ダヴィドヴィチ

前回、古い演奏に親しんでいると書きましたが、おしなべて現代若手の演奏に対して感じる、あの独特な雰囲気から開放され、どこかなつかしいような気がするのは事実。

以前なら特にどうとも思わなかったような中にも、なるほどというようなメッセージを読み取ったりできて、まあこちらの耳も、ちょっと合わない味ばかりを食べさせられたから、視野も好意的に広がっているのかもしれません。

さらに以前はうっかりチェックを見落としていたような発見のおまけもあったりするから、これはこれで面白いところがあります。

たとえばBOXセットでは、必ずと言っていいほど単体ではまず買わないであろうものが抱き合わせで含まれており、その中に意外なお宝があったりします。

印象的なものでいうと、BRILLIANTレーベルのショパン全集では、24の前奏曲の演奏者はベラ・ダヴィドヴィチで、これなどは私にしてみれば、おそらく単体で購入する可能性はまずないだろうと思われるもの。

ダヴィドヴィチはアメリカに渡ってジュリアードの先生などをしていたそうですが、その演奏は、どちらかというと垢抜けない、こってりしたものという印象だったのに、ここに聴くプレリュードはそんなイメージとはまるでかけ離れたものでした。

軽やかで、ほどよい詩情とうるおいがあり、なんとも良いバランスを保った素晴らしい演奏だったことに、思いがけない発見をして得をしたような気分になりました。
すっかり気に入ってしまって、かなり繰り返して聴きました。

必要以上の主張をせず、また功者ぶってピアニスティックに脱線するでもなく、淡々とした足取りで作品世界が描き出されます。
2番や4番などは、多くの場合さも暗示的に、過度に深沈と弾かれることが多い中、ごく自然で過剰にならないところも、全体が脈絡を結びあうようで、作品の意図に適っているよう感じます。

17番など、まるで大らかに風がわたってゆくような歌いぶりで、全編が企みなく自然に相対している結果、全体が恣意的に歪められることなくこちらに届けられてくるようで、まとまりという点では随一と思える印象。
1979年の演奏ですが、これまでダヴィドヴィチにはさほどの重きをおいていなかっただけに、ちょっとした喜びに満たされました。

また、個人的感想で言えば、ピアノ(楽器)もこの時代のものには威厳があり、それでいて奏者の要求にはどこまでも応える厚みと幅(つまり大きな潜在力)があり、この点も悠然たるところがあって、なにより落ち着いて演奏に耳を傾けることのできることを再確認しました。

同様の印象はヤマハにもあって、某日本人ピアニストはCFIIISで録音していましたが、ヤマハもむかしはもっとふくよかさがあったことが意外であったし、CFXが出たときに、歯切れよく快活に鳴るように感じられたのを進歩のように感じてしまったけれど、いま聴き返してみると、その判断が正しかったのか…わからなくなりました。

そして近年は、CFIIIS→CFXと同様の変化がスタインウェイにも起こった…と思うと、なんとなく納得が行くような気がします。