ショパン2025-5

ついに終わったようですね。
優勝は下馬評通りの方のようですが、なんとなく、すでにピアニストとしてスタートしてかなりなキャリアも積んだ大人が、いまさら若者の戦いの場に分け入ってきたようでした。
しっくりこないものがあったから、それを途中まで書いていたけれど、それもどうかという気がして、全部消しました。

今回、最も印象的だったことは、公式ピアノにベヒシュタインが加わったこと、ただ一人の応援対象であったコンテスタントが不慮の失敗で敗退となったことなどでした。

全体の演奏については、見たのは毎日せいぜい1時間前後であったから、何かをいえるような裏付けはないけれど、その上で自分なりに感じたことをいうとすれば、演奏傾向がすこし変化したように思えたことでしょうか。

近年のコンクールでなにより憂慮していたのは、自分の個性や感情を封印し、ひたすら楽譜に正確で、かつ加点に繋がることに絞ったような、覇気も魅力もない演奏が正義のようになっていたことですが、今回、多くのコンテスタントの演奏から感じたのは、以前より熱気や演奏者の息吹が少し復活してきたように感じられて、その点がまず救いであった気がしました。
あのままだと、ピアノ演奏はほとんど誰が弾いても同じような、魂のない自動演奏のようなものになり、ピアニストもAIにその座を明け渡すのも時間の問題ではないか?と思っていたのですが、今回は嬉しいことにやや挽回してきたように感じました。

それにしても、ピアノ演奏におけるアジア系の台頭は留まるところを知らず、中華系の人たちが首座を占め、次いで日本や韓国などがなんとか一区画を守っているという感じ。

日本人の演奏には、やはり日本人らしいテイストと緊張感があると思いました。
昔にくらべたら変わってきているのだろうとは思うけれど、それでも国際舞台で見ると依然として特有の悲壮感と、伸び伸びしきれない印象を受けるのは、自分にも同じ血が流れているから、よけいに感じることだろうか…などと思ってしまいます。

緊張が極まったあげく、俎の上の鯉といった覚悟のほどが窺えて、この瞬間を迎えるまでの長く苦しい旅路が映し出されるようで、どうも複雑な気分になってしまうことが多々あります。


先にも書いたように、私の場合、コンクールの規定など何も知らないし、敢えて調べようとも思わないので、間違っていることも多いだろうと思うので、その点はご容赦いただきたいところです。

で、ただ聴いていると楽譜の選択は以前より自由なのか、各人好きなものを使っているように聞こえたけれど、そうだとすると、そのほうが自然だと思うし、コンテスタントも自分にあった版を選ぶことで、より自然で魅力的な演奏ができるのではないかと思います。

驚きだったのはオーケストラで、第1番の第3楽章など弦が弾いていたところがスポッと先が抜けるような箇所があり、それが何度も繰り返されるから強烈な違和感がありましたが、あれはなんなのか…いまだにわからない。
オーケストラはワルシャワ国立フィルということのようですが、盛大な名前のわりにあまり上手いとも思えず、せめてコンテスタントの熱演に見合ったものであってほしい気がしました。

熱演といえば、使用頻度の高かったスタインウェイとカワイは、日が経つにつれ鍵盤側面の生木の部分がかすかに黒く汚れてくるあたり、それだけ入魂の演奏が繰り返された証拠でもあるようでした。

こんなくだらない細かい観察は、会場にいてもできることではなく、日々高画質で送られてくるネット動画の賜物であって、その気になれば、自宅に居ながらにしてだれもが審査員気分で鑑賞道楽ができるのだから、いやはや大変な時代になりました。

※写真はネット動画よりお借りしました。