ゲニューシャス

現役のロシア人ピアニストの中でも実力者のひとりであるルーカス・ゲニューシャス、2025年の来日公演ではラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番の「オリジナル版」がクラシック倶楽部で放送されました。

〜といってもずいぶん前のことで、半分ほど書いたところでショパン・コンクールとなったため、最近あらためて見直してみました。

有名な第2番にくらべて、第1番は演奏機会もほとんどない作品ですが聴き応えがありました。
ゲニューシャス氏の解説によると、第1番にはオリジナル版と改訂版があるものの、前者は楽譜として出版もされておらず、作曲された当時、周囲の人達の意見を容れて大幅カットされて改変されたものが今日あるバージョンとのこと。

私の手許にあるCDは、ベレゾフスキーによるそれとショパンの主題による変奏曲と合わせて録音されたもので、これはわりによく聴いたし、あとはルース・ラレードのラフマニノフピアノ曲全集の中にあるものだけだとおもうけれど、これらは必然的に改訂版でしょう。

ゲニューシャス氏はロシア国立音楽博物館で未出版手稿譜というのを発見し、そこからオリジナル版が有する真価に打たれ、オリジナル版こそがこの作品本来の魅力があるという思いを深めたと語っていました。
今回はその日本初演だそうだから、これはなかなか興味深いものだと期待に胸を膨らませて視聴しました。

改訂版もしっかり耳に入っているわけではないから、正確な比較はできないものの、なるほど演奏時間が長いだけでなく叙情詩的といっていいのか、ラフマニノフ自身が吐露するところを直に聴いているようで、整理がついていないだけに生々しく劇的でこれまでに聴いたことのないものでした。
演奏時間は、改訂版が約35分であるのに対して、オリジナル版は約45分と10分も長く、この差は小さくはないようです。

楽曲としてのまとまりでいうと改訂版のほうに分があるかもしれないけれど、ゲニューシャス氏がオリジナル版に惹かれるというのもなんとなく頷けます。
作曲者の心の内側が寄せては砕け散る大波のようで、その奥に孤独と哀愁があり、それがとめどなく続く様子は、抗いがたい悲壮感の渦の中へと投げ込まれて翻弄されていくばかり。

冒頭からニ短調の沈痛な和音が何度も繰り返されますが、ニ短調はピアノ協奏曲第3番も同じで、ラフマニノフが好んだ調性なのかもしれません。

ゲニューシャスという人の演奏に接していると、いかにもこってりと分厚いロシア人ピアニストという印象で、その顔つきや微笑まない深い眼差しはもちろん、いつも湿り気を含んだような太い大きな手は、ピアノが一回り小さく見えるような感じさえあって、いかなる場面においても揺るぎなく、要所々々で地響きのするような鳴らし方をするあたり、その技巧とスタミナから繰り出されるスケール感は尋常ではなく、おまけにロシア人というネイティブ感もあるから、「ラフマニノフはこういう人の弾くものなんだな、、」と納得させられてしまうようです。

ひさびさに、ロシア流のヘビーでパワフルな演奏に圧倒されました。

あとから知ったところでは、ゲニューシャス氏はこの曲でCD録音もしており、それはスイス・ルツェルンにあるラフマニノフの別荘で収録されたとあり、ラフマニノフの60歳のお祝いにスタインウェイ社が送ったD型がそこにあるのだそうで、そのピアノで録音されたものとのこと。

あやかり番組

このところ、NHKではピアノ関連の番組が続いて一段落した感じですが、おそらくショパンコンクールで高まったであろう、ピアノへの関心に結びつけようとする狙いでしょうか?

BSクラシック倶楽部でも集中的にピアノ(しかもショパン)が登場し、今回のワルシャワに出場した韓国のイ・ヒョクさんが、コンクール直前に日本でオールショパンのリサイタルをやっていたのが2回にわたって放送されました。
本番練習を兼ねたステージ慣れのためのコンサートのようでもあったけれど、やはりコンクールでは望み得ない格段に落ち着いた演奏となっていたあたり、ワルシャワのステージでは実力のうちの、どれくらいが出せるかということも大きな課題なんだなぁと感じました。
それ以外にもあれこれのショパン演奏が放送されましたが、見落としや途中からというのもありました。

そして日曜夜のNHKスペシャルで、いよいよ今回のコンクールを追ったドキュメントに至りました。
しかしそれはわずか50分!
オリンピックより長い3週間にもおよぶ戦いだというのに、これはあまりにも短く、しかもNHKお得意の作り方、すなわちその中の幾人かにフォーカスして密着する構成だから、せっかく現地に乗り込んでいる甲斐もなく、全体の様子はほとんどなにも伝わらず却ってがっかりで、せめてもう少し、できれば前編・後編か、90分ぐらい、いっそEテレ・クラシック音楽館で2時間にしてほしいもの。

ずいぶん変わったなー!と思うところは、ナレーションで「スタインウェイ」とか「ベヒシュタイン」などとピアノメーカーの名前を言うところで、これは昔のNHKならぜったいにあり得ないことですね。

メーカーといえば、10年前のドキュメント「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師の闘い〜」も再放送されましたが、これは100分ぐらいだからさすがに見応えがあるし、個人的にはこの番組の見どころのひとつは、ヤマハのチーム戦の様子ではないかと思いました。
いかにも日本人らしい特徴が表れていて、企業単位の組織的な挑戦。
険しい目線で客席から指令を出す人、従う人、メーカーきっての調律師さんだの現地の支店長さんだのと、スーツを着た人たちが一団をなし、そこには社内の厳しい上下関係やら何やらがありそうで、日本の会社の縮図を見るようです。
ステージのピアノをメンテするにも、チームで取り囲んでライトをかざし、あれこれと協議を重ねている様子は、これぞ日本!それぞヤマハ!という感じでした。

クラシック倶楽部に戻ると、いぜんは天才少年と言われた人がすっかり大人になっていたけれど、ショパンのエチュード(op.10)をガンガンに弾きまくって、はぁ…今どきこんな人もいるのか!?と、これはこれで驚きました。
近年は、誰も彼もが表面はやけに整った小利口な演奏が少なくない中、この人は正直といえば正直なのかもしれないけれど、あそこまでアスレチックな演奏をされてみると「おいおい!」といいたくなるのも正直なところで、さすがに見続ける意欲も気力も、かといって面白くもないから、数分でやめてしまいました。

実はそんなものより、大いに言いたいものがあって、以前なら書いたと思うけれど、ほとんど負の記述に終始しそうであるし、そういうものに駄文とはいえエネルギーを費やすことも馬鹿らしい気がして、思い切って止めることにしたら却ってサッパリしました。

で、それは飛ばしてもうひとつ、ブーニンの最近の様子を捉えたドキュメントがありましたが、かつての寵児が健康を害されたことは非常に残念であるし、痛々しい気持ちになります。日本が好きで、日本人の奥さんの献身に支えられ、近年は少し演奏も再開されたようです。
往年の切れ味は失われましたが、氏の演奏には彼なりの明確なスタイルがあり、じめじめしないセンスが今もあり、幻想ポロネーズの冒頭にそれが最も端的に聴えてきたときは、ハッと目がさめるようでした。
ルイサダとの深い友情も続いているようでした。

ショパン2025-7

コンクール終了後、時間の経過とともに採点の詳細などが明らかにされて、それを考察する動画がYouTubeなどがあれこれ出ているようですが、どうこう言ってみたところで結果は覆せないのだし、本戦に進めた人とそうでない人の段階から納得の行きかねるところがあり、あまりここに首を突っ込んでも仕方がないわけで、そんな後味の悪さも毎度のことのような気がします。

今回のショパン2025での収穫のひとつは、長らく求めていたファツィオリの魅力というのか、特徴というのか、ともかくそういうものへの理解が、ほんの僅かではあるものの、少し見えたように思えたことかもしれません。
むろん、すべては自分勝手な印象のみの話なので、間違っていることもあるだろうとは思われますが、あくまでも私の受けとめですが。

曲が始まってしばらくは、どちらかというと強めの音が耳につくものの、やがて慣れてくるのか、みっしりと織り糸のひしめくペルシャ絨毯のような、なにか目の詰まった重いものに触れる感じがありました。
音そのものの美しさ、バランス、透明感などではスタインウェイが勝ると思うけれど、ファツィオリにはイタリアの過剰で厚ぼったい、しかもどこか陰鬱なところを背負っているような感じを受けました。

イタリアは外から見ると明るい太陽の国というような固定観念があるけれど、絵画や彫刻や建築はもちろん映画などを見ても感じるのは、どこか沈痛で人間の苦悩のようなものが赤裸々に流れており、ファツィオリは表向き国際基準に沿ってはいても、本質的にそういう色合いのピアノではないか?と思うと、いくらか納得できるような気がしてきました。

実際にはみんながハヴァロッティみたいに笑って歌っているわけではなく、むしろ少しも笑わない、いつも青筋の立ったような眼光の鋭いおじさんがいたり、カトリックもあればマフィアもあるなど、考えてみるとイタリアはむしろ怖さが勝っているようでもあり、そこがまた彼の地の芸術世界を際立たせているのかもしれません。
今回のコンテスタントでも2人ほど聴いたイタリア人も、かなり重めのこってり系の演奏であったし、ポリーニもミケランジェリも重厚過剰路線であって、軽やかさとはほとんど無縁であったことを思い出します。

というわけで、イタリアのものはただ鑑賞するぶんには結構だけれど、いざそれを使いこなすとなると容易ではないところがあるから、ファツィオリにもやはりそういう一面が秘められているような気がします。
その点ではカワイはそんな深い文化的背景は背負っていないから、そこがだれでも手が出せる馴染みやすさとなっているのかもしれません。

カワイとファツィオリは、目指すところは似ているのかどうか、そのあたりはわからないけれど、少なくとも出発から背景とする気質や文化まで、まったく違っているにもかかわらず、どこか似ている部分がないこともないような気がするのは私だけでしょうか?
いずれも設計からくるものなのか、その音にはときどき板っぽい感じが顔を出すことがあるし、また会場で聞いたらわからないけれど、イメージとしては遠鳴りよりは弾き手を喜ばせるところが魅力なのかもしれない、、などと思ってみたり。

そういえば、奥行きが278cmというのも同じであるし、さらにはお尻のほうが比較的大きくボリュームがあるという点も、ただの偶然かもしれないけれど、外形的にも妙に共通したものがあるような気がしました。

…それにしても、日本は演奏のほうでは優勝者こそまだ出していないけれど、世界が最も注視するワルシャワのステージに2つの日本製ピアノが公式ピアノとして活躍していること、しかもそれはファツィオリやベヒシュタインより早かったことは、今でこそ当たり前のようになっているけれど、はるか東洋の文化の異なる島国が作り出した楽器であることを思うと、これは相当に驚くべきことだと思うし、あらためて音だけで聴いてみると、完成度という点では日本の2社はなかなかのものであると思いました。