ヒートアイランド現象

ヒートアイランド現象という言葉をはじめて耳にしたのはいつのことだったでしょう。
マロニエ君の住む福岡市でも、今夏の厳しさはたいへんなもので、連日の猛暑に心底喘いでいますが、ついにテレビニュースからも、この言葉をちらほら聞くようになりました。

なんとなく、ヒートアイランド現象などというと東京などの超過密都市圏の話だと思っていましたが、ついによその話ではなくなったようです。
福岡市は隣接する周辺都市を合わせると人口200万人ほどの中規模の都市圏ですが、すでにこの現象がはっきりと出始めているようです。

過日も所要があって、自宅から約一時間ほどの郊外に出かけ、夜に帰宅しました。
車で出発したのは夜の10時ぐらいでしたが、まあ、なんとなく暑さも夜になって一段落という印象でした。

ところがです!
11時少し前ぐらいでしたが、家について車を降りたとたん、いきなり肌にべったりとまとわりつくような強い熱気に包まれました。
マロニエ君の自宅は都心部でも比較的緑の多い地域なので、いわゆるビルの谷間といった環境ではありません。
にもかかわらず、まるで日中のようなその強烈な熱気にはすっかり参りました。

さっきの温度は、あきらかに郊外田園部の温度で、体感的にも明確な差があることが明らかでした。
この温度差を身をもって体感し、都市部特有のものとわかっていらい、暑さはますますつのるようです。

じっさい昨日は福岡では今年最高の暑さを更新したようです。
長期予測によれば、今年は残暑が長く、秋は短いそうですね。
エアコン漬けの毎日はいつまで続く事やら。
トホホです。
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初期のポロネーズ

【Pucciさんよりいただいたコメント】
『ショパンについての覚え書き』、早速購入して読んでみます!… と言う訳には行きませんが(ただ今『ベルリン陥落1945』読破途中…)読みたい一冊が新たに出来、また楽しみです。
ご推奨の本がありましたら是非いろいろ教えて下さい。
ところでマロニエさんは、ショパンポロネーズの全集をお持ちだと思いますが、1~5番、また英雄や幻想以外のポロネーズはお聴きにな りますか?
私はop71の3つのポロネーズ、KKlVa(特に8番) など、前出の全7曲と同じくとても好んで良く聴くのですが、今日ほとんど演奏されていないのはやはりあまり認められていないからですか?
個人的にはこれらの曲たちの方が、哀愁のポーランドへの想いや情景がより色濃く染み込んでいるような何とも言えない切なさがあって大好き(この表現は適切ではありませんね)なのですが。
マロニエさんの見解はどうなのでしょうか。
素人の無知な発言をお許し下さい。

【マロニエ君】
Pucciさん、コメントをありがとうございます。
私ももちろん素人ですが、Op.71の3曲のポロネーズがお好きとのこと、それはこの時期特有の心の内を直接吐露するようなストレートな魅力があって、わかるような気がします。

今日あまり演奏されないのは、これらの曲は作品番号こそ晩年の作のようですが、実はどれも若書き(つまり若い頃の作品)で、後年の作品にあるような作品としての洗練や完成度が不足しているからだろうと思います。
とくにお好きだとある8番などはわずか15歳のときの作で、それはそれで素晴らしい曲だと私も思いますが、しかし後のショパンの作品に出てくるような何か他を寄せ付けないような圧倒的な輝きはまだなく、純粋な青年の一途さのようなものが前面に出ていて初々しくもあり、それでいてショパンの個性はすでにこのころから随所に確立されつつあることが見て取れますね。

もちろん単独の曲としては魅力があるのですが、それ以上に充実した素晴らしい綺羅星のような作品がショパンにはたくさんあるので、なかなか実際には演奏される機会が少ないのだと思います。
ソナタ第1番などにも同様の匂いを感じますが、いかがでしょうか?
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眠れるピアノ

本屋でピアニストの神谷郁代さんの著書を立ち読みしていたら、楽器のことに言及しているところがありました。細かい文章は忘れましたが大意はおおよそ次のようなものでした。

コンサートで全国をまわっていると、各ホールにはどこも素晴らしいピアノが備え付けてあるけれども、その多くがほとんど弾かれることなく、大事にしまい込まれているだけの状態なので、どれも鳴らないピアノになっているというのです。

コンサートの直前に調律師が数時間かけて、あれこれやっているうちにピアノはどうにか目覚めてはくるそうですが、それでも本番には間に合わないらしく、とくにコンチェルトなどでは、どんなに力んで弾いても音が埋没してしまうことしばしばだそうです。
せっかく素晴らしい楽器を購入しても、これでは本来の能力が発揮できずに、非常に残念。もっと普段から弾かれるようになればいいのにというような意味の事が書いてありました。

マロニエ君も以前、あるピアニストの手伝いで、録音会場探しのために福岡市近郊のホールを下見して廻ったことがありますが、多くのホールがスタインウェイとヤマハというような組み合わせで、いずれも立派なピアノ庫を備えて湿度管理までやっていますが、なにしろピアノ自体が使われていないので、弾いてみるとほとんど眠ったような音しか出さなかったり、それなりには弾けても、とてもこの楽器の本来の力ではないな…というようなピアノを何台か触って、考えさせられたことがありました。

いえいえ、これはホールばかりの話ではありません。
我が家のピアノも、いつも練習に使う片方だけを弾いているので、もう一台は年中ほとんど寝ている状態です。やはり楽器は生き物ですから、適当に鳴らしてやらなくてはいけないということを、この神谷郁代さんの本を読んで、思わず自分に向けて警告されたようにドキッとしてしまいました。

調整が未完なので敬遠している面もありましたが、今日は調整がもう一度入るので、そうしたら少し弾いてみようと思います。やはり健康維持のための適度な運動はピアノにも必要なようですね。
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ドビュッシー

知人の店で開く音楽家の誕生会のために、ドビュッシーのCDを集めていると、全体の中でピアノ曲の占める割合がひじょうに高いことにあらためて注目させられました。

ピアノ以外の器楽曲といっても、室内楽のごく一部などを除いて、ピアノの関係しない曲はほとんど存在しませんし、残りの多くはピアノのために書かれた作品となります。

有名ないくつかの管弦楽曲やオペラを例外として、あとは歌曲を含めてほとんどピアノを必要とする作品ばかりなんですね。これはうすうす感じてはいましたが、あらためて作品一覧を見てみるとそれがはっきりとわかり、ドビュッシーからピアノを外すと、「牧神の午後」の周辺以外ではほとんどドビュッシーは成り立たなくなるとも言えそうです。
そういう意味ではショパンほどではないにしろ、ドビュッシーもピアノの人だったようです。

ドビュッシーとショパンは作曲技法からなにから、あらゆる要素は異なるものばかりですが、それでもマロニエ君の独断でいえば、どこかこの二人には不思議に共通したものを感じます。
ピアノを中心とした作品を書き、それまでに誰も成し遂げなかった前人未踏の新しい世界を作り上げたという、通り一遍のことでは済まされないなにか。それが何であるか、いまはまだわかりませんが。

ドビュッシーはショパンの死後13年を経て生まれていますから、この二人は同じパリを舞台にしながら同時代には生きていません。文献によると、ドビュッシーは生涯に数十というとてつもない数のオペラの計画をしては頓挫し、完成したのは「ペレアスとメリザンド」たった一曲だったのですから、そこにはいろいろな事情や曲折があったにせよ、やはりこの人は本質的に大作とかオーケストラ向きの作曲家ではなかったということかもしれません。
もちろん、遺された管弦楽曲の幾つかは音楽歴史上に輝く傑作であることに間違いありませんが、私見ながら中にはけっこうつまらないものもありますから。
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玄人素人

お食事リンクにも紹介している店の中で、中田中という店がありますが、ここの基本スタイルはどうやら最近のしずかな流行でもあるようです。
基本的には定食なのですが、メインとなるおかずはメニューの中からお客さんが好きなものを二品選ぶというスタイル。
中田中はメニューも豊富で、安くて美味しいから、昼夜を問わずお客さんが絶えず出入りする大変な人気店で、三台ある駐車スペースもほぼいつも塞がっている状態です。

すると友人が別の店を探してきて、そこに行ってみることになりました。
そこは女性が二人でやっている店らしく、なるほど形体としては中田中と同じで、やはりここも二品を選択します。
しかし出てきたものは中田中とは較べものにならないもので、がっかりしました。
不味くて食べられないというようなことはないけれど、いわゆるシロウトの料理で、なんだか他人の家の晩御飯を食べさせられているようでした。

それでも、ここはここで、疲れたサラリーマンのような人がつぎつぎにやってくるのはびっくり。
しかし、この店はマロニエ君としてはお食事リンクには出せません。

マロニエ君のような反抗的な人間は、いわゆる行列が出来るような店というのは感覚的に好きではないのですが、でもやっぱり人気店というのはそれだけのことはあるのだなあとは思いました。
そしてプロならではの、パッとあざやかな仕事というのはなんであれ良いものです。

食べ物に限らず、世の中にはシロウトの駄作を味わいであるかのように褒め称え、珍重する一派もありますが、マロニエ君はあれが大嫌いです。
シロウトの仕事は技巧がなく、あいまいで、暗くて、不恰好で、詰めが甘くて、苦労が滲み出ていて、独特のクセがあって、生理的に受けつけません。
だから音楽も基本的にシロウトの演奏は嫌いです(仲間内の遊びは別ですが)。
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HMV渋谷店の閉鎖

日曜日をもって渋谷のHMVが閉店したのは、なんとも象徴的なニュースで、残念なことでした。
閉店の理由は、音楽がネット配信されるようになり、店頭売上が減じたためということで、HMVの旗艦店である、あの人の海の渋谷のど真ん中の店でさえそうなのかという思いです。

福岡も以前はフロアごとにジャンルの異なるHMVの大きな店舗がありましたが、ずいぶん前に縮小移転していますし、中心地ではCD店は数年前に較べるとずいぶん減ってしまいました。
今では代表的なところではタワーレコードとヤマハ、あとは数軒が存在するのみです。

マロニエ君も自分なりにCDはよく買うほうだと思いますが、現在のところ店頭とネットは半々ぐらいの割合です。
ネットの良いところは、予め欲しいものが決まっていれば、オンラインで簡単に注文できる反面、店頭のようにあてもなくあれこれと物色してまわる情緒はありません。
ふらふら見ているうちに思いがけないCDに行き当たる楽しみは、店頭でしか味わえない世界です。

いっぽうネットは、欲しいものをジャンルやキーワードで探す、あるいは演奏家別の検索ができるなど、こちらでしか出来ない機能があり、マロニエ君にとっては両方が必要というのが正直なところです。

数日前の新聞も一面に、ここ最近の販売業は「通販の一人勝ち」という見出しがトップを飾っていましたから、だんだんそういう世の中へと流れていくのかと思うと、なんだかひどくつまらない気分になりました。
通販の良いところがあるにせよ、なんでも極端に偏っていくのは面白くないですね。
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続・これが今風?

〈読者の方からのコメント〉
マロニエさんこんにちは。
私も先日、ビュッフェスタイルのレストランに行ったのですが、何故か小さな子供さん連れのご家族のマナーが悪かったのを覚えています。
ある家族の例ですが、若いおばあ様はご自分の箸で料理を物色され、お孫さんは裸足で料理が置いてある周りを駆け回りそこの調味料を指でつついて舐め、おじい様は周囲でお食事されているお客様には目もくれずビデオ撮影、若い(?)ご両親は祖父母に孫を任せとてもくつろいで料理を堪能されていました。
あっぱれでした。

〈マロニエ君〉
お名前がわかりませんが、コメントありがとうございました。
まるでおっしゃる情景が目に浮かぶようです。
この手の話をしはじめると、私も日頃からキリがないくらい不快に感じる光景が多いのは事実です。
パッと見た感じは、子供も悪いようにも見えますが、やはりすべては親の責任です。
子供は白紙で生まれてくるわけですし、教育や躾を与えてくれるべき親を選べないのですから、可哀想というほかありません。子供以前に親の人間性を疑うような場面に出くわすことは珍しくありません。
休日の街中などに出ると、その手の親子の横暴自己中野蛮傍若無人のオンパレードですね。

以前テレビのペット番組で『飼い主がキチンとした躾をしなければ、どんなに血統がよく、能力の優れた犬でも、ただの駄犬です。』と専門家が言っていたのを思い出します。
ましてや相手は人間の子なのですから尚更ですが。
ハッキリ言って、うちの犬(もう死にました)のほうが、よっぽどお行儀もよく我慢強くて上品でした。
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続・どうしてこのピアノを?

昨日の続きです。
「なぜこのピアノを買ったのか?」をあらためて考えてみました。

マロニエ君の愛器はカワイのGS-50という比較的大きめの中古のグランドピアノです。
このピアノに決めたのは、以前からGSシリーズの好ましい評価を耳にしていたことと、ちょうど該当するピアノがたまたま某楽器店にあったという、これもまたタイミングの力が上手く働いた結果だといえるようです。

もちろん店に行って、弾いてみて、気に入ったのはいうまでもありませんが、だからといって知人からピアノ購入の相談をされたときのような慎重さはちっともなくて、「ま、これでいいや!」ぐらいの感じでした。
自分の事って意外にそんなものかもしれません。

ただし、最初の納品先は自宅ではなく、まず懇意の工房へ運んでもらいました。
ここで一度、徹底的な調整をしてもらおうと考えたのです。
ピアノは持って生まれた器と、あとは何よりも丁寧な調整が大切だというのがマロニエ君の持論ですから、この調整には何しろたっぷり時間をかけたかったのです。技術者に家にきてもらってやれることには自ずと限界があり、運送代が嵩んでも、ピアノのほうを工房にいったん運び込むという方法を採ったわけです。

何日を要したかは忘れましたが、ともかくピアノは一度、このような入念な調整をするとしないとでは、あとが大きく違ってくるので、こうした調整によってコンディションの基礎を作ることは大切で、これはやって良かったと今でも思っています。
かくしてマロニエ君の愛器GS-50は念入りな嫁入り修行を受けた後、晴れて我が家へお輿入れの運びとなったのでした。
いらいこのピアノは元気に我が家で暮らしています。

しかし購入そのものはどちらかというと勢いの要素が強く、これってひょっとしたら結婚の動機に似ているような気がしました。既婚者は総じて結婚の理由を「勢い」だと口を揃えて言いますからね。
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どうしてこのピアノを?

ピアノのレッスンに来られた人に意外な質問を受けました。
唐突に「なぜこのピアノを買ったんですか?」と言われて、はじめは思いがけない問いに面食らいましたが、要するにマロニエ君が自分のピアノ購入に際してどういう点を評価したり、あるいは気に入ったりして、数あるピアノの中からこの一台に決したのかということを問われたようです。

この方は当ホームページをしばしば見てくださっているらしいので、マロニエ君がピアノに並々ならぬ興味を持っていることはもちろんご存じで、そんなこだわり屋が選んだピアノというからには、それなりの理由があるのだろうから、ひとつそれを聞いてやろうと思われたのでしょう。

ところがです、そんなに面と向かって聞かれてみると、咄嗟に明確な答ができるほどの理由もないことに、思わず自分でも意外な気がしました。
もちろん、気に入って、納得して買ったことには間違いありませんが、しかしそこに明瞭に人様に語ることができるほどの確乎とした理由らしい理由があるわけでもないということに、はじめて自分で気がついたわけです。

要は流れでした。
それまでサブピアノとして使っていた小型のディアパソン(170E)が、中音域のぼてっとした花びらのような音色などはとても気に入っていたものの、低音域には弦の長さに起因する克服できない限界を感じていたことが根底にありました。そこへ折良く小学生のいる知り合いの家族が、マンションなので小型グランドを探していたというタイミングに恵まれたことも大きかったと思います。

考えてみれば大きな買い物って、モノそのものの良否は当然としても、いろんな周囲の条件が整ったときに事が動くようですね。えてしてそういうものだと思います。
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ヤマハのリニューアルピアノ(追加)

「福岡の読者」さんからコメントをいただきましたが、コメントは公開しておりませんので、下記にて紹介させていただきます。
半年待たれた甲斐あって、素晴らしいピアノを手に入れられたようですね。
貴重な情報をありがとうございました。

マロニエ君
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こんにちは。いつも読んでいます。
私のヤマハグランドも実はリニューアルものです。
ピアノを買うとき最近のヤマハは出庫調整や鍵盤重さの調節が悪いといったところ、販売店がヤマハリニューアルというのがあって、程度のよいグランドを掛川工場で純正部品をつかって修理して特約販売店のみに卸している。
アップライトはいくつか協力工場で仕上げている。

グランドは出庫調整を念入りにやっていて、新品よりかなり程度がよい。築5-10年程度のものは新品より得である。
最近Cは鍵盤や筬の材質が悪く、また鍵盤棚がブッチャーというムクの組み木から合板になったので1994-2000年ころのが値段もこなれていい。
しかし、新品のピアノより安いが中古としては高くなる。それでもヤマハの保証書があるのでグランドはよく売れる。
アップライトは相場より高めなのであまり売れないが、逆に木目は相場より安いのでよく出る。
値段はおおむねそのピアノが売られたころの新品価格がめやす。

方法としては、ヤマハから特約代理店のみにリストを渡し、入札みたいにきめる。
販売店の買取なので、人気モデルにのみ入札が集中する。おおむね欲しいものが入るのには3-6ヶ月要するが人気ものは需要が多くなかなか手に入らない。
時々ヤマハの特性外装(柿の象嵌とか何周年記念品)などが流れてくる(新品価格が並みの3倍程度だったもの)。
すぐ売れるが、ヘンなもの(モダンなもの)は売れ残っている。
というわけで、我が家にも6ヶ月待ちできました。
鍵盤重さを量ると低音が50g、中高音が48gにぴったしそろっていて、なるほど新品より手が入っています。 全国的にはかなりのバックオーダーがあるようですが、そのS4はすぐ売れるような気がします。
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これが今風?

昨日は、久しぶりに会った友人と食事をすることになり、今はやりの回転寿司店に行きました。
ところが、平日にもかかわらずお盆休みはまだ続いているのか、大変な人出で、かなり待たされるハメになりました。
そこで目にした信じられない光景。

おしなべて子供の躾が悪いのは今や驚くには当たらず、あたりはさしずめ動物園のような状態であるのは諦め半分で慣れていますが、中にヨチヨチ歩きの赤ちゃんをしたい放題にさせる母親がいました。
赤ちゃんは靴下もはかない状態で、四つんばいになり、店の床を右に左にと自由に這い回り、母親は人の迷惑もなんのその、ゆるゆるとそのあとに続いて回ります。
もちろん、ここの床は飲食店の土足部分の床ですよ。

レジの横にあるお土産品にも平然と手を出していじくりまわしては、飽きるとポンと放り投げたりの連続。
この親子の家族が我々のすぐ目の前にいますが、祖父母らしき人達もたしなめるどころか、ひたすら笑顔でその光景を見守っていることにも心底呆れました。
マナー以前に、不潔とは思わないのでしょうか。

満席が続いて超多忙な従業員も、まさか床を這い回る赤ちゃんに蹴躓かないよう、ものすごく注意しながら不自由そうに往来している様子が痛いほどわかります。

その一家と、マロニエ君達は、じつは番号札の一番違いで、向こうがひとつ先。
30分近く待った後、その一家の番号が呼ばれ、程なくして我々の番になりました。
席に案内される途中で、その一家のいるテーブル横を通過した瞬間、我が目を疑いました。

なんと、さっきからあれほど床を這い回っていた赤ちゃんを、今度はこともあろうに「テーブルの上」に載せているではありませんか!テーブルの上というのは女性のハンドバッグを載せるのでさえマナー違反とされる場所なのに、床の汚れが両手両足にべっとりついた赤ちゃんをそこへポンとのせて、一家はあいかわらず平然としています。

これにはさすがに怒り心頭に発し、衛生上も問題があると判断して、店の従業員に厳重注意をしてくれるように頼みました。
それからは多少おとなしくなったようでしたが、本当に近ごろはどうかしています。
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ヤマハのリニューアルピアノ

今日、天神のヤマハに行ったら、売り場の大々的な配置転換がされていました。昔1階にあったCD類が2階に移動したのは商品が見にくくて疑問に思っていましたが、嬉しいことにまた1階に戻っていました。
楽譜や書籍は従来通りです。

これまでとは営業方針が変わったのか、楽器販売に一段と力が入ったような印象でした。
とくに意外だったのは、美しく仕上げられた「リニューアルピアノ」と称するヤマハの保証付きの中古ピアノが随所に置かれていて、新品に較べて価格の割安感をアピールしているように感じました。

ふと思い出したのですが、営業サイドでは「スタインウェイの一番のライバルは中古のスタインウェイ」とかねてより言われていたものですが、同様にヤマハも自社製品の中古品にお客さんを奪われていたという構図があったのかもしれませんね。
だからリニューアル事業を立ち上げて、中古品もヤマハの手によって仕上げ作業を施し、ヤマハの店頭で販売しようということなのでしょうか。

思いがけないピアノとしては、高級タイプのグランドS4が展示してありましたが、新品のようにビカビカですが価格は195万ほどでした。
かつてはこのSシリーズは希少なスペシャルモデルを謳い文句に、ネットや中古店等では、なんで!?と思うような法外な価格をつけていましたが、モノが少なくて比較ができないのをいいことに強気の価格設定が可能だったのかもしれません。
しかし、一般の中古ピアノ店よりも高額になるはずの、ヤマハによる仕上げ/保証つきで、しかもヤマハの店頭に置かれてこれぐらいの値段というのは、まさに適正価格の基準になるものだと思いました。

Sシリーズはこれまでの中古価格があまりにも高すぎて違和感を覚えていたところでしたが、ヤマハ自身によるリニューアル品としての価格設定となれば、高くてもせいぜいこれぐらいが「上限」ということを自ずと意味し、感覚的にも納得できました。
それでもヤマハの人の話では「一般の中古価格より高めの設定になっています。」と、やや申し訳なさそうな話しぶりでしたから、一般の中古店の価格は推して知るべしです。

こうしてヤマハが自らリニューアルピアノを手がけるようになれば、他の業者も希少モデルや売れ筋商品に法外な値段を付けて、無知なお客さん相手に高い買い物をさせることも難しくなるでしょうから、ひとつの安全尺度ができたような気がします。
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ストラディヴァリウス

音楽の先生と友人と三人で食事をしました。
そこで興味深い話を聴きました。

さる場所で行われたヴァイオリンのマスタークラスを聴き入った折、高名なヴァイオリニストである先生の使うヴァイオリンが、かのストラディヴァリウスだったそうですが、休憩時間はその歴史的名器をポンとテーブルに上に起きっぱなしだったので、ここぞとばかりつぶさな観察をしたらしいのです。

はたして驚いたのは、まずネック(上部の調弦をするさらにうしろ)部分などは、流麗な渦巻きのようなカーブの内側のさらに内側のちょっとノミが入りそうもない部分にまで精緻を究める細工がされているらしく、それひとつとってもどうやって制作されたのかと思ったとか。

また全体の木の目は、すべての幅が一ミリぐらいの猛烈に細かいものを使われていたとのことでしたから、これはよほど北イタリアの寒い高地だけにある厳選された素材が使われたことであり、同時に200年以上前はそういう木を切って楽器制作に供することができた良き時代であったというのも感じざるを得ません。

またヴァイオリンを正面から見た場合、左右対称かと思いきや、さにあらずで、微妙に左右のふくらみやカーブの加減が明らかに違っていて、ストラディヴァリがわずかな加減を自分の経験で微調整しながら制作したことが窺えるのだそうです。
また表裏にある楽器の隆起についても各部分がそれぞれが大きさや高さが微妙に違っていて、低音、高音その他の目的に完ぺきに適うように、まさに神業的に作られているということに驚いたそうです。
弦の左右にあるF字溝(この字でいいのか?)も左右対象ではなく、微妙に二つはずれているのだそうで、それに加えて膠の秘密などもあり、そういうものの総体的なバランスがストラディヴァリウスのあの輝かしい音色を作っているのだと思うと、まさにこれは神の領域という気がしました。

やはり楽器の世界というものは尋常一様なものではないということのようです。
とくに弦楽器のような構造の単純なものになればなるほど、謎と神業の関係が複雑になるということかもしれません。
それから見ればピアノなど、まだまだ工業製品の要素がうんと強い楽器に思えました。
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ちょっと大げさすぎません?

今日は久留米の石橋文化センターでの「ぴあのピアのイベント」の日でしたが、折からの台風でぎりぎりまでどうなることかと気を揉まされました。

テレビの台風情報によると夕方から夜にかけて福岡地方は暴風雨という言葉が何度も飛び出して、いやが上にも不安は募ります。映し出される台風の進路図を見ると、今まさに福岡の北を通過しつつあるのに、音声では「北部九州に最も接近するのは今日の夕方から夜にかけて猛烈な風と雨!」「じゅうぶんに警戒してください」などと連呼しています。

さらには中継の映像が出て、東区の波打ち際に防災服にヘルメットを被ったレポーターが立って「だんだん波は高くなり、風雨も強まり、立っていくるのがかなりきつくなってきている状態です!」などと緊迫した様子でしゃべっています。

しかし、外を見るとたしかに風は多少ざわついてはいるものの、とてもニュースの言っている状態とは程遠い感じです。ちょっとおかしいという気もしましたが、やはり「これから最高潮に達するのでは?」ということもあるだろうと思い、参加予定者に連絡をとったりしましたが、ともかく様子を見てと言うことになりました。

果たして家人の心配をよそに、ともかく無理をせずに出かけることにしましたが、出てみるとさほど大したことはありません。結局、車はスルスルと何事もなく久留米を目指し、高速道路もほとんど通常通り。
到着の頃には風らしい風もなく、肩すかしをくらったようです。

あとは皆さんご存じの通りで、二時間後にホールを出てきたころには雨もきれいに上がり、それから食事に行きましたが、天気はいよいよ安定し、なんとも平穏な空模様でした。

一時はよほど中止にしようかとまで考えましたが、そうしなくてよかったとつくづく思います。
そして感じたことは、近頃の台風報道はいくらなんでも大げさに視聴者を煽りすぎるのではないかということです。
あんなに緊迫感をもって御大層に連呼されたら、真に受けて大事な予定をキャンセルして、あとから立腹する人も多いはずです。

結局、ニュースの言葉より、台風進路図のほうが正確だったようでした。
安全を期してというのはわかりますが、もう少し正確な報道をしてほしいものです。

イベントの詳細はイベント報告にレポートします。
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店選びの明暗

ちょうどお盆休みで東京の友人が帰福していたので、久々に糸島のピアノ工房に行きました。
この不景気をよそに工房内にはピアノが10台以上あり、その中には納品待ちのものも数台見かけました。

まもなく購入者のもとに届けられるというヤマハのC3も、スカッとした仕上がり状態で、ここのご主人の迷いのない良心的な作業スタンスを感じます。
ほぼ完全なオーバーホールを施された状態で、主な消耗品は新品に交換されており、弦やハンマーには輸入物のパーツさえ組み込まれているのは、巷でいうところのスペシャルバージョン仕様です。
ハンマーはさりげなくレンナーを装着して、余分な響きを排した芯のある明晰な音に仕上がっていました。
残る作業は黒鍵を黒檀に交換することだそうで、まさに「スペシャルピアノ」です。

そのピアノの価格を聞いておどろかされました。
具体的な金額は書きませんが、およそこの手のリニューアルピアノの一般的な相場からは遠くかけ離れたもので、おまけに運送費まで込みの低価格には呆れるばかりでした。
こういう良質なピアノをそんな価格で手にできる人は、国内にもわずかしかいないはずで、なんともうらやましい限りです。

入荷した中古ピアノにほとんど何もせず、チョチョッとボディを軽く磨くだけで、ちゃっかり相場価格で売りさばいていく店も決して珍しくない中、ここまで手を入れた良質なピアノを提供する店もあるということは、中古ピアノほど店選びがものをいう世界もないということでしょう。
それによって購入者のその後の運命が大きく変わるといっても過言ではありません。

このC3は無論のこと、ここの非売品のカワイのセミコンも、そのタッチがまた憎らしいほど素晴らしいものでした。
ここのご主人の作り出す軽やかでしっとりしたタッチは、昔から一目置くに値するものがありましたが、このところいよいよ磨きがかかってきたらしく、奏者の快適な弾き心地というものをより深い領域まで追い込んだ観があり、改めて感銘を受けました。

ピアノの命が音であることは言うまでもないとしても、弾く者にとって理想的なタッチは、演奏という現実の物理行為においては何物にも代えがたい直接的重要性があります。
理想的なタッチは、奏者に新たなイマジネーションをもたらし、音楽の間口と可能性を押し広げるものだと言えるようです。
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クライバーン・コンクールのピアノ

書店でクライバーンコンクールの本を立ち読みしていたら、コンテスタントの使用できるピアノは三台あって、ハンブルク・スタインウェイ/ニューヨーク・スタインウェイ/そしてもう一台はクライバーン・スタインウェイといわれるピアノだそうです。
出場者はこの三台の中から、自分に合ったピアノを与えられた時間内に選び出してコンクールに挑むわけです。

クライバーン・スタインウェイはもとはニューヨーク製ですが、ニューヨーク製の流儀に反して黒の艶出し塗装された楽器で、テレビやネット動画で見ても、なかなか良い音を出すピアノだと思っていました。
ニューヨーク・スタインウェイのレギュラーの塗装は、艶消しのヘアライン仕上げというもので、この点でもハンブルク製の艶消しとは仕上がりが異なります。

外観には、三台それぞれの特徴が明確にあるので、youTubeなどで見ていても誰がどのピアノを使っているかは一目瞭然で、容易に区別がつくのがありがたいところ。
ちなみに、優勝した辻井さんは一貫してこのクライバーン・スタインウェイを使っていたようです。

それにしても「クライバーン・スタインウェイ」とは何でしょう?
単純にクライバーン個人が所有するスタインウェイということか…と思いますが、あるいはクライバーンの所有でなくても、彼が特に気に入っているピアノということかもしれませんね。

最近のニューヨーク・スタインウェイで感心しないのは、演奏中のピアニストの顔が正面から映るように、カメラがピアノ後部からのアングルで撮影した場合でも、はっきりピアノのメーカー名がわかるよう、ピアニストの顔の左下あたりの必ず画中に映り込むポイントのフレームに、「STEINWAY」という真っ黒いゴツい文字を入れたことです。
いくら宣伝第一でも、そんなことをしてまでなんになるというのか!
世界に冠たるメーカーがこの悪趣味はいただけません。
ちなみにクライバーン・スタインウェイにもそれは入っていました。

ハンブルクではまだ一度も確認できませんから、おそらくはニューヨーク製だけの特徴のように思いますが。
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プレトニョフのベートーヴェン

日本の音楽評論の最高齢にして御大、吉田秀和氏の著書を読んでいたら、ロシア・ナショナルフィルをバックにプレトミョフのピアノ独奏による、ベートーヴェンピアノ協奏曲全集のことが書いてありました。

実はこのうち2番と4番の入ったCDはマロニエ君も以前購入したものの、一聴して、そのあまりのイレギュラーな演奏には、たちまち拒絶反応を覚えたものでした。ピアノはもとより、モダン楽器のオーケストラまでもが妙に古楽的な演奏をして、やたらとするどいスタッカートなどを尖鋭的に入れてきたり、へんなところで強烈なアクセントがついたりというのが神経に触り、どうにもついていけないわけです。
とくにピアノの異様さといったらありませんでした。
もしやマロニエ君の耳が固定観念に凝り固まっているのかと思い、我慢して2、3度は聴いてみたものの、ついにこの演奏と和解することはできず、いらいこのCDは棚の奥深くで眠りにつきました。

マロニエ君的には、2番はまだいくらか許せるとしても4番は到底受け入れられないというか、はっきり言うなら許しがたい演奏だったから、果たして御大はなんとコメントしているのか興味津々だったわけです。

果たして吉田氏は結論から言うといろいろな言い回しをして「面白かった」「楽しんだ」と言っておられます。
そのかわりかどうかはわかりませんが、宇野功芳氏の評論を引き合いに出されます。
宇野功芳氏は「第1、第2協奏曲はおもしろい、しかし第4はいくらなんでも行き過ぎだ」とされているらしい。
これを読んでほっとしたというか、当然だと思いました。

ちなみに吉田氏は最後にこう書いておられました。
『私はプレトニョフで聴いたあと、内田光子さんとブレンデルのCDでも、第4協奏曲を聴き直してみた。きれいだった!』

これがきっかけになって、久々にこのCDを引っ張り出して、もう一度虚心坦懐に聴いてみました。
しかし、やはり印象は同じ。2番はまだいくらか許せるが、4番受け入れられませんでした。
こういう4番を聴いて面白く楽しめるようになるには、よほどの寛容の心と懐の深さが必要なようです。

ちなみにこのCDでは、非常に珍しいことにピアノはブリュートナーのコンサートグランドが使用されていて、このピアノで聴くベートーヴェンの協奏曲という観点では、大いに「面白かった」し「楽しめ」ましたが。
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横浜からきたシトロエン

友人がついに車を買いました。
かねてより懸案中だった買い替え騒動でしたが、地元にあったルノーがダメになり、仕切り直しの結果、関東地区で条件の良い車が見つかり、さっそくにも横浜まで見に行ってきたようです。
候補になる車を事前に数台リストアップして行ったようですが、たまたまマロニエ君が発見したオークションに現れた一台に決まり、なんだか情報提供者としては責任を感じます。

土曜に一泊し、日曜の朝に購入を決定して、その足で福岡を目指して高速道路をひた走ってきたようで、こういうときこそ1000円高速は真価を発揮するようです。
昼前に横浜を出発し、途中食事をしたり仮眠をとったりで、結局着いたのは明け方の4時ごろだったとか。
で、今日はさっそく車のお披露目となりました。

夕方、我が家にその車で迎えに来てくれ、下に降りると本人ともう一人の友人は助手席と後ろに座ってニヤニヤ笑っていました。さっそく運転してみろということで、久留米まで食事がてら走りました。

言い忘れましたが、買った車はシトロエンC5のワゴン、3.0Lで6AT、内容はダークグレーの革張りで、ハードディスクのナビゲーションやETCまでついています。
パワーがすごくあるので、高速ではどこまでも吸い込まれるように加速していく感じですが、この車も最大の魅力はハイドラクティブ・プラスという高度な電子制御による油圧サスペンションで、通常の柔らかい足回りにもかかわらず、高速での大きなうねりや揺れが一発で収束して、あくまでもフラットな姿勢を維持するところは感銘を受けました。

今週末には自分で名義変更をするようですが、車庫証明が下りれば簡単です。
わけのわからない手数料を取られず、こういう車の買い方もあるということです。
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激安!譜面台

譜面台を買いました。
ごくたまに歌やフルートなど合わせものをやるときに、マロニエ君の家には独立した譜面台がないので、いつも不自由していたのですが、自分の受け持ちでもない楽器のためにわざわざ買い揃えておくのもなんとなく気が進まず、ずっとそのまま手は打っていませんでした。
ところが偶然、激安品を発見!

なにげなくネットを見ていると、金属製のオーケストラが使うような折り畳み式のシンプルな譜面台が、なんと840円で出ていました。
近々友人とアンサンブルをする予定があるので、これなら買っておいてもいいと思ったわけです。
ところが通販では送料がまったく同じ840円かかり、気分的にちょっとばからしいと思っていたら、ラッキーなことに車でなんとか行ける距離の店だったのでさっそく行ってきました。

果たして、中国製ですがなかなかちゃんとしたもので、折り畳みはむろんのこと、高さ調整もできれば角度も自由、おまけに肩にかけられるソフトケースまでついていてびっくりです。

今になって、もう一つ二つ買っておいてもよかったな…という気がしています。
プレゼントにもいいですし、もう一回行って来ようかと思っています。

ひさびさに良い買い物ができました。
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たたり?

今日はピアノサークルの定例会と懇親会で、今しがた帰宅しました。
といっても、今回は定例会には行けずに、懇親会のみの参加でしたが、結果的には行くには行ったものの、じつは大変な経験をさせられたのです。
昨夜、新しい本を買ったので、寝床に入っておもしろいので読書していると、最初は気付かなかったのですがだんだんと顔に違和感を覚えるようになりました。はっきり自覚できるまでにはさらに時間がかかりましたが、最終的にそれは勘違いでもなんでもないことが判明するのです。

なんと、顔の右半分、とくに頬から口のまわりが急に腫れているのです。
これといって思い当たることはもちろんなにもありません。
指先で触ると明らかに右頬から口元にかけて皮膚が硬直し、よくよく確認するとはっきりと右側だけ皮膚が硬くぶ厚くなっていました。恐る恐る鏡を見ると、果たしてあきらかに顔に普段とはちがう腫れと歪みがあって、真夜中のことでもありなんともいえない嫌な気分になりました。とりあえず痛くも痒くもなく、強い違和感を覚えるだけなので、なんとかそのまま放置して就寝しました。というよりそうるよりほかにどうしようもなかったというのが正直なところです。

朝起きると、腫れはいよいよ成長し、すでに人相が変わりかけていました。
下に降りてそのことを家人に話すと、さっそくかかりつけの病院に連絡。その結果、すぐにも皮膚科に行くようにという指示が出て、ただちに近所の皮膚科に行きました。
果たしてこれは蕁麻疹の一種だそうです。
腫れを引かせるため、大きな動脈注射を打たれて、帰宅したことろには僅かながら腫れが減少傾向に向かい始めたようでした。

それからこの日の予定もすべてキャンセルして半日間、おとなしく安静に過ごした結果、かなり腫れは退いて、なんとか外にも出られるようになり、結果としてピアノサークルの懇親会にだけは参加できたというわけです。
まだ完全ではなかったから、もしかしたら気がつかされた方もいらっしゃったかもしれません。

先日の草戦争の薬物投下で、「うらめしやマロニエ殿…」などと書いたので、本当にお草さんのたたりかと思いました。いやほんとうに…。
このブログを書いている最中も若干の違和感はありますが、ほぼ収束したと言えるようです。
でも、「顔が腫れる」というのは、想像よりもはるかにショッキングな耐え難いことだという貴重な体験ができました。
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コンサートのお知らせ

突然、外出中の携帯に東京の友人から電話がありました。
いささか上気した様子で、なにかと思ったら、あるフルートのコンサートに行って、そのあまりの素晴らしさに驚いたとのことでした。しかもその人が今度の日曜日、福岡でもコンサートをやるので、行けるなら必ず行くようにとのお達しでした。

その名は「デニス・ブリアコフ」というフルーティストで、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者らしいのですが、その超絶的なテクニックと圧倒的な演奏によって、東京でのコンサートでは会場が普段ないような興奮状態となったらしいのです。

福岡でのコンサートは以下の通りですので、お気が向かれたらぜひどうぞ。
マロニエ君も極力行くつもりです。

それだけの人がなぜ早良市民センターホールという、ふだんあまりコンサートには使わないような、しかも都心からややずれたマイナーな会場でやるのか、理由は良くわかりませんが。

日時:2010年8月1日(日) 14:30開場 15:00開演
会場:早良市民センターホール

料金:全席自由 一般:3000円 高校生以下:1500円 ※当日各500円up

プレイガイド 福岡音楽文化協会   TEL092-414-8306
チケットぴあ      TEL0570-02-9999(Pコード:106-586)
ローソンチケット    TEL0570-084-003(Lコード:89752)

出演者 フルート:デニス・ブリアコフ  ピアノ:大迫 貴
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草戦争-戦況報告

草戦争のその後です。
除草剤を散布した翌日などは、一向に変化らしきものは見当たらず、これは効果なしかと思っていたところ、それからさらに数日たったころから徐々に色が変わり始め、憎き雑草の勢いがみるみる衰えて行きました。
やはり効果はあったのです!

哀れ雑草軍団は4~5日で一気にやせ衰え、色も以前の憎々しいようなつやつやとした緑色が日ごとに褪色し、その後はすっかり茶色になっていきました。
この機を逃すまじとばかりに、除草剤を追加して、一気に庭の雑草の生える残り部分にまでふりまきました。
さらにそれから数日たった頃には、ほとんど緑色はなくなり、雑草の残骸だけが残っています。

梅雨明け直後のころは、庭用のサンダルで歩くのも、下手をすれば蛇など出て来そうなぐらい雑草の背丈も伸び、長靴が欲しくなるほどでしたが、それがうそのようになくなり、一面茶色の土地によろよろと草の死骸がのこっているだけとなりました。
さすがに化学薬品だけのことはあり、怖いといえば怖いのですが、以前のあの草の暴力的とでも言いたい猛威を思うと、もはやそれでもなんでもかまわないという気分です。
べつに野菜を作るわけでもなし、いまはただ勝利の美酒に酔っております。

やはり除草剤というのは大したもので、どんなにマロニエ君が青筋立てて草取りに血道をあげても、到底かなうものではないので、作戦の変更はまずは成功だったといえるでしょう。
ちょうど庭の草の色が変わってきたときに、NHKで男と女の…なんとかいう番組で、東海道四谷怪談をやっていていて、毒を盛られたお岩さんの顔が崩れだし、それを鏡で見て狂乱する歌舞伎のシーンがありましたが、しみじみと薬物の威力というものを感じ入っているところです。

変化がほぼ落ち着いたところで、伸びている草をざっと取り払ったところ、果たしてそこはうすい茶色の絨毯のようになり、ひとまず化学兵器投下作戦は完了のはこびとなりました。
『ただ恨めしきはマロニエ殿ぉ…』という勘三郎扮するお草さんの声が聞こえてきそうです。
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ゴルフは本当の高級車

友人の車買い替えに付き合ってルノー・ラグナに試乗して好感を得たことは、以前ブログに書きましたが、そのときはエアコンが故障しており、修理された状態で再度検討するということになっていました。
それから数週間が経過し、修理が完了したという連絡を受けて、再び車屋に友人二人とマロニエ君の三人でいきました。さあ、試乗開始という段になってみると、問題のエアコンからは一向に冷風が出ておらず、これには店主もたいそうな慌てぶりでした。
が、ともかくそれではどうしようもないのでその場は店を引きあげました。

友人も一度ならず二度までもエアコンが故障とあっては、かなり熱も冷めてしまったようで、結局、他の車を見に行くことになりました。
まずシトロエンのディーラーに行き、最新のC3/DS3Sなどを見るが決め手なし。マロニエ君的にはフラッグシップのC6のたとえようもないエレガントな佇まいに魅せられましたが、お値段も大変なものですから見るだけ。

続いて、ついでに日本車も見てみようということになり、普段はまず行くことのない日産なんぞに行ってみました。試乗車として外に置かれていたティーダに乗ってみましたが、デビューから時間も経過しており、インパネのデザインが古いことや、走行感覚も見た目よりかなりチープなもので、これではとても小さな高級車などとは言えないことが判明。ティーダは以前から少し興味はあったものの、一気に冷めました。
試乗後は、ショールームの中にあったキューブになにげなく座ってみたところ、その広大な居住空間、柔らかなシートなど、こういう車もあるのかと、予想だにしなかった驚きがありました。欲しいとまでは思わないまでも、いちど是非運転してみたいものです。たまたま試乗車がありませんでしたが。

続いてプジョーのディーラーへ。ショールームを一巡したのち、207の中間車種に試乗。プジョーはもともと猫足といわれるように、しなやかな足回りで小気味良いスポーティードライブができるのが特徴でしたが、この207ときたら、やたらめったら引き締められた固い足回りのせいで、ボディは絶えず小刻みに揺すられ、まるでスポーツカーのような乗り味でした。特別のスポーティバージョンでもない通常のカタログモデルであれだけの固い乗り心地というのは、到底なっとくできるものではありませんでした。
たしかに一定の質感はあり、その点ではただブカブカした乗り味のティーダなどとは一線を画するものがありましたが、あんなに始終揺すられるのはなんにしろ疲れていやですね。

さらにもう一軒、フォルクスワーゲンに行き、最新のゴルフとポロを観察して、ゴルフのTSIコンフォートラインに試乗しました。そうしたら、これがとんでもなく良くできた車でした。ドイツ車は骨太でゴツくて無愛想などというのは昔のイメージで、非常にあたりが柔らかく、しなやかで、しかもたったの1.4Lにターボなのにものすごいパワーがあり、大人の男4人を乗せた状態でもグイグイと力強いパワーを生みだします。上り坂でもちょっとひと踏みで100km/hなんてあっという間で、しかもスタビリティ(安定性)も操縦性も文句なしで、いやはや舌を巻きました。おまけにプリウスに迫る高燃費と来ていますから、もう呆れるばかりです。
後ろの席はシートの座面も平坦で乗り味もやや落ちますが、フロントシートにいる限り、運転席でも助手席でも、そのフィールはまさに高級車のそれでした。
いまのゴルフは下手なベンツやBMWよりよほど上質な走りをする、本物の高級車だと心底思いました。あんな緻密な走りをして、エンジンはすごく静かで、速くて、それでいて外観はしれっと地味なゴルフなのですから、これは大した車です。

このゴルフの何台分もの金額を払って、意気揚々とベンツやBMWに乗っている人に、ゴルフのハンドルを握らせたら、何というか聞いてみたいものです。
もちろん、ブランドやマークだけで乗っている人には、どうでもいいことでしょうけれど。
一気にいろいろ乗れて、久しぶりにいい勉強になりました。
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ルイサダ=× CFX=◎

なんとも猛烈な暑さが続きますね。

昨日はジャン=マルク・ルイサダのリサイタルに行ってきました。
当初は行くつもりはなかったのですが、レコーディングにまでヤマハを愛用するルイサダのこと、デビュー間もない最新のコンサートグランドのCFXを使用するのでは?という予感がしたのでヤマハに問い合わせると、果たしてその通りだったために、このピアノの音を聴く目的ができたのでチケットを買いました。

ムッシュ・ルイサダは、少しは意外な良さを見せてくれてもいいのにと思うほど、マロニエ君のマイナスの予想通りの演奏をしてくださって、はああ、もう、ぐったりこってりきました。
マロニエ君は、なによりまず、プロの下手くそというのが大嫌いなんです。

ルイサダは音楽に関して、とりわけショパンのスペシャリストとしては、おしゃべりをさせれば一家言あるのでしょうが、悲しいかなテクニックがかなり劣り、それでいて高い音楽性があるかのごとく強調したいのか、表現がバラバラで、くどくて、聴いていて苦しくなりました。
お金を出して、時間を使って、せっせと出かけて行くからには、なにかしらいい気分にさせてほしいものですが、わざわざこういう不快なパフォーマンスにお付き合いさせられるのが嫌なのです。

とくに及ばないテクニックと、もっともらしい解釈の、辻褄を合せようとした不純な演奏というのは哀れを覚え、不快感が募ります。

それにひきかえ、ヤマハのCFXは予想以上にいいピアノでした。
ちょっとびっくりです。
ピアノに関しては久々に清々しい気分で満足できましたから、ヤマハのお陰で出かけて行った価値は十分にありました。

これに関しては「マロニエ君の部屋」に改めて書くつもりですので、ここではこれぐらいにしておきます。
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草戦争、ついに化学兵器へ

今年の5月ごろからマロニエ君が我が敵と思い定めて戦っているもの、それは憎き雑草です。
一時は完ぺきに殲滅してやろうと何日がかりで草取りに精を出ました。
屈んだ体勢での数時間にわたる連続作業を数日間繰り返すため、腰は傷め、血流不順で頭はフラフラ、失神寸前。
それでも努力の甲斐あって2~3度は当方の輝かしい勝利気分が味わえたものです。

ところが梅雨が到来し、降って降って降ったあげくの直射日光。
これを幾度か繰り返しているうちに敵は見る見る盛り返し、あっという間に形勢逆転してきました。
それでも梅雨のうちは作業を諦めていたところ、これが祟って、はれて梅雨明けを迎えたころには、あたりはもはや一変していました。

かつて勝利気分を味わったあの光景は見る影もなく、そこは所狭しとびっしり生い茂る雑草のジャングルと化しています。
しかも、数回にわたって完ぺきに近い草取りをやっていたために、生えてくるのはいかにも若々しい、活きのいい、青くつやつやとした雑草ばかりです。
まさに立錐の余地もないほどびっしりと生えそろい、その合間合間に上の木から落ちてきた実が芽を出して、雑草と新芽に完全に占拠されためちゃくちゃな状態となりました。

果たしてマロニエ君は暑さに弱く、湿度に弱く、蚊に弱く、とうていこの状況下で再戦を挑む気概は失っておりました。
それに、抜いても抜いても際限もなく無尽蔵に生えてくる敵のしたたかさは身に滲みてわかっていますから、これ以上戦っても当方の戦力を疲弊させるのみということが容易に判断され、ついには恐ろしや化学兵器の投入を思いつきました。

ホームセンターで該当品を購入し、梅雨明けを待ちました。
梅雨明け宣言と同時に照り返す容赦ない焼けるような直射日光は、まるで雑草どもの傍若無人を誘いこむようにみえました。
そこで間髪入れず散布開始。
中型容器を完全に使い切りましたが、さてさてどうなりますことやら。
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無名読者からのコメント

「マロニエ君の部屋」の読者の方から、ブログのコメント欄を利用してカワイのグランドピアノの変遷について、下記のようなアドバイスが寄せられました。
マロニエ君は勝手ながらブログでのコメントのやり取りはしない主義なので、このままでは返答ができませんし、大変参考になる内容ですので、原文のままご紹介します。

カワイピアノの系統については
http://www.kawai.co.jp/piano/grand/rx/pdf/GP_20100112.pdf の11ページをみていただくとわかります。
オオシロにある700号はKGの前の800号と同世代で独立アリコートをもつものがあります。
その後KGは普及品としてベヒシュタインのコピーのアリコートなしといったん品質が落ちます。ディアパソンの劣化版コピーです。KGの品質はずっと問題がありました。いわばディアパソンの量産性をあげた粗製濫造の気配があります。
一方S&Sの影響を受けた手作りセミコンGS(シュワンダー)が登場、その後量産品CA(ヘルツ)となります。
フルコン800号はd174とCFの影響を受けたEX(ヘルツ)となり、途中手作りのセミコンRX-A、R-1が出現します。 KG(シュワンダー)は最終型KG-N(ヘルツ)からベヒの影響を脱出、CAと合体してアリコート付となります。
このころカワイはボストンを作ることでS&Sの秘密を握ります。 その後KG-NはRXと名前がかわりますが、フレームは角穴のまま。
1999年にRXはスケールデザインがかわり、丸穴となりピン板付近に左右を縦貫するフレームが登場しヤマハのCに似たデザインとなります。同時に高級版SKが誕生します。SKはRXより手作りが多く、寝かした材料を使って整調、整音、鍵盤ダンパー錘が一品一品に調節されたものです。
したがってお持ちのGSはシュワンダーながらセミコンの作りなのでいいピアノです。アクションはディアパソンの木製ヘルツ式のウイペンに変えることができますよ。作りのよいGSを弾かれていたので他のピアノの良し悪しが良くわかるのだと思います。
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バックハウスの新譜

実に思いがけないCDが発売されたので、さっそく購入。
なんとバックハウスが死の3か月前にベルリンで行ったコンサートのライブで、これまでまったくその存在すら知られておらず未発売だったものです。
2枚組の収録曲はベートーヴェンのピアノソナタ4曲で、第15番ニ長調Op.28『田園』/第18番変ホ長調Op.31-3/第21番ハ長調Op.53『ワルトシュタイン』/第30番ホ長調Op.109というもの。

この演奏時、マエストロは85歳という高齢にもかかわらず、例のあのくっきりとしたとした調子で、時には情熱的に、時にはリリックに、総じて雄渾にベートーヴェンを弾いているのはほとんど信じがたい事でした。
デッカに残したあの名盤のような完成度こそないものの、素晴らしく鮮やかな録音により、生きた生身の老巨匠が今まさに目の前の至近距離にいるようで、こういうものを聴くとあらためて録音技術の発達には惜しみない感謝を送りたい気分になります。

使用されたピアノがまた嬉しい誤算で、バックハウスのピアノはベーゼンドルファーというのは、もはや常識中の常識で、この両者を引き離すことはできないものと思っていましたが、なんとこのコンサートではベヒシュタインを使っています。一流のピアニストになると楽器の個性を超えて「その人の音」というのをもっているものですが、ベヒシュタインを弾いてもバックハウスは自分の音を無造作に鳴らしているのはさすがだと感心させられました。

それでもベーゼンドルファーにある柔和さと引き換えに、ベヒシュタインの単刀直入なドイツピアノの音は個人的にはより鍵盤の獅子王と言われたバックハウスにはとても合っているように思えました。

それにしても、バックハウス、ベートーヴェン、ベヒシュタイン、ベルリンとまさにのけぞりそうなドイツずくめで、これだけ条件が揃うのも珍しく、ヒトラーじゃなくてもドイツ万歳!という気分になりました。
スタジオ録音では聴かれなかったワルトシュタインでの一期一会のような生命の燃焼は圧巻で、この日から3カ月を待たずにあの世の人になろうとは…。
最近は、ときどきこういう思いがけないものが発売されるのは単純に嬉しい限りですが、マロニエ君のCDエンゲル係数は上がるばかりなのが我ながら恐ろしくなります。
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ブリュートナー!?(補足)

ニュウニュウのショパン・エチュードのCDですが、私がメールをいただいた方の中では、未だにあんな音がブリュートナーだとは納得しておられない方もいらっしゃいます。ブリュートナーのこともご存じのその方は「ブリュートナーはもっとしなやかな音がする」と言われるのです。
マロニエ君としては音の良し悪しは別にして、ブリュートナー社が出しているCDと聴き比べてみて、音の本質は同じもののように感じたというのは昨日書い通りですが、あくまでマロニエ君の耳にはそう聞こえたというだけですから、むちろん断定はできません。

思うに、もし本当にブリュートナーは使っていたとしても、仮定ですが、中国のピアノの調整にも一因があるのではないかと思いました。
マロニエ君の部屋の「中国のピアノ」でも書いているように、中国におけるピアノの調律センスというのは、ちょっとまだ我々には信じられないぐらい遅れている面があると感じています。

もちろん中には上手い人もいるかもしれませんが、でも、しかし、土壌全体がもつレベルというのは厳然とあるわけで、ピアノ店などに行ってもそれはもう笑ってしまうようなことが多々ありました。というか、これまで行ってみたピアノ店は全部それでした。(唯一の例外は北京で行ったスタインウェイの店だけでした。)

さらに想像ですが、だからジャケットの表紙のブリュートナーの文字を消したのは、日本のブリュートナーの輸入元あたりが「あれでは困る」というわけでメーカー名を消すことになった、というようなストーリーまでつい勝手に考えてしまいました。
いずれにしても、いただけない音であることには変わりはないと思いますが。
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ブリュートナー!?

拙文マロニエ君の部屋に「今年聴いたショパン-No.6ニュウニュウ」で、どう聞いてもピアノの音が納得がいかないからきっと中国のピアノでは?と書いていたところ、ブログのコメントに名も無きお方からお知らせをいただきました。
それは中国盤のジャケット写真で、そこにはニュウニュウ君がポーズをとるピアノの蓋にブリュートナーの文字がはっきりと写っていました。
日本盤のジャケットも全く同じ写真ですが、そこは黒く塗りつぶされており、ピアノのメーカーがわからないように処理されています。なぜそのようなことをするのか不可解ですが。

さて、写真のピアノがブリュートナーとしても、それが必ずしも使用ピアノと同一とは限らないこともままあることなので、確認のためにブリュートナー社から発売されているCDを聴いてみたところ、まぎれもなくニュウニュウがショパンを弾いているピアノの音と同じ音質で、これにはさすがに呆気にとられました。

さっそくブリュートナーのホームページにアクセスして、ジャケットのいくつかの写真を手がかりに探したところ、Supreme Edition 210cm という機種であることがほぼ特定できました。
コンサートグランドではないという点だけは当たっていましたが、まさかライプチヒのピアノとは思いもよらないことでした。
言い訳のように聞こえるかもしれませんが、たしかにブリュートナーってドイツのピアノにしては線が細くてしまりのない音なので、マロニエ君はごくわずかな経験しかありませんが、あまり好みのピアノではありませんでした。あれならば日本の同サイズのピアノのほうが数段好ましく思いますし、レコーディングに使うべきピアノとは今でもとても思えません。

中国人だから中国のピアノならまだわかるのですが、なんでまたわざわざそんなピアノを使ったのか、いよいよ不可解は募るばかりですが、お陰でともかく真相が究明できてよかったです。

お知らせいただいた方は、メールをいただいたのであればお礼のメールも出せるのですが、それもできない為、とりあえずこのコメントをお礼に代えさせて頂きます。
お知らせ頂きありがとうございました。
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店内は昭和

今日はちょっとした冒険をしました。
以前から前を通って気になっていた店に行ってみたくなり、一人ではもちろん嫌なので友人を連れ出しました。
南区清水にあるハローコーヒーという店です。
パッと見はいかにも古臭い、いまどきもうあまり見かけないセンスの派手な喫茶店という感じですが、店自体が結構大きいので、いつ通っても、妙に存在感があってとても目立つ感じだったのです。
それと気にかかっていたもうひとつの理由は、いつもお客さんが結構来ているみたいで、深夜でも必ず何台か車が止まっていましたので、それなりの人気があるのだろうという気がしていたのです。

というわけで、まさに冒険開始!ついにその店のドアを開けました。

店内はだらんとした茶色基調のある程度想像通りの雑然とした雰囲気で、一言でいうと古いのです。
まさにそこは「昭和」という感じで、あえてそれをウリにしているのだろうと思います。
まだ山口百恵あたりが現役で、携帯やパソコンなんて無い時代にタイムスリップしたようでした。

メニューを見ると、基本はコーヒー店であるのは間違いないのですが、それよりもはるかに豊富で色とりどりに目に飛び込んでくるのが食事のメニューでした。
内容は、主にハンバーグ、海老フライ、ステーキ、ピラフ等々…昔懐かしい「日本の洋食」という世界といえばいいでしょうか。その手のメニューがざくざくあって、選ぶのが大変です。

とりあえずハンバーグとポークのソテーが組み合わせられた料理を注文しましたが、だいたいどれを頼んでもスープとライスがセットになっているようです。
カウンターの脇にスープとライスとコーヒーのセルフサービスのコーナーがあり、注文した品々はここで好きなだけ自由に取っていいらしく、こういうところは結構豪快です。

果たして味は、これも想像通りといいますか、とくべつ美味しくてガッツポーズ!というほどでもなければ、不味くてがっかりということでもない、そんな感じの味でした。それでもハンバーグはこの店の自慢のようで、ちょっとした美味しさは伝わりました。

驚いたのは、決して大入り満員というわけではないものの、次から次へと確実にお客さんがやってくることで、今どきのファミレスとは一味違うこの店は、静かなファンを獲得しているようでした。

食後にコーヒーとシフォンケーキのセットを注文しましたが、なにもかも自前で作っているという感じでした。
デザートなしなら、千円以内で満腹できるメニューが大半です。
「お食事リンク」に追加しておきますので、みなさんもお気が向いたら覚悟の上でどうぞ。
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変わらないでほしいもの

夕方、天神に出たついでにヤマハによってみようと思い立ち福ビルに入ったところ、中央のエスカレーターの昇り口に立て札がしてあり、エスカレーターが動いていないことで思い出しました。二階三階に陣取っていた書籍の丸善が6月末日をもって閉店したのでしたのが、ついに現実の形となっていました。
正確に言うと、新装成る博多駅に移転するということのようですが、なんであれ天神の一等地の大きな売り場が2フロアもまた空いてしまったことに変わりはありません。

旧岩田屋本館が数年間、空き家状態だった天神の暗い象徴が、今春やっとパルコとして復活したと思ったら、また道の向い側がこのような状態になってしまったのはなんとも暗い気分になるものです。
となりのビルにあった紀伊国屋書店も数年前に別の場所へと去って行きましたから、大型書店が次々に姿を消すのが近年の天神の特徴のようです。
それにしても、ビルの一階中央にあって動かないエスカレーター、そこに続く上は暗く眠ったような気配が立ち込めるというのは良いものではありませんね。

このビルの一階に限って言うと、この天神の中心的なビルの入居店舗はマロニエ君が子供のころから数十年にわたってほとんどその顔触れは変わりませんでした。
それがこの数年というものちらほらと変化があり、少しずつ居並ぶ店の景色が変わってきました。
押し寄せる時代の波はもちろん、経営者も年をとり内から外から様々な変化があったのでしょうね。

そんな中で奥の入り口側に広くスペースをとったヤマハ福岡店は長年(おそらく50年近くでしょう)ここにあり、もはやこの場所はヤマハ以外には絶対に考えられないというほど強いイメージとなって、我々の脳裏には深く刻み込まれています。

思い起こせば、昔はカワイも天神に福岡店があったのですが(アクロスの北側向かいの角、旧東急ホテルの道を挟んで西隣、現在は仏壇店。)、こちらはなくなって久しいですが、これも考えてみれば残念なことだったと思います。

ともかくヤマハにはいつまでも現在の場所にあってほしいと心から願うばかりです。
まさに天神の歴史あるランドマークの一つで、福岡に生まれ育った我々はそのビルの匂いまでヤマハのイメージの一部になっているのですから。
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電子ピアノにふらり

先週末のこと、友人とイオンモールに行ったのでシマムラ楽器に立ち寄りました。
電子ピアノをいろいろ見ているうちにローランドの新製品が目に留まりました。
DP990RF http://www.roland.co.jp/PIANO/sty/dp990rf.html
という機種で、スリムなデザインである上に全身黒ずくめで、いわゆるピアノブラックという黒の艶出し塗装が、まるで高級機種のような生意気な雰囲気を持っていました。とくにフタを閉めた時のハッと息をのむようなシンプルなデザインは非常に秀逸で、インテリアとしてもなかなか素敵な雰囲気だと思えました。
これまでは電子ピアノというと、木目調のダサダサの音楽教室みたいなデザインが多かった中で、これはオッと目を引くモデルでした。

価格も20万弱と、それほど高額なものではないということで、熱心に見ていると店員がじりじりと寄ってきて購入条件などを教えてくれました。セール中という限定つきではあるものの、本体の他に椅子、ヘッドフォン、好きな楽譜一冊、配送料・組立が無料という、聞かされる側にしてみればますます引きつけられる内容でした。

友人がかなり乗り気になったものの、その日はいったん引きあげました。
それというのも、帰宅してネットで調べれば、さらに2~3万は安いものが出てくるだろうという浅ましい考えもあったからでした。ところが、いろいろ調べてみると、僅差ではあるもののネット上にさえ見当たらない好条件であったことがわかり、あらためてびっくりしました。
いまや店頭販売でもネットと真っ向勝負をする時代がきたのだということがわかり、いまさらながら商売の厳しさを痛感です。

マロニエ君もできることならああいうのが一台欲しいところですが、これまでにも買う寸前まで行って断念したことが実は2度ほどありました。その理由は複合的で一言でいうのは難しいのですが、大きな理由の一つは電子ピアノ特有のタッチでした。
あのいかにも軽くて不自然なタッチはどうにも馴染めそうにもなかったのは、今回もやはり同じように感じた点でした。

最近の機種はタッチも数段階変えられるようにはなっていますが、なにしろ基本がペタペタなので…。
その点だけでいうなら、ヤマハの同クラスのほうが本物を生産している強みなのか、しっとり感があって幾分ピアノらしく優れているような気もしましたが。
でも、詳しい人に言わせると電子ピアノの分野では、やはりローランドがいろんな意味で先頭を切っているという話でした。
あのデザインはこれからのトレンドで、カッコいいモデルがこの先ぞくぞくと出てくるのかも。

結局、見るだけ見て、弾くだけ弾いて、話を聴くだけ聞いて、ネットで調べて、その挙げ句が誰もかわなかったのですから、いやはや悪い客ですね。
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エセックスピアノ

エセックスというピアノがあります。
これはスタインウェイが展開する廉価ピアノのブランドで、設計にはスタインウェイの手が入っているらしく中国のパールリバーで委託生産されている小さなピアノです。日本のカワイ楽器で生産されるボストンが同様の位置づけだったことは周知の通りですが、エセックスはさらにそれよりも安い、いわばグループの最下部をささえるという使命を帯びたブランドというわけでしょう。

これをまとめて弾いたことがなかったので、市内のスタインウェイ特約店に行って少し弾かせてもらいました。
同サイズの小型グランドが3台ありましたが、はじめにさる有名ピアニストが最も気に行って購入すべく選んだという一台を弾かせてもらいましたが、マロニエ君にはハアそうですか…ぐらいにしか思いませんでした。もう一台も同様で、中国ピアノに共通するタッチの鈍い感じと、あまり上品でないキンキン気味の音が気になりました。もちろん値段はかなり安く、ものの価値判断は価格を前提にしながら下すべきなので、純粋に費用対効果という意味からいえばそれなりの価値があるのだろうとは思いました。
忘れてならないのは、エセックスは多くが色物ピアノなので、通常ならこれだけで2~30万アップになることを考えるならますますその割安感は説得力を持ちますし、内部のことは別とすれば、見た感じはなかなかきれいに仕上がっていると思います。

最後に一番左にあったピアノを弾くと、タッチが先の2台とは明らかに異なりました。
音もはるかに上品で、中国ピアノ特有のちょっと気に障る音がフォルテ以外ではほとんどしませんし、タッチもしっとりしているのに反応も良く、均一感もあり、これはなかなかじゃないかと思いました。店主の談によると、この一台だけが多少古い展示ピアノで、残り2台は文字通りの新品だそうです。

経験的にそんなことはないと思いつつ、多少弾き込まれた故の違いかと思っていたら、店主の方が思い出されて、やはりそのピアノだけは名のある技術者の方が以前にずいぶん手を入れられたとのことでした。
それなら納得です。
聞けば、エセックスは安い分、出荷調整なども不十分で、販売店泣かせの一面があるようです。高額商品ならどれだけでも手間暇かけて最高の状態に仕上げることも可能でしょうが、安いピアノにあまりそれをするとビジネスバランスに障りが出るようです。スタインウェイの同じサイズならこのエセックスが6台かそれ以上買えるのでしょうから、なにごともコストと利益が重要視される社会ではやむを得ないことなのでしょう。

しかし、それでもなんでも、やはり優れた技術者が手間暇をかけたピアノというのは格別な味わいがあるものですし、それがいかに大切かということを再確認させられました。
マロニエ君ならそのぶん別料金を払ってでも、入念な調整をお願いすると思います。なぜなら、それをするかしないかでピアノの価値は2倍になるか、はたまた半分で終わってしまうと思うからです。
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運転がおかしい

最近とくに感じることですが、変な運転をする人が多いと思いませんか?
とくに男の運転がおかしい。

こんなジェンダーフリーの時代にこういうことを言ってはいけないのかもしれませんが、以前は車の運転の上手さといえばほとんど男の独壇場でした。
峠を責める走り屋といわずとも、タクシーの運ちゃん、スタンドのお兄ちゃん、白いワゴンで東奔西走する営業の男性など、かつての男の運転は今思うと根本的にテクニックの格が違っていたようです。女性の運転する車は走る後ろ姿でそれとわかり、男は舌打ちしながらもそれを諦め顔で許していましたっけ。

それがどうでしょう。いまやノロノロと気の抜けたような運転をしているのは大半が男です。
しかも驚くべきは若いお兄さんが不健康な顔つきで法定速度以下でボーッと運転していたりするのは、近頃では決して珍しい光景ではなくなりました。
車にも多少の趣味を持つマロニエ君に言わせれば、男にとっての車の運転の巧拙というのは、一つの磨くべきステイタスでもあり、世が世なら坂本竜馬の千葉道場とまではいいませんが、ちょっとした剣さばきにも匹敵する男性的たしなみのようにも考えられていた時代さえあったように記憶しています。

どんなに見栄えのいい男でも、デートして車の運転が下手でオロオロしようものなら、いっぺんで女性から軽蔑され、ときめくデートも台無しになるぐらいの厳しさがあったように思います。
とりわけバックに弱い女性は、男が見せる鮮やかなバックでの車庫入れなどに心ときめかせたそうで、バックの時に男が助手席のシートの後ろに手をまわしてグッとパワフルにバックなどすれば、そのセクシーさに呆然となるというような話はいくらでも転がっていました。

それが今ではノロノロ運転は当たり前、周囲の状況や気配もつかめずにトロトロと人の前をマイペースで走る車のなんと多いことか。もちろんただ飛ばせといっているのではないし、車は一歩間違えば凶器になるので、安全運転は大切ですが、ようはメリハリのない周囲に迷惑をかける走りをするアホが多すぎるのです。

若者の車離れが話題になって久しい今日この頃、必然的に運転も下手くそになって当然でしょうが、車に限ったことではなく、物事に対して勢いとか情熱といったものが悉く失われたようで情けない気分になりますね。

あと怖いのは女性で飛ばす人。
毎日車に乗っているものだから、運転それ自体には馴れてしまって、危険に対する意識もマヒしてくるのか、軽や四輪駆動車や巨大なワンボックスで鬼のように飛ばしてくる女性がいます。
こちらの特徴は、女性特有の「飛ばし方を知らずに飛ばしている」という点で、ノロノロ男より危険度ははるかに上を行きます。こういう女性は雨になればスリップしやすいという初歩的な知識もないまま、通い慣れたスーパーの往復などを風を切るようにすっ飛んで行き、危ない時は相手が止まってくれるものだと思い込んでいるようです。

どっちも困ったもので、ハンドルを握る身としてはイライラムカムカさせられることしきりで、さっきもそんな車にやきもきさせられ、こっちばかり疲れてしまうようでバカバカしいのですが、自分の性分もなかなか直りませんね。
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ルノーの魅力

昨日は久しぶりの車のクラブミーティングがありました。
昼から夜にかけてほぼ12時間近い長丁場な一日でしたが、気心の知れた仲間というのは時間の経つのもあっという間です。
東区のとあるレストランで集合し、食事、移動、お茶と会話を繰り返えす一日でした。
あいにく終日の雨模様でしたが、音楽とはまた一味違う充実した時間を過ごすことができました。

夕方頃のこと、ある中古車店に入荷したというルノーのラグーナという車を見に行きましたが、その車は内外装のデザインなど日本人が逆立ちしてもできないセンスによる、まさにフランスのモードを身にまとったような造形で、なんともいえぬ垢ぬけた洒落た車でした。
店に着いた時には台風かと思わせるような猛烈な風雨が吹き荒れていましたが、しばらく店主と雑談を交わしているうちに一時的にウソのように雨が上がり、この日は諦めていた試乗をさせてもらうことに。

はじめ友人がハンドルを握り、途中からマロニエ君が運転を交代しましたが、フランス車独特のしなやかでフラットな乗り味の中にも芯の通った確乎としたポリシーが貫かれていて深い感銘を受けました。
硬軟様々な要素を併せ持ちながら、それらがバラバラになることなく完結した世界を持った車で、とにかくフランス人の作ったものは芸術作品から工業製品まで、どれも一見さりげなく見せておいて、実は奥深い知的世界が広がっているところがすべてに共通した魅力です。
フランス車といっても比較的コンパクトなボディに3Lの24バルブエンジンと5ATの組み合わせなので、非常にパワフルで、ダッシュボードにあるトラクションコントロールのスイッチをオフにすると、濡れた路面ではアクセルを強めに踏むと軽いホイールスピンを伴いながら猛然とダッシュするような一面を見せながら、全体としては非常にキメ細やかで、繊細かつダイレクト感のある身のこなしや運転フィールを持っていました。

なにげなく連想したのは、ショパンのバラードやスケルツォのような作品でした。
緻密で技巧的なものとリリックで都会的なものが混然一体となった、パリの精神と贅沢さが小ぶりな作品に圧縮されたような世界でした。
どうもマロニエ君はこういうものに弱く、すぐに惚れ込んでしまいます。

車もピアノも実物はコレクションというわけにはいかないのがなんとも残念なことです。
これがCDやミニカー程度なら迷うことなく手元に置いておきたいところですが…。
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買えるなら今は買い時

数日前の話。
二週間ほど前に友人の車の件で、マロニエ君が代理で中古車店にフランスのとある車を見に行った話はここに書きましたが、いよいよ友人もその気になり、いざ購入へ向けて一歩を踏み出してみると、なんとその車は前日!に売れてしまったそうでした。
時間の約束までして、出かける直前になってそれはわかりました。

もう車屋に行く予定で、友人二人がマロニエ君を迎えに来てくれて、とりあえず後部座席に乗り込んだところ、購入予定の本人はiPhoneをいじりまわしています。聞けば、目指す車が売れてしまったのでネットで探したら、神奈川県に一台安いのがあったので、なんならこの勢いで夕方から長距離バスに乗って見に行き、良かったらそのまま買って運転して帰ってくるつもりという、えらくまたやる気モードになっていてびっくり。
iPhoneをいじっているのはそのための長距離のバスの時間を調べているところでした。

しかし、そんなことをするよりその神奈川の車が今現在商品としてあるかどうかを先に問い合わせるべきでは?とマロニエ君がいいますと、友人もそれもそうだということで、とりあえず最寄りのロイヤルホストに入りました。
それでも二人はバスのことばかり言っているので、とにかく在庫確認を真っ先にするようにと再度言うと、ついに当人が店に電話をかけ始めます。
すると、そちらもすでに売れてしまったらしく万事休す。
バスの時間もなにも吹っ飛びました。あーあ。

続けて当地のディーラーに行ったところ、一台あるにはあったもののあまりいい車ではなく、それはパス。

翌日、もう一人の友人がネットで新しくアップされた車が大阪にあるのを発見したらしく、さっそく問い合わせをしたらしいのですが、こちらも一足違いで売れてしまったとのこと。

さらに別の個体を名古屋で発見。これはまだ販売できる状態のようでしたが、情報を見せてもらったところ、確かにきれいで悪くはないようだけれど、これまでのものより価格が4割ほど高くなっています。
本人は何台も取り逃がしていささか頭に血が上っているのか、それでも買うつもりになっていたようですが、ギャラリー席のマロニエ君にしてみれば、もうひとつ決め手のない車(条件をふくめての判断)だったので再考を促したところ、本人もしだいに冷静になりとりあえず静観することになりました。

このように今は不景気の折から、高い車は売れないぶん、お買い得な車は結構動きも早いようです。
とりわけ高級車や不動産など、値の張るものは、お金さえ持っていれば今は底値なので買い手市場だという話はよく耳にしますね。
ウワサでは望外の値引きなどもあるらしく、知り合いの弟さんがなかなかいいポルシェをずいぶん安く手に入れて喜んでいるとか。

それにしては、中古ピアノ(少なくともグランド)は相場維持で、そこまで破格値にはなっていないようですね。
いっぱりピアノなんていざとなれば数がしれているので、そういう経済動向には反応しないんでしょうか。
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人前演奏はこりごり

この土日は音楽家の誕生会とピアノサークルの定例会が立て続けに行われました。

6月の誕生会はシューマンで、今回もCDはマロニエ君が準備し、交響曲、ピアノ、チェロ、ヴァイオリン各協奏曲、ピアノ五重奏はじめ室内楽、主要なピアノ曲、ヴァイオリンソナタ、歌曲集など。
だんだんに誕生会のありかたも定着してきた感があり、皆さんで思い思いのお話に花が咲きました。
飲み食いをしながら好きな音楽を聴いて、好きな話をするというのは、それだけで極楽ですね。

後半で一人がトロイメライをピアノで弾き出し、続いて店主の方が同じくトロイメライを弾き、いやな予感がしたと思ったらマロニエ君にも弾け弾けと集中砲火が浴びせられました。しかたなくマロニエ君もトロイメライを弾き、三人が三人のトロイメライを披露することになりました。あと二人ピアノを弾く方がおられましたから、マロニエ君も自分が弾いたが最後、一転して要求する側に回りましたが、そのお二人はガードが堅く、ついに弾かれませんでした。
そんなことをしながらの、あっという間の4時間でした。

翌日はピアノサークルの定例会で、今回は前半がショパンプログラムとなっていて、こちらでは後期のノクターンと死の床で書いたと言われるショパン絶筆のマズルカを弾きました。
つくづくと思い知ったのは、やはりどんなに覚悟を決めても場数を重ねても、マロニエ君には人前でピアノを弾くというのは決定的に向いていないということでした。
一人の時ならおよそ考えられないようなミスをしたりして、深い嫌悪感に苛まれます。

その一方で、ピアノサークルに来る人はやはり根本が違い、ちょっとでも、一曲でも余計に、途中まででも「弾きたい」人が大勢を占めます。こちらのピアノサークルも4時間ほどでしたが疲れましたし、ピアノはその間休む間もなく鳴りっぱなしでした。
遠方からわざわざそのために来られる方も少なくなく、その意気込みにはただただ恐れ入るばかりです。
でも、中には上手じゃなくてもハッとするような美しい瞬間を聴かせてくれる人もいて、そういうときはこちらも報われたような得をしたような気分になるものです。

ただ、個人的に思ったことは、フリータイムは言葉こそフリーではありますが、本番に比べて多少の雑談などはあっても、基本的にみなさん椅子に座って演奏を聴く態勢であることは変わらないのですから、あまり仕上がっていない曲まで持ちだして、人前でただ練習のような事をするのはどうかと思います。みんなが決められた時間・場所に集まり、お金を払ってそこでピアノを弾く以上は、上手でなくてもいいから自分なりにある程度仕上げたものという良心の一線は引くべきだと思います。
練習は基本的に一人もしくは、せいぜい練習会でするもので、あまり節度がなくなると我慢や疲れも倍増するものです。
音楽は音が出るからこその圧倒的な魅力と楽しさがありますが、そのぶん一歩間違えれば音は他人にとって苦痛や暴力にも変貌します。
そこのところを自覚したらいいと思うのですが、楽しさの基準も人それぞれでしょうから難しい問題です。

追記:もちろん、親しい皆さんとお会いできるのはいつもながら嬉しいことで、全体としてはとても楽しかったということを書き忘れていました。
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ヘンレ版のショパン

今日は一人レッスンをしましたが、その方は拘りがあるのか、楽譜はほとんどヘンレ版の楽譜を使っています。
もちろんヘンレ版の優秀性に対しては、世界中のプロを含む数多くのユーザーがこれを認め、昔も今も高い支持を得ていることからもそれは証明されているように思います。
もちろんマロニエ君も何冊も持っていますが、値段的にも最も高価な部類ですから、大した曲ではない場合にはより安い楽譜を買ってしまうこともよくあります。

さて、そのヘンレ版ですが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどでは信頼性も見やすさも抜群なのですが、ショパンとなると内容に首をかしげる点が多くあります。
原典に忠実というのもヘンレ版の大きな特徴ですから、書かれていることはそれなりの根拠のあることとは思いますが、どう見てもショパンではあまりにも納得のいきかねる点が多すぎて、混乱するばかりです。

マロニエ君自身も以前、一度だけ(というのは直感的に気が進まなかったから、それまで買わなかったのですが)ヘンレ版のショパンのワルツをお試し気分で買ってみたことがありましたが、同曲で数バージョンがあったりするのは親切でいいとしても、全体的にも細かい点でも、どうもしっくりこないで、ほとんど使わずに本棚に押し込んだままになっています。

今日レッスンでやったのはノクターンでしたが、どう考えても書かれた指示がヘンに感じたり、あきらかに音がおかしかったりと、戸惑うばかりでした。
ショパンの楽譜というのは「決定稿」がなく、それぞれの編纂者の意図が反映される作曲家だとはいえるのですが、それにしても名にし負うヘンレ版のことでもあり、これを批判することは楽譜出版の世界では神を批判するようなものかもしれませんが、私にはどうしてもおかしいとしか思えませんし、自分なら絶対にショパンでは使わないものだと思いました。

ドイツ物で見せるあの説得力や使いやすさはどこへやら、やはり根本的にショパンとドイツというのは相性がよくないのかもしれませんね。
私ならショパンはペータース版やパデレフスキ版も好きですし、全音など日本のものもわりにいいと思うのですが。それぞれは指使いや細かい指示などは違っても、大きな違いというものはないように思いますが、ヘンレ版のショパンばかりはちょっとなじめません。
そればかりか、ショパンのCDでもピアニストがヘンレ版を使っていると知ったら、あまり聴く気になれそうにもありません。
あくまで個人的な好みの問題かもしれませんが。
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CFX使用のコンサート

当初は行く気のなかったルイサダのリサイタルですが、ヤマハの新鋭CFXを聴けるのならとチケットを買いました。

CFXはまだ正式発売はされていないにもかかわらず、日曜日に福岡で行われた小曽根真氏の出演するコンサートにも早々とこのピアノが登場したらしいので、ヤマハ主導のもとこれはというステージには、全国どこへでもこの最新ピアノを送り込んでいるのでしょうね。まるで政治家の遊説のようですね。
それにしても現実は足やペダルを付けたり外したりを繰り返しながらのトラック長距離移動ですから、やはり相当痛むでしょうね。
ヤマハに確認したところ、ルイサダのリサイタルでもやはりCFXを使用するとの確認が取れました。

Youtubeでもこのピアノを使った披露コンサートの様子を見ることができますので、多少の印象は持ちましたが、やはり本物に勝るものはありませんから、ぜひとも拝聴することにしました。

アクロスにチケットを買いに行ったついでにいろいろとチラシを物色していると、6月30日、佐賀市でケヴィン・ケナーのショパンリサイタルがあることを発見!
彼はアメリカのピアニストで、1990年のショパンコンクールでは一位なしの最高位に入賞した、それなりの人ですから、チケットも安いし行ってみようかと思いました。
ところが、チラシを良く見てみると「公演時間1時間15分」などとわざわざ「普通より短いですよ」という意味のことが書いてあり、いささか首をかしげました。
さらに聞き慣れない名前の会場をネットで調べてみると、名前はホールでも床が平らな、ただの広い部屋に近いというか、会議室に毛の生えたようなところで、キャパは200人強、ピアノはなにかと尋ねたら、ヤマハのS6ということで、この瞬間わざわざ佐賀くんだりまで聴きに行くことを断念しました。

以前もシゲルカワイのSK-5やヤマハのS6を使ったコンサートを聴いたことがありますが、合わせものならまだしも、ピアニストのソロともなると、いかにこれらのピアノが普及品より上級機種とは言ってみても、根本的な力不足は否めず、聴きごたえも半減でした。自宅用としては逸品だと思いますが、ソロで純粋に聴衆に聴かせるためのピアノとしてはまだまだ遠く及ばないものがあり、ピアノがそれだとわかり一気に気分は萎えました。

10月には前回ショパンコンクールの覇者であるラファウ・ブレハッチが、オールショパンプロを引っ提げてアクロスにやってくるようです。
でも、一番惜しかったのは、つい先ごろ北九州でやったダン・タイ・ソンのリサイタルにうっかり行きそびれたことでした。
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楽器は生き物

我が家のピアノの整調(アクションなど様々なピアノ内の機械部分の働き具合の調整)を、とあるホールからご紹介を受けた方にお願いしていましたが、今日がいよいよその作業日でした。

午後から始まった作業は夜の9時近くまでかかり、ピアノ技術者の方のお仕事というのは高度な専門技術のみならず、すべてにおいて根気と忍耐の世界だということを再認識させられました。
その間、休みらしい休みもなく、食事もされずになんともお気の毒でもあり、申し訳なくもあり、ありがたくもありました。

今回の作業依頼の性質上、仕上げの調律のとき以外はほとんど音らしい音も出ない、ひたすら静かな作業でした。
それにしても、あの重くて持ちにくいアクションの出し入れ(いちいち横の机に運び出す)だけでも何回されたことか!
ピアノ技術者たるもの、まずもって腰が強くなければ務まらないようです。

ほぼ丸一日をかけての作業が終わり、さあいよいよ弾いてみたときに、期待値が高すぎたためか、確かによくはなっているものの、マロニエ君の反応が思わしくないと敏感に感じとられてしまったようで、こちらの期待に添えなかったという印象を与えてしまったのは、たいへん申し訳ないことをしてしまった気分でした。
そのとき感じたことは、ホールのピアノはステージ上にある限り、床以外には遮蔽物がなく、広大な空間で朗々と鳴るのに対し、家庭ではすぐ傍の壁や天井が制限となり、本来の開放的な鳴り方ができないというデメリットがあることをあらためて感じました。響きが違うと、それは勢いタッチ感にも確実に影響があるからです。

帰られてから遅い食事を済ませ、10時過ぎぐらいからちょっと集中的に弾いてみました。
実はこのピアノは普段はほとんど使っていないので、その点では半分は眠ったようなピアノだとも言えるのですが、一時間も弾いているとだんだん鳴り始めて、二時間ほど経った頃には同じピアノとは思えないほどにパワーが上がってきたのには驚きました。
まるで花のつぼみが一気に開いていくようで、鳴りだけでなく音の色艶も次々に加算されていくようです。
すると、今日の作業の結果もそれにつれて顔を出し始め、ようやくすべてが一つの流れとして収束してきたようです。
時計も12時半を過ぎたので、いくらなんでも止めにして、もう一度明日弾き込んでみようと思いました。

やはり楽器は、ただの機械ではない、生き物なんだと痛感です。
24時間除湿機を回すだけでなく、やはり適度に弾かないことには本来の力は急には出ないようですね。
とても幼稚で単純なことですが、忘れかけていたことを再度肝に銘じました。
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不景気の影

天神に出たついでにヤマハを覗いてみましたが、チラシの棚を見ると、どうもこのところのコンサートの減少傾向には歯止めがかからないようです。
以前なら溢れんばかりにひしめき合っていた各種コンサートのチラシの大群もめっきりその量が減っていますし、チラシの中には講演だのコンクールだのに関するものもかなりあって、純然たるコンサートは数えるほどしかありません。
数年前を思い返すと、ちょっと想像もできなかったくらいお寒い状況のようですね。
時折なにか面白そうなコンサートはないかと、ネットで主要ホールのイベント案内などみても、ほとんどそれらしきものは見当たりませんし、なんであれ催しがひと月に1~2度しかない(赤字の垂れ流しと思われる)ホールがゴロゴロしています。

ちょっと前までは、プロとはとても呼べないような人が、次から次に「コンサート」という名のくだらない自己満足露出大会を日常的に企てて顰蹙をかっていたものです。文化を錦の御旗にしたこのような迷惑行為には大反対のマロニエ君ですから、これがもし良い方向にみんなの意識が正されているのならある意味では喜ばしいことですが、どうも、そうとばかりも思えません。

やはり昨今の不景気がコンサートの世界にも暗い影を落としているということのような気もします。
景気が良い時でもこの手の自主コンサートは赤字は当たり前で、いかに赤字額を小さくするかが問題というぐらいの世界でしたから、今では友人知人でお付き合いしてくれる人も見込めないということなのかもしれません。

もちろん中には、相変わらず雑草のように逞しい人もわずかに見かけはするものの、それでも曲も写真も昔の中古品の寄せ集めばかりのようで、本来あるべき新しい挑戦の姿は微塵もなく、なんとも哀れを誘います。
最近悟ったことは、止めるということは始めることより何倍もの勇気と胆力と見識が必要だということ。
止める勇気のない人は、一見我慢強く粘り強いように見えても、実際はさにあらずで非常にお気の毒だと思います。

離婚は結婚の10倍のエネルギーが要ると言われるがごとく、たしかに物事すべからくそうなんでしょうね。
婚姻関係でも、コンサートでも、よしんば趣味の活動でも、進退が大変なのは人間の欲望というものと切り離すことができないからなんだと思います。
それでもさっぱりした性分の人は比較的きれいに処理できますが、粘着質の人は、分厚い脂身のような欲の塊を我が手で切り捨てることができないから、そこが大変なんだと思います。
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中古車は今が底値?

友人の車のエアコンが故障し、他にも不具合を抱えていたこともあり、これを機会に買い替えを検討しています。その友人が現在長期出張中なので、マロニエ君がとりあえずある中古車店に目指す車を見に行ってきましたが、いやはや驚くようなことばかりでした。

街中には珍しく、完全な輸入車専門店で、あるのはすべて中古車です。
驚いたのはその値段に対して非常に程度が良く、マロニエ君も思わず欲しくなるほどでした。
フランスの名車ですが、V6-DOHC3000cc搭載の上級モデルで、外観も少しもくたびれたところがなく、色艶もあってくっきりとした印象の車でした。いわゆる中古車のみじめさがまったくない、まだまだ若々しさの残る個体でした。

そこの店主がおかしな人で、どんなに声をかけても人の気配がなく、やむ得ず勝手に車を見ていると、やがて買い物袋を提げたそれらしき人がせわしげに戻って来ました。近所まで買い物に行っていたんだそうです。
奥に入るなりすぐに車のキーを渡してくれて、自由に車を見せてくれました。客だからといってべたべたくっついてまわらず、まずは好きなように勝手に見させるというのがこの店の粋な方針のようでもありましたが、そのうち「ちょっと食事してないので弁当を食べますから、なにかあったら声をかけてください」といわれて事務所に引っ込んでしまいました。おかげで心行くまで丹念に車をチェックすることができましたが、本当に良質な車で、それがまた信じられないほど安いのには二重の驚きでした。

店主殿と話したところでは、その店は自分一人でやっているので安くしないとみんなディーラー系の店に行き、とてもやっていけないので、敢えてそういう価格設定なんだと言っていました。
また、この店はパッと前を通ったぐらいでは車屋とはわかりにくい店構えで、倉庫のような大きなログハウス調の建物の中に10台ほどの在庫車はすべて保管してあるので、雨風や直射日光を浴びることはなく、どの車も清潔で健康そうにしているのは車好きとしてはとても好ましく感じる点です。オープンカーはオープンの状態にして展示できるのも屋内保管だからこそできることですね。
どんなにいい車でも野ざらしにされたら、日ごとにコンディションは悪化しますし、とりわけ内装材の日焼けや悪臭は対策の打ちようがなくなります。それだけにとてもいい状態でした。

さらに驚いたのは奥にあったBMWの740iで、10数年前の車ではあるものの、大事にされてきた車だけが持つ優しげで上品な佇まいがそこにあり、見るだけでも大変立派でエレガントな車でしたが、その価格はなんと39万円!?という途方もないものでした。新車当時1000万した車で、ドアの重みや閉まり方一つ、革シートの材質や高級家具のような作りこみ、ダッシュボードからドア内側に連なる上質のウッドなど、どこをとっても本物だけが醸し出す「格」の違いをまざまざと見せつけられるようでした。ピアノならさしずめスタインウェイかベヒシュタインで、それらに通じる一級品のオーラがありました。
ピアノならきっと新品時の価格の7~80%を維持していると思うと、車はどんなに高級品でも純粋な消費財だというのが痛いほどわかりました。

店主いわく、こんな値段をつけても、世の中はエコエコの時代で売れません!と言っていたのが印象的でした。
あんなにつややかで洒落ていて威厳に満ちた豪奢なリムジンが、軽自動車の1/3以下の値段とは、なんだか頭がクラクラしそうでした。やっぱり今の時代、なにかが絶対おかしいですね。
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ショパンCDの打率

今年はショパン生誕200年ということでいろいろなCDが出ていますが、次々に肩すかしをくらうほどしっくりくる演奏がありません。ちょっと思いついただけでも以下の通りで、実際はまだあります。

●マロニエ君最愛のピアニストであるアルゲリッチも古い未発表の音源が出てきましたが、彼女の本領はショパンにはなく、とくに新鮮味はないし、初めて出たバラードの一番なども含まれているものの、これよりはるかに優れた演奏も非正規録音で存在するので、マロニエ君としては珍重するほどのものでもありません。

●以前も少し書きましたが、知る人ぞ知るフランス系カナダ人の新しいアルバムも、いかにもそつなくまとまった美しい演奏ではあるものの、「予定通りの仕事」という感じで一向に感興が沸きません。

●日本人の大変若い天才少女のCDは動画サイトで見ていた通りで、ピアノが上手いことはまあそうだろうけれども、品格に欠け、まったくマロニエ君の好みではありませんでした。ああいう演奏でショパンに触れた気には到底なれませんし、まるでコンクールか音大の試験にでも立ちあっているようでした。

●ショパンコンクールの優勝者で、今年は何枚かCDを出したアジアの青年のアルバムは、店頭の試聴盤を聴いただけで一気に興醒めして購入はおろか、聴き続ける気にもなれませんでした。どこかの音楽雑誌で、彼の今年のワルシャワでの演奏を、ショパンの音楽祭の芸術監督だった人だと思いますが、「スタンダードだが、表現に冒険がない」と切り捨てたようでしたが、まさに同感。なんの喜びも自発性もない正確なだけの恐ろしく退屈な演奏でした。

●優勝といえばクライバーンで一躍時の人となった日本人も、最近になって決勝でのショパンの1番の協奏曲と、子守歌、op.10のエチュード全曲を入れたアルバムが出ましたが、エチュードでは美しくも溌剌としたこの人の魅力が聴けてよかったものの、協奏曲では一向に生彩も覇気もなく、オーケストラとのアンサンブルもいまいちで両者共にビビったような内向きな演奏になっているのは残念でした。この一曲だけを聴いたなら、よくぞ優勝できたと不思議な気がするでしょう。

まだまだ続きます。

●昔はモーツァルトを中心とする優れた演奏でヨーロッパでも輝いていたニューヨーク生まれのピアニストも、はや壮年に達し、このところ盛んにショパンの録音をしていますが、これがまたまったくマロニエ君の理解できない、ショパン的な美しさのまるでない、無意味に美しい空虚な演奏で、聴いていて酸欠状態になりそうでした。

●フランスを代表するショピニストとしてその名を馳せる彼が、二回目のマズルカを日本で録音したものが発売されましたが、美しいところがあることはあるにしても、全体にもたつき、くだくだしく、恣意的で、前の録音のほうがまだ良かった気がします。これほど流れに乗れないショパン演奏がなぜあれほど評価されるのやら、さっぱりです。

もうこれは耐えられない!と思い、古い演奏を聴いて耳を洗うことにしました。
選んだのはモーリツ・ローゼンタールの小品集でしたが、全体のフォルムの美しさ、流れの優美さ、いかにもショパンに相応しい細部の処理や私的な響き、自然な抑揚など、さすがだと思いました。
気を良くしてコルトーに移動すると、ショパン濃度はますます上がっていくようです。細部にアレッ?思うような部分があったり曲による出来不出来が激しかったりするものの、やはりショパン演奏の原点という気がして、ようやくほっと一息つくことができました。

いろんなCDを冒険的に買うことはマロニエ君の好きなことなのですが、それでもショパンばかりは怖くてなかなか手が出せません。経験的に9割は間違いなくマロニエ君にとってはゴミになるのです。
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ヤマハの新鋭「CFX」

ついにヤマハが高級ピアノの勝負に打って出たのですね。

長らくヤマハのコンサートグランドのモデル名であったCFがシリーズ名となり、頂点には従来のCFlllSのさらに上に位置するモデルとしてCFXというモデルを発売するようです。というか、もしかするとこのモデルが発売された時点でCFlllSはカタログからは落ちるのでしょうか。
ほかに同シリーズ小型モデルとしてCF4/CF6という二種を従えてCFシリーズは計3モデルの布陣となり、価格もCFXではスタインウェイと全く同額!という、いかにも勝負をかけてきたという印象ですね。
これまでフルコン以外ではヤマハのプレミアムピアノであったSシリーズなど、同サイズで一気に2.5倍以上(レギュラーモデルならほとんど5倍!)というかけ離れたプライスのプレミアムモデルの登場に、いったいどういう位置づけになるのやら。
マロニエ君の経験から見ても、同じメーカー/ブランド名のピアノで、ここまで強烈な価格差があるラインナップ展開というのはちょっと他に思い当たりません。ただただ驚くばかり。

それにしてもCFをシリーズ名にするなんて、特別モデルだけの名称だったカレラをシリーズ名にしてしまったポルシェみたいですね。

写真を見るとディテールに新しいデザインが施され、とくに足やペダル回りのデザインはシンプルなものになっているようです。またひときわ目を引いたのは支柱の形状およびフレームの形状が共にスタインウェイ風の放射状のものになっている点で、これには驚きとともにもう少し独自のものはなかったのかと思いました。
足はシンプルといえばシンプルでしょうが、見ようによっては却って安っぽくなっているようで、まるで靴下はかないで靴を履いているみたいでした。

ボディの内側に張る化粧盤にまで拘りを見せるあたり、ライバルもどこかが連想できるようですが、足や鍵盤の両サイドの形状、フレームに所狭しと大きく開いた丸い穴など、ウィーンのメーカーからもかなりの影響があるように感じました。

「響板の素材には厳選されたヨーロッパスプルースを採用」とあり、写真で見るとかなり白い響板なので、これも今のトレンドのようでもあり、なんとなくその音の方向が見えてくるようです。

イタリアの新興メーカーの台頭もあり、フランスの老舗もバイエルンの名門もコンサートグランドを出しましたし、ここらで「ヤマハここにあり!」という意気込みを見せつける時が来たということなのでしょうか。
マロニエ君の部屋で「CFlllSはピアノのレクサス」と評したばかりでしたが、ますますその傾向が押し進められたようです。
だったらいっそ、サイドのロゴと音叉のマークを組み合わせた、あのダサいデザインも一新したら良かったのにと思いました。音叉マークは外してロゴだけを大きくしたほうがずっと素敵だと思うのですが。

発売は7月1日とのこと。はやく実際の音を聴いてみたいものです。
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新たなプロジェクト

過日、あるホールで弾く機会を得たピアノの調整があまりにも素晴らしかった(というかマロニエ君好みだった)ので、そこのピアノを管理しておられる技術者の方を後日ホールを通じてご紹介いただき、我が家のピアノを診ていただきたいとお願いしていたところ、今日いよいよその方に来ていただくことができました。

大ホールでS社のピアノの管理をなさるほどの方ですから、それなりの自負と誇りがおありの筈ですが、お会いしてみるとちっとも偉ぶったところのない大変きさくで、謙虚な心をお持ちの方でした。

普通ピアノ技術者というのは、初めて仕事をしていただく場合は、ピアノはどこから買ったのか、調律には誰が来ているか、製造番号は・・と立て続けな質問がまるで通過儀礼のごとくで、中には直接仕事とは関係のないような点にまで根掘り葉掘りと聞かれる場合もあり、もちろんこちらも必要なことにお答えするのはやぶさかではないものの、明らかに興味本位が透けて見える場合は少々抵抗を感じる事もあるのですが、この方にはそのようなことは皆無であるばかりか、その手の人達とは対極の場所におられる方でした。

静かに必要なことにだけ神経を集中され、やがて下された現時点での見立ては(具体的な内容は省略しますが)、マロニエ君としてもじゅうぶん納得のいく説得力のある内容で、さすがだと思いました。
今日はとりあえず一時間強ほどピアノを見て触ることで現状把握につとめられたようで、実際の作業は日を改めてお願いすることになりました。

これまでの作業でも成し得なかった新たな領域に踏み込んでいくようで、結果が楽しみです。
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恵まれないピアノマニア

車の友人が山口から来たので夕食をして買い物をしてお茶をしました。
試乗もさせてもらい、先日別の友人が買った同型車との比較ができました。
同じ車種ながら、前期型と後期型、セダンとブレーク(ワゴン)、エンジンが直4の2000とV6の3000、足回りがハイドラクティブという油圧サスペンションながら、そのシステムがまったく違う両車ゆえの走行特性の違いなどがあり、あらゆる比較が一気にできて楽しめました。

普段ピアノの微妙な比較や聴き分けなどに精力を使っていると、車の比較なんて呆気にとられるほど簡単で、それだけピアノの難しさを感じました。
同時にしみじみと感じたことは、ピアノマニアというのは情報の極端な貧しさに常に苦しめられているということで、車などは欲しい情報は、その気になればそれこそ次から次に手に入れることが可能です。
きっと鉄道などもその点は同様だろうと思います。

ピアノときたら、寸法と重量以外はほとんどスペックらしいスペックなどないも同然で、客観的なデータや仕様変更などはメーカーもしくは一部の技術者のみの極秘情報のようになっていることが当たり前です。
非常に閉鎖的ですが、またそれを知りたがる一般人もいないという環境が作り出したものだと思います。
ピアノは色も黒が多いですが、その内奥に迫ろうとすると、その点でもまさに巨大なブラックボックスといえるでしょう。

そのためにピアノマニアは少ない情報以外は、もっぱら自分の感覚だけが頼りです。

どんなことでも同好の仲間がいるというのは非常に心強く、情報の収拾能力も格段にレベルアップするものです。
車のようなわけには行かないまでも、はやくこの雑学クラブもそれらしく始動して仲間を増やし、みなさんの役に立って楽しめるものにしていきたいものです。

冒頭の友人の奥さんはパン作りの達人で、聞けば商売ができるほどの腕前のようですが、その彼女をして、道を究めれば究めるほど、自分が後退しているようなジレンマに陥ったりするとか。
何事も本物を目指す道は険しく曲がりくねったものだというとですね。
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ブフビンダーの皇帝

先日のN響アワーで放映されたブフビンダーの皇帝を、今朝の衛星放送でまたやっていました。
これはN響の定期公演を収録したものでベートーヴェンの「皇帝」と「英雄」という、まるで絵にかいたような名曲揃い踏みのプログラムで、調性も共に変ホ長調。
封建時代でいうと女性立ち入り禁止みたいなプログラムでした。

ブフビンダーは、ヨーロッパでは日本人が考える以上の支持があるようですが、作品解釈および演奏という点ではとても正統的で、なによりもその流れの自然さがこの人の持ち味だと思いました。
おしなべてウィーンのピアニストというのは、作品に忠実なタイプが多いものの、同時にいまひとつのインパクト性に欠ける面もあるような気がしなくもありません。(もちろん中にはグルダのような暴れん坊もいますけれど。)
演奏ももちろん立派なものではありましたが、ヨーロッパとくにウィーンでは古典作品をレパートリーの中心に置く演奏家は、尊敬の対象になりやすい伝統があるような気もしますが、どうでしょうか。

終始曲は快適なテンポで進行し、妙に恣意的もしくは学術的に捻りまわしたようなところも一切なく、安心して聴いていられるものでした。欲を言えば、いささか雑な一面もなくもなく、もう少し明瞭な歌いこみやメリハリのきいた丁寧な美しさが欲しい気もしました。
しかし、このマーチン・シーンのような顔をしたピアニストはステージマナーもたいへんエレガントで、今の若手演奏家がどこか学生のような軽い印象を払拭できない人が多い中で、いかにも大人の存在感とグランドマナーの魅力がありました。

マロニエ君的には唯一惜しいというか奇異な気がしたのは、かなり高めに設定された椅子でした。
もちろん皇帝のような力強い曲を弾くためには必要なことだったのでしょうが、高すぎる椅子というのは特に男性ピアニストの場合、あまり見てくれのいいものではありません。
引退したブレンデルもそうでしたが、あの長身で椅子を盛大に高くするものだから、足はいつも鍵盤裏につっかえてましたし、見ていてなにか収まりが悪くて気になります。

N響は昔のような重量感はなくなりましたが、アンサンブルの上手さはさすがだと思いました。
ブロムシュテットの振る英雄は、テンポも早めで軽く、なんだかそわそわした感じが目立ちました。
マエストロにすればこれがN響の長所に適った演奏だということなのでしょうか。
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魔の回転寿司

今どき全国どこでも同じでしょうが、マロニエ君の暮らす福岡市とその周辺部でも、回転寿司の熾烈な戦いが繰り広げられているようです。
福岡の場合の印象で言うと、まずは郊外に出店。そこで足場を固め、認知と人気を得て成功すると次々に店舗が増えて、だんだん市内寄りに本格的に進出してくる、そんなパターンである気がします。

マロニエ君も数件の店に行くうちに、次第に自分の好みの店が定まり、今では浮気をするつもりもないほど気に行った店が見つかっています。まあ店の名前を書くのは遠慮しておきますが。

最も大手というか有名な「スシロー」や「かっぱ寿司」なども行きましたが、どうせ機械が作っている回転寿司でも、やっぱり店によって味もセンスもずいぶん違うことに驚きます。
マロニエ君の場合、普通の軽食やファミレスならだいたいなんでも妥協できますが、生の海産物であるお寿司だけは、自分の好みでない店では絶対に食べたくありません。
美味しくないお寿司というのは、ほんとうに耐えられません。

昨日、久しぶりにお気に入りの回転寿司に行ったところ、なんだかこれまでとは様子が違う気がしたと思ったら、いつのまにか各テーブルの上には注文用のタッチパネルが新設され、さらには、大手チェーン店で子供に人気という「新幹線」のレールが回転台の少し上に取り付けられています。

そういえばここのすぐ近くに、このシステムの元祖店がつい最近進出して、しかもかなり人目を引く大型店であるために、やむを得ず同等の設備を追加したんでしょう。
マロニエ君はあのタッチパネルで注文ってのが嫌いだったのですが、仕方がないのでパネルをピッピッと押しますが、画面を変えたり注文の数や確定など、面倒くさい上にけっこう集中しなくてはならず、エネルギーを使います。
とりわけパネルを押す右手は空中に上げっぱなしで、気がついたときには肩が凝るし腕はガクガクしています。

次々に注文の確定をするうちに、音もなく注文品が新幹線で届けられます。
荷を降ろしてボタンを押すと空の車体はサッと帰っていきます。そのおもちゃっぽくも滑らかな感じはまるでリニアモーターカーのようで、くやしいけれどちょっと楽しくなりました。
操作も少し慣れてくると、次から次にホイホイ注文を出しては食べ、食べてはまたパネル操作に没頭し、まるでこれが何か一つの仕事というか行動目的を与えられたような熱中状態です。
いつのまにやら画面という画面を片っぱしから繰り出しては注文すべき品をせっせと探し出すことに意識が偏り、自分の腹加減など二の次で、ハッと気がついたときにはもう満腹。それでも忘れたころに新幹線は次から次に走ってきては、目の前に停車し、そこには「頼んだはず」の品が容赦なく乗っています。

結局、普通に注文したらまず頼まないような数と種類を注文してしまっており、こんなバカがいるから、店側もこういうシステムを作るのだという意味がわかりました。
パネルを押すだけだから、注文も安易なら全体量の把握もおろそかになるんでしょうね。
責任とって食べるのも必死でした。
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補足

シュトイデ・ヴァイオリン・リサイタルの補足

会場のピアノは10年ほど前、納入を記念したピアノ開きのリサイタルに行った時は、とくにどうということもないただの軽い感じのピアノという印象しかありませんでしたが、その後の管理や技術者がよほどいいのか、なかなかの状態になっていたのは意外な驚きでした。
響きにどっしりとした深みが増し、それでいてひじょうにまろやかで温かい音色を持つ、悠然とした風格のただようピアノに成長していました。ああいうスタインウェイはとくに近年ではなかなかお目にかかれません。

もちろんピアニストの弾き方、とりわけ音色のコントロールも良かったのでしょう。
聞けば当日弾いた三輪郁さんが選定したピアノということでしたから、彼女はこのホール(そぴあしんぐう)とはなにか特別なご縁があるのだろうと思われますが。

終演後、せっかくなのでロビーでCDを購入しました。
大半の人がシュトイデ氏のCDを買い求める中、私ひとり三輪郁さんのソロアルバムであるバルトークのピアノ小品集を購入して彼女にサインを求めたところ、自分のソロを買う人はないと諦めていたのか、意外な喜びようでした。「やわらかな音がとても美しかった」と伝えました。

この演奏会の成功の大半は、このお二人の優れた演奏にあることは間違いないとしても、マロニエ君としてはもうひとつ見逃せないことがあります。それはこのホールがいわゆる音楽専用ホールでない分、響きが過剰になり過ぎず、ちょうど優秀なCDを聴いているような節度ある響きからくる快適感があったことでした。
適度な残響に支えらてれ、二つの名器のありのままの美しさが際立ち、響きがとても自然なのです。
本来コンサートの音とはこうでなくてはならないと改めて思いました。

ちなみにこの日のヴァイオリンは1718年のストラディヴァリウスでオーストリアの国立銀行からシュトイデ氏に貸与されたもの、ピアノはホール所有の10歳ぐらいのスタインウェイのD型でした。
やはり普通の人の素直な耳は、豪華な建物や装飾がなくても、こういうホールで聴く音楽が一番心に残るものだと思いました。
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正統派の音楽

久々に充実したコンサートに行けました。
ウィーンフィルのコンサートマスター(4人の中の一人)である、フォルクハルド・シュトイデのヴァイオリン・リサイタルで、ピアノは三輪郁。はじめのベートーヴェンのロマンスが鳴り出したとたん、あっと思ったのは、そのヴァイオリンの音でした。
ウィーンフィルの音色は特殊で、しばしばベルリンフィルはじめさまざまなオーケストラと比較されますが、「衣擦れの音」と喩えられるあの独特な弦の音が、たった一丁のヴァイオリンにも明確に息づいていて驚きました。

ロマンスではバックがピアノというのはいささか物足りないものがありましたが、しかしこの時点でシュトイデ氏が只者ではないことはわかりました。音の張りや息使いがありきたりのものではなく、続く「クロイツェル」では本領を発揮。聴きごたえのあるがっちりした構成感のある非常に見事な演奏でした。しかし後半のR.シュトラウスのヴァイオリンソナタこそがこの日一番の聴きものだったと思います。
19世紀後半のウィーンの、傾きかけた黄金の輝きの中に突如咲き乱れる豪奢と混沌と耽美が織りなす、とめどもない絢爛の世界に会場は一気に包まれました。聴く者は圧倒され、決して満席ではない会場はまさに拍手の嵐でした。

シュトイデの演奏は正統的でメリハリがあって力強く、音楽的にも隅々まで神経が行き渡り、とても信頼感にあふれるまさにウィーンのそれでした。また、地方公演だからといって一切手を抜かないその真摯な演奏姿勢にも、本物の音楽家としての良心を感じ、深い満足を覚えました。

とりわけ巧みな弓さばきによって、聴く者の前に音楽が大きく聳え立ってくる様は圧巻で、それと対等に渡り合うべきピアノにも相応のものが求められてしかるべきですが、そういう相性という観点では、どちらかというと小ぶりな演奏をする今日のピアニストはちょっとミスマッチな感じも否めませんでした。
彼にはもっとスケール感のある男性ピアニストが向いているような気がしました。

ウィーンフィルのコンサートマスターという普段の立場ゆえか、ときに律義すぎる一面もあり、強いて望むならソロ・ヴァイオリンにはいまひとつの魔性と自在な楽節のデフォルメがあればと思いました。

しかし、あれだけの力量を持った一流の演奏に接したのは久しぶりで、欲を言っちゃいけません。
不満タラタラで帰るのが普通になっていましたが、心地よい満足を胸に家路に就きました。
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