ついでに国内のピアノ店のサイトをあれこれ見て感じたことなど。
見た感じきれいに仕上げられたものが多いけれど、内容のことはわからないので、もっぱら写真や動画などの感じでいうと、、、
古いものは塗装もやり直してあるらしい個体が少なくないけれど、中にはナチュラル仕上げ(正しい名称はわからないけれど、薄いつや消し仕上げという意味)であったであろうピアノが、妙にピカピカした艶出しになっているのか、却って不自然に感じるものが散見される印象。
日本人はものを選択する際、ある場合は無難で地味なものを良しとするところがあるかと思えば、またあるときは派手なキラキラピカピカしたものを好むところもあったりするようで、その両面の使い分けの心理は日本人である私にも理解の及ばないものがあります。
外国製のヴィンテージピアノを「高級品」として捉えるからか、フランスピアノによくあるような、寄木などの木工には非常に手の込んだものであっても、全体に渋い佇まいでは物足りないのか、、、外装を艶出し仕上げにして商品力を高めているようにも受け取れました。
艶出しそれ自体は素敵ですが、古い木の肌の上に、ただ透明のニスをかぶせたような仕上がりだと、却って素性の怪しげな雰囲気になってしまうことが珍しくなく、それでやけに強気なプライスなのはどうにも怖いような気がするもの。
とくに古いフランスピアノの佇まいには、個人的にはどこか和の木造物にも一脈通じる簡素の趣があるようにも思いますが、ピアノに関するイメージはもっと重々しい、高級車みたいに輝くものでなくてはいけないというのが購買層のニーズなのか?
ヨーロッパでは、部屋のしつらえは壁の色・家具・絵画・照明など、色あいや配置など雰囲気を調和させるべく思慮されるのに対し、日本では壁は大半が白、床はフローリング、ピアノは部屋の主役で、横には楽譜棚、窓には丈の短い淡いカーテン、その上下にはエアコンや除湿機などの白モノ家電、さらによせばいいのに不気味な洋風の釣り照明具、あるいは突拍子もない雑貨やカワイイモノが脈絡なく置かれていたり、それらが醸し出す雰囲気というのがなんとも沈痛で淋しげで、せめて唯一の主役であるピアノだけにはキラキラと輝いていてほしいのか…
いかに時代が変わっても、こういう昭和的センスは連綿と受け継がれてしまうのは不思議な気分になります。TVで『昭和の常識、令和の非常識』などというバラエティがあるけれど、そう高らかに笑い飛ばすほど変わってはいないし、むしろ昔のほうが精神的によりモダンで斬新で創造的であった気がします。
テレビといえば今年は大河で『べらぼう』をやっているけれど、元禄のほうがよほど洒落ていて、垢抜けて、美醜に敏感で、市井の人々の感性は研ぎ澄まされていたように思いませんか?