調律も究めれば芸術

今日の昼、マロニエ君が最も尊敬する調律家のお一人から電話をいただきました。
この方は現在、調律に関するある体験を綴るべく出版を前提とした文章を数年がかりで執筆中だったのですが、それがいよいよ今日の昼、最終章を書き終えたということで、たまたまその時間にすぐに電話をとりそうな相手がいなかったからでしょうが、マロニエ君のところに電話がきたのです。
何年がかりの仕事をおえられた達成感からか、いささか上気した様子が受話器の向こうに窺われました。

意見を言えということで、疑問のある個所をあちらこちらと読んで聞かせてくださいますが、正直いうとその前後関係がわからないので軽々なことは言えませんでしたが、それでも思いつく限りのことはいいました。

ひとまず最後まで書いたというのは、ピアノで言えば譜読みが終わった段階というべきで、これからが肝心の推敲の始まりだとも脅かしておきましたが、さて一冊の本になるのはいつのことになるやら楽しみです。
この方は職業は調律家というピアノ技術者ではありますが、その人柄はというと、まったくの芸術家気質で、何に対してでも子供のような興味を持ち、およそ畏れというものを知りません。

朗読中に出てきた内容がまた驚きでした。
ある場所に技術者達が集まっていたところ、そこにクリスティアン・ツィメルマンが入ってきたらしく、この世界的ピアニストにして、その筋では有名なピアノオタクのマエストロが語りだした意見に対し、一同はありがたく拝聴し納得するばかりの中、彼だけがマエストロの傍に控える通訳を通じて、自分なりの疑念と意見と反論を堂々とぶつけるというくだりがありました。

朗読は忙しげにあっち飛びこっち飛びで、ツィメルマンがなんと答えたかまではわかりませんでしたが、この方は何事につけこういう人なのです。それだけに自身の仕事に対する情熱と探究心は並々ならぬものがありますが、同時に人からしばしば誤解され、不当な評価を受けたりということもあると聞いています。
それでもくじけず、へこたれず、自分の道を行くのですから、大したものです。

それにしても、今の人の中には、自分の損得には一向気が回らず、ひたすら本物だけを追い求めていくような純粋培養みたいな人物はいなくなりましたね。文化や芸術、すなわち美しいものや精神を作り出すためには、この手の人達の情熱と感性と卓越した仕事によってその根底が支えられていくものだということを思うと、なにやら先行き暗いものを感じてしまいます。
いつまでも元気で頑張ってほしいものです。
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