3つの平均律

去る2月22日に『三膳和枝さんの余談』というのをアップしましたが、滋味のある演奏もさることながら、そこで使われるピアノの調整の素晴らしさも鮮烈で、この点でも感銘を覚えたことを記す内容でした。

すこし繰り返すと、このCDを聴く機会をくださったのが、日頃なにかとお世話になっている調律師さん。
この方のご友人が東京のMさんという名人だそうで、三膳さんのすべてのCDでピアノ調整を手がけておられます。
いわく数十年来にわたる親しい釣り友達だそうで、調律の腕は敵わないけれど、釣りでは私がMさんの師匠なんです!と満面の笑顔で語られます。

三膳和枝さんのCDは計10枚におよび、曲目、録音年、会場も違うというのに、ピアノは常に一定して同じ肌触りをもっていることに気がつくのにそう時間はかかりませんでした。

名うてのピアニストにはソノリティが備わるように、ピアノ技術者も高みに達すると楽器が変わっても、明確に同じ肌触りがあるらしいことがわかりました。
この分野ではイタリアのファブリーニなど、それ自体がブランド化されたような印象がありますが、正直いうとそれほどのものか?と思うことがあったりするのに対し、Mさんの調整は聴くたびに静かな感銘を覚えます。

このMさんの手になるピアノを私があまり騒ぎ立てるものでだから、では別のピアニストのCDも聴いてみますか?というありがたいお申し出があって、騒いでみるものだと思いました。
2人の日本人女性で、おひとりはフランスで勉強され今や卒寿になられる▶山根弥生子さん、もうひとりは東京芸大、ドイツ留学、バッハコンクールを経て国立音大で指導にもあたられている▶遠藤志葉さん、曲目はいずれもバッハの平均律全曲というものでした。
三膳和枝さんのCDにも平均律全曲が含まれていたから、M氏の手がけられたピアノで、期せずして3種類12枚の平均律を楽しむことができました。

山根弥生子さんの演奏は基礎を成すところがフランス流なのか、どこかアンリ・バルダを思わせるような華があり、重々しくならず美しい音楽として捉えられているのか、聴き手の心地よさといったものにも気配りがされているように感じます。

ダンパーペダルが多用され、随所で音が濁ってしまうのはすこし気になるところでしたが、プレイバックで確認されていないはずはないから、これは演奏者が意図したものだろうと受け止めていたところ、何度か繰り返すうちにこれはこれだと思うようになりました。
情報に左右されない世代の滔々とした語りがあり、それをMさんが調整されたピアノが頼もしく支えているようでした。

遠藤志葉さんは、バッハに対する深い洞察と注意がまんべんなくゆきわたり、現代風なメリハリがあり、好ましい朗読に身を預けることのできる、きわめて上質な演奏に終始しました。
ライナーノートによると相当バッハに入れ込まれているようで、ゴルトベルクやフーガの技法をふくむほとんどすべての作品、果ては編曲物にいたるまでを手中にされ、リサイタルなども折々おこなっておられるとのこと。
ひとつのことに一途に取り組まれた方の真面目な仕事には相応の重みと説得力が漂い、やはり良いものに触れるとこちらまで豊かになるもの。
欲をいうとタッチにもうひとまわり弾力がほしいところ。

これらに比べて、三膳和枝さんの演奏は一見すると恬淡として穏やかだけれど独自の世界が広がり、ふしぎな懐かしさや余情のあることがあらためてわかります。
どこか民芸の優れた染め物や陶芸などを連想させられ、虚飾を排した手ざわり妙のようなもの、多弁になり過ぎないところにくつろぎがあり、その微妙な距離感が聴き手を誘います。

今どきは、ピアニストの世界もコンクール通過者によってほとんど乗っ取られたように見えるし、かつてのような大物もほぼいなくなり、永田町ではないけれど少数党派乱立といった趣です。
しかし、すこし小道に分け入れば、うまいものを出してくる店があるように、純粋に演奏をもってピアノに取り組む方がまだいらっしゃるようではあり、それはひとつの希望です。
ただ、さてその隠れた名店を探し当てるのは簡単ではなさそうですが…。