸事の鍛錬に話をもどすと、谷崎潤一郎の『春琴抄』を読みなおしていたら、これに思い当たる記述がありました。
たぐいまれな三絃の名手である盲目の春琴と、その世話をする丁稚の佐助との不滅の愛情を描いた話ですが、佐助は春琴を崇拝しやがては彼女の弟子となることをゆるされ、来る日も来る日も苛烈な修行に打ち込みます。

時代背景として説明されていたのは、やはり昔から日本の芸事の修行や稽古には想像を絶する狂気があったらしいこと。
師匠が弟子に暴力を振るうなどは日常茶飯で、いかなる理不尽を被っても服従の姿勢を貫くのがこの世界の慣行であったようです。

谷崎氏の他の著述においても、たとえば随筆の『芸談』で同様のことが触れられており、文楽の人形使いや浄瑠璃方の師弟関係、あるいは歌舞伎で芸を仕込む場合も同様で、面罵や暴力は絶えることがなく、甚だしきは幼子が厳しい修行の中で落命することがあってもやむなしとするふしさえあったようで、いわれてみれば昔の日本には時おりその手の話を、どこか尊いもののように語られる気風のあったことは否定できません。

職人の世界も同様、雑巾がけからはじまる長く辛い下積みに耐えて、いよいよ教えを請うまでに十年かかるといった式の、おどろくばかりの忍従物語があり、それから見ればピアノは西洋ものであるだけに「ピアノに触れるまでに十年」といったことはないけれど、教師の専横ぶりは大変なものがありました。

とにかく「厳しければ厳しいだけ本式だ」というような驕慢があり、そこでは虐待に近いことも受容する暗黙の了解があったからか、むかしの子供向けTVドラマや野球アニメのたぐいでも大抵はその壮絶な試練の様子が、何のためらいもなく描かれていました。

さすがに現代では、もはやそんな事は決して許されないところまで時が進んだけれども、実際の指導現場のことは知らないので、それ以上はなんともいえませんが。
本当かどうか知りませんが、音大ではいったん各教師の門下に割り振られると卒業まで別の先生の指導は受けられないなど、まるで相撲の部屋制度のように、外部には窺い知れないルールが今でもいろいろあるのかもしれません。

いずれにしても、私達の遺伝子の中にはそういうことを受容してきた長い歴史があることは事実で、それをなかったことにはできないところに、やはり日本人というものがあるように思いました。

スポーツ界の野蛮な上下関係などもつまりは軍隊式で、いまだにこれが引き継がれ、最近も話題になることもあったばかりです。
軍神といわれた山本五十六は「部下をほめて伸ばす」ということを知って部下に実践していたそうですが、それは個人の達見と魅力であって、なかなか組織全体を変えるまでには至らないようですね。