エコポイントの落とし穴

テレビ購入に際してエコポイントなど、いろいろと知り得たことがありました。

32型の場合12000ポイントなので、以前は、テレビを買えばポイントに相当する額の金券でもポンと送ってくるのかと簡単に考えていましたが、どうもそうではないらしいということをマロニエ君よりも一足先にテレビを買った知人から聞かされていた。
その人は購入前に「ポイントで掃除機でも買うつもり」と話していたが、いざ購入してみると、ポイント獲得の手続きがややこしくて、まだ手をつけていないというので、へええ…と思ってました。

果たしてポイントは、購入者自身が国の担当機関へ申請しなくてはならず、申請書には購入者の名前や生年月日からはじまり、購入日の記入や捺印、さらには「購入製品の領収書/レシートの原本」「メーカー発行の保証書のコピー」「家電リサイクル券排出者控のコピー」を貼り付け、希望する品目を明示しなくてはなりません。
あれこれコピーしたり、切ったり貼ったりと、まあとにかくうんざりするような作業のようです。
そして必要事項のどれひとつが欠けても申請は通らないのだそうです。

それだけではなく、ポイントはカタログをみると大半がモノとの交換で、お米やお肉などのやたら高額設定の品ばかりがズラリと並んでいて、例えばどこぞの「こしひかり」が5kgで4000~5000円に該当したり、ブランド牛のステーキ4枚で15000円相当だったりして、これだけですでにちょっとだまされた気分になります。
他の方は知りませんが、マロニエ君はお米などせいぜい5kgで2000円程度のものでじゅうぶんです。
これじゃあ、まるで国と各業者が結託しているかのごとくです。

かろうじて小さく書かれた「ギフトカード」なる商品券がありましたが、これもポイントの数字より低い金額しかもらえない上に、5000円の次は一万円刻みなので、よほどポイントがキリよく収まらないことには、はしたは切り捨てられて損をすることになる仕組みだと言わざるを得ません。

例えば32型のテレビを購入して古いテレビを処分する場合、テレビ購入で12000ポイント、古いテレビのリサイクルで3000ポイント、合計15000ポイントが与えられます。
しかし金券を希望する場合、5000円には5400ポイント、10000円には10400ポイントという大まかな設定しかなく、15800ポイントにわずかに達しないために10000円分しかもらえず、4600ポイントは捨てるか、あとはせいぜい素麺とか肉まんとかに換えるしかありません。

誰あろう国がすることなのに、なんかやり方がいやらしいというか、霞が関の汚さを感じます。
どうせポイントをくれるなら、たとえもう少しポイントが低くてもいいので、なぜ利用者が気持ちよく納得できるような真っ直ぐなルールにしないのかと思います。せめて5000ポイントが4500円、10000ポイントが9500円というようにすれば良いじゃないかと思うわけです。そもそもポイント自体が決められたキリのいい数字でしかないのに、あえて400ポイントオーバーさせるあたりに、いったん与えたポイントを巧みに目減りさせようという、いかにも役人によって仕組まれた悪意を感じます。

しかも希望するものが送られてくるのは申請書の受理から起算して2〜3ヶ月先というのですから呆れるというか、なんだか釈然としない要素ばかり並んでいるようです。
続きを読む

テレビ購入

ついに懸案だったテレビを買いました。
店選びは今回は迷うことなくヤマダと決めていましたが(保証修理の対応が大変良かったので)、機種やメーカーについては特にこれといったこだわりもなく、普通の液晶テレビとしての性能を備えていればじゅうぶんなので、店頭でもう一度画質と価格を見比べてみて決めようと思いました。

ヤマダといっても市内とその近郊にはいくつもの店舗があり、店舗ごとに在庫やお買い得品の設定も違うような気がして(同じかも知れませんが)、できるだけ大型店にいってみようかと思いつつ、とりあえず最寄りの店に入ってみたところ、さすがにそこにもいろいろあって、これ以上やたらと動いても仕方がないので、結局はここで購入することになりました。
さらには、電気店の店内って、無数にある商品の大半が発熱源であるためか、なにか独特な熱気が漂っていて、気が付くとその温度だけでかなり疲れてしまい、後半はだんだんどうでもいいような気になってきました。

今回はめざす価格帯には東芝、シャープ、パナソニック、ソニーがあり、三菱はありませんでしたが、印象はずいぶん異なりました。前回までのイメージではシャープのおだやかな感じが好ましいように思っていたのですが、今回は調整の具合なのか、ずいぶんどぎつい発色になっていて、これがまっさきに候補から外れました。

店員の話では、レギュラー品の大半は海外生産モデルとなるらしく、この中で日本製は唯一パナソニックとのことでした。しかし、こちらは価格が一万円ほど高いわりには、画質などに特段の優位性は感じられず、だったら日本製でなくてもいいと思い、東芝とソニーまで絞りました。

マロニエ君としては現在うちにあるメインのテレビがソニーで、画質は申し分ないというか、良過ぎて疲れるというようなことをかねがね感じていましたので、今回は他メーカーでもいいと思っていましたが、店頭で見比べてみるとやはりソニーの画質が明らかに良く、しっとりと落ち着きがある上に液晶特有のざらつきが格段に少ないことが確認できました。
これだけ違えば悔しいけれど、やっぱりソニーしかないという結論に達して、これに決めました。

ところが、これはずいぶんな人気商品らしく、他のすべてのモデルが「お持ち帰りできます」のシールが貼ってあるのに、ソニーのこのモデルだけ納期に3週間を要するということでした。
3週間はちと長いような気もしましたが、どうせ配達&設置をしてもらうのだし、長い付き合いになるテレビですから、やはり画質を最優先すべきと考えての決断となりました。
もうひとつ気に入った点は、テレビのボディというか外枠が黒/白両方が選べるので白にしました。

白というのはモノによっては軽薄になったり下品になったりするものです。
男物の靴やグランドピアノなどが白だと、ちょっと御免被りたいところですが、マロニエ君はMacユーザーでもあり、長いことアップルの製品に馴らされているせいか、電気製品の白というのも悪くないと思うようになっていたので、わりと抵抗なくこれにできたのかもしれません。
さあこれで来年の7月を迎える準備が出来たというわけです。
続きを読む

スター消滅

ショパンコンクールがついに終わったようですね。
パソコン画面で毎晩夜中に音楽に際限なく集中するのはとても疲れるので、あまり見ないようにはしていたのですが、それでも一日一回、チラチラ程度には見ていました。
実は二次の途中あたりからだったか、大雑把な印象として、こりゃあどうやら大物がいないなあという気がしてきていました。

むしろはじめの頃のほうが、みんな上手いもんだと感心していたのですが、日が進むに連れてだんだんと興味がなくなったといったら言い過ぎですが、わずかでも実体みたいなものが掴めてきて、惹きつけられるものは自分の中ではっきりと減退していきました。

結果については、マロニエ君は率直に言って納得できませんが、まあそれでも結果は結果ということなのでしょう。
優勝したロシアの女性は演奏もさることながら、優勝者に相応しいオーラというものがまるでなく、新たなスターが誕生したという感慨は得られません。
音楽的にも特段のなにかは感じないし、コンチェルトでもえらくたくさんミスタッチがあって、首を傾げるばかりです。

もちろん音楽はミスタッチ云々ではないと思いますし、そういうことをとやかく言うほうが愚かなことだと日ごろから思っていますが、しかしショパンコンクールの優勝を争うような人ともなれば、そのへんも当然問われるべき要素だと思います。

それから、今回はアジア勢がまったくふるわなかったのも不思議な気がします。
また、優勝者の使用ピアノがヤマハというのも史上初で、CFXはたしかに素晴らしいピアノとは思いますが、これもまたなにかちょっとよくわからないものを感じます。
この先、広告宣伝にこの事がこれでもかと濫用されるかと思うと、ああもう…今からうんざりします。

いずれにしろ、世の中は「大物不在の時代」を迎え、政治家を筆頭に、圧倒的な存在感を放つような超弩級の存在がなくなり、それはピアニストの世界も例外ではないということでしょう。

本来の純粋な審査結果からすれば、一位無しということが妥当だったのかもしれませんが、あるときからコンクールとしては何が何でも優勝者を出さなくてはいけないという認識に変わったらしく、たしかその第一号がユンディ・リだったと記憶しています。
ピアニスト全体の平均点は上がっているようですが、芸術界がほんとうに欲しいのは、平均点とは真逆の、一握りの光り輝く宝石のような数人だけなんですけどね。
…でもまあ、これが時勢というものなのでしょう。
続きを読む

無頼の徒対策?

いつもながら天神に出たついでにヤマハに立ち寄りました。
世相を反映してか、今や天神店のような基幹店にもリニューアルピアノが多数展示されるようになったのは以前このブログでご報告した通りですが、一段とその数が増えているように感じました。

すべてのピアノの鍵盤の上には「試弾の際は係員まで」という意味のカードが置いてあり、要するに無断で弾かないでくださいという警告です。
本来的には、ピアノは音を出してこそのものであり、ましてや中古のリニューアルピアノというなら、余計に気軽に弾いてみる必要があるようにも思えるところです。

よほど購入を視野に入れたお客さんなら店員に声掛けしてでも試弾してみるでしょうが、大半の人は腰が引けてしまいますし、それでビジネスチャンスを逸することもあるでしょう。
純粋にピアノ販売としてだけみるなら、必ずしも正しい方法かどうかはよくわかりません。
他の購入品にも言えることですが、一般的なお客の心理として、まずは店員の存在に縛られることなく、自由に触れてみたいという気持があり、そういう自由な入口があることで購入の方向に発展する場合も決してないことではないと思います。

しかし、おそらく物事の現実はそう簡単な話ではないのだろうと思います。
ヤマハはピアノ以外にもCDや楽譜をはじめいろいろなものが置いてあり、それらを求めて来店しているお客さんもいるわけで、そこで商品のピアノを自由にどんちゃんやられては他のお客さんの迷惑になるという配慮が働いているようにも思います。

とりわけ躾の悪い子供などが好き勝手にやり出したら、今どきは親の管理も期待できませんから、大変な騒音になるでしょう。
子供よりもタチが悪いのは、ちょっとピアノが弾けるつもりの、勘違い満載の大人のほうかもしれません。
こういう人達は自己中&自己顕示欲がめっぽう強く、自分ではそれなりに上手いつもりで救いようのない勘違いをしていますから、これでもかとばかりに弾くだけ弾いて、気が済んだらパッと帰るだけです。
この手は99%お客になる見込みはなく、それは当人も良くわかっているはずです。
だからよけいに一時の快を求めるように、店のピアノをまるで飢えた狼のように弾き漁るのでしょう。

滑稽の極みは、周りは感心して耳をそば立てているというお目出度い自意識があるようで、こういう人の大半は「認められたい願望」が強烈な、なんとも哀れな人達のようです。しかし、そういう強烈願望を持つに至ったという事実そのことが、認められるべき何物も持っていないことの表れなのですが。

こういう無頼の徒の被害を食い止めるために、やむを得ず上記のようなカードが鍵盤の上に乗せられているのかと思うと、つくづくと世の中は低い次元に合わせた規制をしなくてはならないという、真に情けない条理があるように思いました。
続きを読む

4分間のピアニスト

何故かこのところ立て続けに音楽映画を観ました。
『4分間のピアニスト』というドイツ映画(2008年)で、ずいぶんいろいろな賞をとった話題作とのことでしたが、残念ながらまったくマロニエ君の好みの作品ではありませんでした。
この映画のホームページには、まるで世界中が絶賛した、傑出した作品のように書かれていますが…ほんとに?

暗い過去を背負い、人生を踏み外して刑務所に服役している若い女性の天才ピアニストを、老教師が見出し、刑務所内にピアノを運び込んでレッスンをはじめますが、心を閉ざし手のつけられないほど荒れた主人公は、なまなかなことではピアノに向かわせることもできません。

老教師は音楽に関しては極めて厳格な人物ながら、辛抱強くこの荒れ果てた女性に接して指導を続け、いつしか二人は心を通わせて、コンクールに出場するまでが主な流れですが、主人公の若い女性の屈折した人格をリアルに表現しようと、随所にむき出しの強烈な映像が置かれ、中でも暗くて陰惨な暴力的シーンが多いのは見ていて疲れました。

暴力といってもアクション映画や日本のチャンバラとは根本的に異なり、神経に刺さるような生々しい、嫌悪感を増幅させるようなもので、精神的に不安定な人間がまき散らす、恐怖心とヒステリックな攻撃性をいやらしいほど残酷に描くのは、見る人が見れば高い評価をするのかもしれませんが、映画を見る目的を娯楽においている者にとっては相当な嫌悪と疲労を覚えました。

もちろん楽しいばかりが映画ではないことぐらいわかりますし、あれはあれでひとつの表現であったと考えなくてはいけないのでしょうけれども、なぜああまで暗くてハードなものにしなくちゃいけないのかマロニエ君は理解に苦しみます。
でもきっと、最近の賞を取るような映画っていうのは、こういう手合いが多いんだろうなあという気がしました。

クラシックの名曲もそれなりに出てきましたが、音楽を楽しむ雰囲気でもなく、さらにはっきり確認したわけではないけれど、いやに音程が高めで最後までこれが気になって更に疲れました。

刑務所に運び込まれたピアノはドイツ映画だけあってシンメルのグランドで、最後のコンクールでステージに置かれたピアノも同じくシンメルでした。
シンメルはドイツでは良質な量産ピアノですが、なかなか音として客観的に聴く機会はないので、もう少しこちらも楽しめるものであったらよかったのですが、残念ながらそういう次元には至りませんでした。
続きを読む

草戦争-番外編

草に限らず、通常は美しいと感じる緑でさえも、植物というのは至近距離で接してみると、意外に不気味な一面があるものです。木の成長も思ったより早く、気がついたときには枝葉は深く生い茂り、幹は一段と太さを増していたりして、いろいろと不都合な場面も出てくるわけです。
隣の木の実が落ちてきて、それが発芽するのもちょっと油断していると、けっこうな勢いで成長してしまい、ある程度になると引き抜くのも一苦労で、ついに諦めてのこぎりで切ったことも何度もあります。

さて、人によってはお好きな方もいらっしゃるとは思いますが、マロニエ君はツタというのがあまり好きではありません。
もちろん普通にパッと見た感じだけでなら、葉の形は可愛らしく、なかなかの雰囲気さえあると思います。
モネのジヴェルニーの屋敷のように、ヨーロッパの田舎などではこれを上手く利用した、まるで絵のような佇まいを作り出すこともあるようで、彼らはもともとそういうセンスにも長けているのでしょう。

しかし自宅に限って言うなら、ツタの類がどんどん這い回っていこうものなら気持ちが悪くて仕方がありません。
我が家の周辺は若干の斜面になっていて、裏には高さの違うマンションが聳えています。その境界はマンション側が作った幅20メートル、高さ4メートルほどのコンクリートの壁になっていて、ひとつにはこれのお陰で深夜まで大した気兼ねなくピアノが弾けるというメリットもあるのですが、この壁に近年、つやつやとしたなんとも見事なツタが這いはじめ、ついには幾方向にものびてかなりの規模になりました。

これはたぶん、他人が見ればきれいだとおっしゃるかもしれませんが、毎日の生活の中で着実にその勢力を拡大してくる得体の知れない生命力を見ていると、意外にグロテスクで耐えられなくなってきました。
最後には広大な壁一面をツタの葉がウロコのように覆い尽くし、昆虫など生き物の巣窟になるのは目に見えています。

そこで、これ以上放置はできないということになり、いまのうちに撤去する決断をしました。
ところが、ちょっとやそっと引っぱるぐらいではびくともせず、その強力な接着力の強さも驚きでした。
とうとう軍手をはめて、両手でばんばん引きはがしていきましたが、なんと45Lのポリ袋がいっぱいになるほどの量になっていました。

ときどきこのツタに完全に覆われ尽くした緑のオバケのような建物を見かけることがありますが、あの類は見ただけで身震いがします。
続きを読む

世間は狭い

スタインウェイ・システムピアノ説明会というのが地元特約店で開催されたので参加しました。
輸入元の方がさまざまな角度からスタインウェイの特徴や長所を説明され、わずか1時間ほどではありましたが、たいへん勉強になる会で、もっといろいろとその奥まで聞いていたいようなお話でした。
システムピアノというのはボディに塗装をしない状態で仕上げられたピアノで、通常は黒く塗られたスタインウェイピアノが実はどのような木材を場所ごとにどのように配して使われ、いかに確かな根拠に基づいて緻密に製造されているかを視覚的にわかるようにしたいわば教材のようなものでしょう。
それ以外は通常となんらかわることのないピアノで、今回準備されたのはB型(211cm)がベースでした。

このB型は断じて一般売りはしないとのお話でしたが、マロニエ君はもうずいぶん前ですが、東京の松尾楽器で同じ状態のD型とアップライトの同型にも触れたことがありましたが、そのD型はその後、さる高名なピアニストの自宅へ収められたようですから、役目が終わればこのB型もいずれ内々に売却されるのかもしれません。

東京で見た当時から抱いていた印象ですが、実はこの塗装をされない状態もなかなかどうして美しいのです。
やわらかで品の良い、それでいてカジュアルな感じのピアノになっているので、このままカタログモデルにしてもいいような佇まいがあり、今回も見ていてやはり同様の印象を持ちました。
厳選された木材というのは、それだけですでに美しいものなんですね。

昨日は20人余りの催しでしたが、ピアノというわりには男性の参加者がとても多く、調律師の方々もたくさん来られているようでした。思いがけず何人もの知り合いの調律師の方に、こんなにいっぺんにお会いすることができたのは初めての不思議な経験でした。やはり世間はとてもとても狭いのですね。
中には本当に久しぶりにお会いできた方もいらっしゃり、なつかしい話もできました。
またこのぴあのピアのホームページを見てくださっているという御方からも思いがけなくお声をかけていただき、いろいろとお話しをさせていただくことができるなど、大変嬉しい充実したひとときを過ごすことができました。

唯一残念だったのは、ちょっと違和感のある一部の人達が説明会終了後、店主の「どうぞ弾いてください」という言葉を免罪符にして、その場の空気も読めずにガツガツと貪るように弾き散らしていたことでした。
うるさくて、やむなく外に出られた方も多くいらっしゃったようです。
どのような場合でも、身の程をわきまえるということは非常に大切ですね。
続きを読む

見学と欲求

昨日は所属するピアノサークルの定例会がありました。
定例会では各人が進み出てピアノを弾くわけですが、すでに何度も書いているようにマロニエ君は人前での演奏というのがなによりも苦手という、なんとも困った性分の持ち主です。
ときに、笑い事では済まされない精神的負担にまで達するので、今回は演奏参加はせず、見学者として定例会に出席しました。

いつもはピアノサークルの定例会の日は家を出るときからぐったりと気が重く、会場に入ると自分の順番が来るまで悲愴な思いで時を過ごし、いよいよその時が来ればその重圧は頂点に達し、そんな尋常ならざる状態の中で上手くもないピアノをべろべろと弾き、終わればドッと疲れがこみ上げました。

演奏と親睦を目的としたピアノサークルに入会してほぼ一年、嫌でも我慢して続けていればそのうち少しは慣れるかもしれないというかすかな見通しを立てていましたが、現実はそう甘いものではありませんでした。
何度場数を踏んでも、人前での演奏に「慣れ」というものがマロニエ君のもとには到来することは、どうやらこの先もないようです。

そういうわけで昨日ははじめから見学と決めていましたから、いつもよりは格段に気楽に家を出て、気楽に会場に入ることができ、人が弾いているのも気楽に聴くことができました。
定例会は滞りなく進み、3時間にわたる演奏は終了。それに引き続いて食事と懇親会となり、実に8時間以上をサークルの人達と楽しく過ごすことができたのは、いつもながらたいへん嬉しいことです。

新たな発見は、やはりピアノを弾く人をずっと見ていると、だんだんと自分も弾きたい欲求が湧き起こってくることでした。まあ、これは別段不思議なことでもなく、やはり元来ピアノが好きなので、ずっと人が弾いている場面を見ていると自分も弾きたいという本能が刺激されるのは自然なことだろうと思います。
だったらフリータイムというのがあり、そこでは誰でも自由に弾いていいわけですから、マロニエ君も弾いてみればいいのでしょうが、それはやはりできません。

思うに、人から至近距離でじっと見られるというのがどうしてもダメで、もしピアノの前にカーテンの一枚でもあればだいぶ違うだろうと思いますが、まさかそんなことはできるはずもありません。
そういうわけで、家に帰ったのが10時過ぎでしたが、それから約1時間ほど、定例会で聴いた曲などを自分の手で弾いてみると、ようやく気分も落ち着くことができました。

サークルには、人前で楽しく弾くことのできる人がたくさんいらっしゃいますが、うらやましいばかりです。
続きを読む

すでにビジネス化?

チリの鉱山落盤事故の感動的な救出劇から一夜明けると、たちまち報道の内容が一変したのには開いた口が塞がりませんでした。

全員が無事に救出されたという事実も慶事として後押ししているのだろうとは思うのですが、一同はもはや大スターか英雄のように祭り上げられ、はやくもこの顛末を金銭やビジネスにからめて利用すべく話題は一気に生臭くシフトしていました。

まず作業員全員に支払われると思われるきわめて高額の賠償金の額をあれこれと予測したかと思うと、それとはまた別に、ほうぼうの家族は会社を相手取って精神的ダメージの賠償裁判の手続きに入るとか。

また、さっそくにも『33人』というタイトルの映画製作が決定し、すでに有名な監督がテント村などの撮影を開始したそうです。
さらには事故発生から救出に至るまでの内容を綴った手記の出版が計画されているとかで、こちらは専門家の試算によると、すでに160億もの印税を見込んでいる由!?
また生還した各作業員達にはさっそくテレビ出演のオファーなどがあり、この一回の出演料が彼らの年収をさえ上回るとか。

そればかりではありません。強いリーダーシップを発揮したという特定の人物には政界入りの話まで持ち上がっているそうで、これも驚きです。
まあこの点では、日本もおよそ政治とは無縁であるはずの柔道のママ選手がいきなり議員先生になったりしていますから、よそのことをいう資格はありませんけど。

また世界中の企業もこれを宣伝の好機と捉えて、アップル社は33人にiPadをプレゼントするとか、ある旅行社はやはり全員をエーゲ海の一週間周遊に招待するらしいし、外国の2つのサッカーチームが全員を試合に招待するなど、お祝いムードは結構ですけども、ちょっとおかしなことになってきているような気がします。

救出時に全員がかけていたサングラスは、高橋尚子選手も競技で使う有名メーカーの製品が無償提供したものらしいし、日本のスポーツ用品メーカーも脱臭下着なるものを提供したのだそうで、さっそくその商品の問い合わせなどがあるということでした。

そして、ニュースの解説員が最後に言ったことは尤もでした。
無事救出されたのは結構なことだったが、これを境にあの33人がまるで宝くじに当たって人生が狂った人のように、これからの人生を踏み外さないように願いたいものだというコメントをつけました。
まったく同感です。
続きを読む

不健康な日本

チリの鉱山落盤事故で地中に閉じこめられた作業員の引き揚げ作業がついにはじまり、ひとりまたひとりと生還する様子を世界中が見守っているようですね。
彼らが取り残された場所はなんと地下約700メートルだそうで、東京タワーを二つ重ねた距離だといいますから、気が遠くなるような深さで、そこに孤絶した人達を救い出そうというのですから、国を挙げての救出作業はまさに映画さながらの大作戦です。

およそ70日もの長期にわたって地底で生き延びてきた作業員達の勇気と逞しい生命力もさることながら、このニュースを見るにつけ、ことごとく日本とは多くの常識や文脈が違っていることを嫌でも感じないわけにはいきませんでした。

まずは国のリーダーである大統領の動き。
自ら現地へ赴き陣頭指揮を執る姿は、明るく健康的で覇気に満ちています。
中国に気兼ねして尖閣での衝突ビデオすらまだ「見ていない」と言い、いつも下を向き、答弁は書類の棒読みで、なすべきことが何一つできない無能亭主のような我らが首相およびその内閣を連日見せられる我々には、ただため息がでるばかりです。

チリの救出作戦は、引き上げられ生還した人達が例のカプセルから出て、家族と抱擁するシーンなどがまさに至近距離から撮影されて、ただちに全世界へとばんばん配信され、その様子が手に取るようにわかりますが、これがもし日本だったらと考えると、とてもじゃありませんがそんなことはできないでしょう。
まずテレビカメラは至近距離はおろか、現場の遙か遠くまでしか近づけず、肝心の場所は厳重な立入禁止となり、なんとか望遠レンズでその様子を探ろうにも、おそらくはむやみやたらとあの忌まわしいブルーシートが張り巡らされて、すべては無意味に遮断され、生還の様子を目の前のカメラからライブで見ることなど限りなく不可能だろうと思われます。

警察をはじめ、人が見たいと思うニュースの現場では、まるで嫌がらせのようにブルーシートがすべてを覆い隠すのは、いろいろと理屈や言い分はあるのでしょうが、悪しき日本の慣例になり果てました。要するにあれは日本人の陰険さ、不健康さ、臆病、内向性のあらわれのように思います。
一般の目にさらすべきではない陰惨な現場などではないものまで、なんであれ片っ端から隠して見せないようにするのは、集団的責任逃れと関係者の暗い快楽のようにしか思えません。

チリのニュースは、もちろんあの絶望的な状況から人が生還するという感激もありますが、やたら規制まみれの日本に住むマロニエ君としては、それに加えて全体に漂うあの南米の、いかにも人間らしいストレートでオープンな世界を垣間見るだけでも心がスッとするようです。
続きを読む

タンスの移動

またまたテレビネタで恐縮ですが、数日前、夕刊の一面トップに家電のエコポイントが12月から一斉に半分に減らされるという記事が出ていました。さらに来年からはポイント対象商品の設定基準が現行より厳しくなるということでした。

つまりは、現行のポイントを狙うなら、ぐずぐずしないで今のうちに買うしかないというわけです。
ポイントごときにいちいち反応するマロニエ君もなんだか恥ずかしいような気もしますが、どうせ来夏をリミットに買い換えなきゃいけない物で、しかも今ならかなりの高いポイントがつくのだから、やはり無視はできません。

さて、買うとなる自室の配置が今のままではテレビの大型化は絶対にムリで、なんとしても32インチのテレビが収まるスペースを確保する必要がでてきました。
その為には決して小さくはない、高さが220cmもある三段重ねのタンス二竿を、最低でも10cm移動しなくてはなりません。しかも片側に余ったスペースはないので、思いっきり力を込めることもできません。

これがテレビ購入にまつわる最大の難事業であり、はなから自分一人では無理だとわかっていたので、ついに友人に頼んで助っ人に来てもらいました。気軽に来てくれた友人でしたが、現場を見て想像以上の状況だったらしく一気に怖じ気づいてしまったようです。

正攻法でいくなら、中を全部外に出して、一段ずつバラして移動させるのでしょうが、面倒臭がり屋のマロニエ君としては、とてもそんな気の遠くなるようなことはしたくないし、だいいちする場所もないので、できたら男二人の力で強引に動かしてやれという目論見です。

いざ引っぱってみますがこれがビクともしません。あまり力を入れすぎるとタンスそのものが壊れてしまう危険も感じ、作戦変更。
下の部分は4段の抽斗になっているので、さすがにこれだけは外に出し、一人が空になった抽斗の部分を上に持ち上げ、同時にもう一人が引っぱるという方法をとると、上手く息が合ったのか、わずかに動きました。

この方法を何度も何度も繰り返すことで、ついに移動は完了しましたが、終わったときにはもうヘトヘトでした。
また、常に危険と隣り合わせだったことも事実で、もしあんなものが人間に倒れかかってきたら、まちがいなく大ケガか下手をすれば死に至るということも容易に想像できました。
よく大地震のニュースなどで家具の下敷きになって命を落とす人がいるとを聞きますが、今回はそれが実感をもって迫ってくる経験でした。

ともかく無事に最難関を通過できて、あとは電気店に行くだけとなりましたが、その前に一休みというか、妙に気が抜けてしまいました。
続きを読む

ショパンコンクール

ショパンコンクールが始まり、すでに二次に突入しているようですが、ネットで各コンテスタントの演奏とその映像が見られるようになったのは、さすがに時代の力というべきですね。

昔はコンクールが終わり、徐々に報道などから優勝者はじめ上位入賞者の名前が伝わり、その演奏を耳にするのは更に後のことでしたが、今は世界のどこにいてもネットで逐一その様子を見聞きすることができるようになり、マロニエ君も辻井さんが参加したクライバーンコンクールの時からネットで観るようになりました。

それにしても、ショパンコンクールのような第一級のコンクールともなると、まさに世界中から選りすぐりの腕自慢達が結集し、どの人もそれぞれに見事な演奏をしているのはさすがというべきです。
プロの演奏家でも、あれほど念入りな準備を整え、まさに一曲一曲に全身全霊を傾ける演奏というのはそうざらにあるものではないので、それだけでも聴くに値するものだと思います。

まだすべてを見たわけではありませんが、今年からピアノもファツィオリが加わり、ヤマハも当然ながら新鋭CFXを投入していますね。
各人の使用ピアノをざっと見たところでは、やはり圧倒的にスタインウェイで、ヤマハ、カワイがそれなりに続くのに対して、ファツィオリを弾く人はまだわずかしか見ていません。
スピーカーに繋いで音を聴いてみたら、それなりに聴き映えのする音だとは思いましたが、これほど弾く人が少ないのはなにか理由があるのか、あるいは真剣勝負の場では敢えて新しいものは避けようとしているのか、そのへんのことはよくはわかりませんが…。

ざっとした印象では、良くも悪くも華麗なスタインウェイやファツィオリに対して、日本のピアノどうしても性格が大人しく、デリケートな表現は得意な反面、もうひとつ華がなく、いわゆる大舞台向きではない感じです。
シゲルカワイは、今回はいくらか甘味のある柔らかな音を出すようになったようで、ショパン向きとは思いますが、聴くたびにピアノの特性が異なるような気がするのはちょっと定見がないようにも思えます。

その点、スタインウェイは言うに及ばず、ヤマハもあまりぶれて迷走はしていないように感じます。
ネットでコンクールを観ていると、ついつい長時間に及んで、かなり疲れてしまいますので自己管理が難しいのが玉にキズですが。
続きを読む

逢い引き

NHKの衛星映画で放映された『逢い引き』を録画していたので見てみました。
1945年製作のイギリス映画で、いわゆるコテコテの恋愛映画の古典的名作のひとつです。

ふとした偶然のいたずらから出会ってしまった、ごくありふれた中年の男女。互いに家庭がありながらも一気に深い恋に落ちてしまうというもので、それぞれが築いてきた家庭と、この降って湧いたような真剣な恋の板挟みで、愛し合うほどに苦しみから逃れることができないという、この手の作品の草分け的な存在だろうと思います。

この悲恋を描いた映画には、全編にわたってラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が効果的に使われていて、あるいはそれで有名になった映画といえるかもしれません。
互いに惹かれ合う気持ちを押しとどめることができず、真剣になればなるほどその喜びは深い苦悩に変貌し、どうにもならない現実が二人の前に立ちはだかりますが、その純粋な恋心と絶望をいやが上にもラフマニノフの音楽が後押ししてきます。

というか、もともとこのコンチェルト自体がどこか甘ったるい映画音楽のような趣もあるので、こういう使われ方をするのもいかにも自然なことのように思えますが。

それにしてもすでに65年も前の映画ですから、当然モノクロで、時代背景から倫理観にいたるまで、なにもかもがとてつもなく旧式なのですが、音楽にも時代を感じさせる点がいろいろありました。

演奏は全般的に衒いなく直情的で、現代のようにアカデミックで説明的で、それでいてピアニスティックに聴かせるということが微塵もありません。とくにオーケストラの各パートは、フレーズの波を非常に熱っぽく歌い上げるような演奏しているのが印象的で、それ故に音楽の一節一節が人の心にぐっと染み込んでくるような生々しさがありました。
こういう演奏を聴くと、現代の演奏は緻密でクオリティは高いけれど、音楽が本来内在している情感の温度は低く、無機質でどこか白けていると思ってしまいます。

またピアノの音色がいわゆる昔のピアノ特有の、いかにも厳選された材質を惜しみなく投じて作ることのできた時代のピアノの音で、まことに気品のある豊饒な響きをもった音でした。
決して表面的なパワーや華やかさで鳴っているのではなく、純度の高い美音が深いところから太く柔らかく鳴り響いてくるあたりは、思わず聞き惚れてしまい、それを聴くだけでも価値がありました。
続きを読む

CDプレーヤーの怪

エアコン→ビデオ→携帯→エアコンと立て続けに起こった故障。
いくらなんでも、もう終わりだろうと思っていたら、今度はCDプレーヤーに魔の手が及びました。
これだけ続くと、もう自分でも呆れて笑ってしまいます。
症状は普通に再生しても音が従来の半分ぐらいしか出ず、なにをどういじっても良くなりません。
マロニエ君の家のメインのステレオはもうずいぶん古いものなので、きっとどこかが故障したのだろうと思いましたが、ひとつひとつ検証して追求していくと全部正常なので、やはりCDプレーヤーの不調としか考えられません。

接続コードが古いのはいけないのかもしれないと思い、新しいコードに取り替えてみると心なしかよくなったような気もしますが、…数日経ってみるとやはりどうもおかしいわけです。

そこで、むかしCDのポータブルプレイヤーというのがあったのを思い出し、あちこちひっくり返してみると、上手い具合にこれがでてきましたので、さっそくポータブルプレイヤーをステレオに繋いでみたところ、手のひらにのるぐらいのミニサイズにもかかわらず、なんとも朗々としたボリュームを伴って音楽が鳴り響きました。

これをもってCDプレーヤーが異常だと断定できたわけで、まあ新しいのを買っても良かったのですが、ひとまず修理に出してみようじゃないかということになりました。
この機械はマランツでしたから、ネットで博多区にある福岡の支店を見つけ出し、せっせと車に積んで修理に持っていきました。

それから3日ほど経ったころ、マランツの技術者の方から電話があったのですが、それによるとだいぶ何度もテストしているけれども正常に作動しているというのです。そして次のようなアドバイスが。
現時点で不具合は発見できないし、結構古い機械のようなので、とりあえずもう一度このまま使ってみられて、やはりおかしいようならその時は新品を買われるというのもひとつの方法ではないかと思うというものでした。

というのも、修理ともなると最低でも一万円スタートの世界になるが、安いモデルなら新品でも2~3万からあるので、そのあたりを良くお考えになった方がよろしくないですか?というものでした。たいへんご尤もなお話です。

ところが不思議なことに、引き取りに行って再度ステレオに繋いでみると、今度はガンガン大きな音が出るではありませんか。まるでわけがわかりません。音楽は好きでも、決してオーディオマニアではマロニエ君としては、普通に音楽が鳴ってくれればそれでいいのですが。
続きを読む

栄西と中世博多展

現在、福岡市博物館で開催されている『栄西と中世博多展』に行きました。
現在はあまり知られていませんが、博多は二千年の歴史をもつ我が国でも数少ない都市で、とりわけ11世紀には国際交流と貿易が隆盛を極め、中世博多の繁栄は佳境を迎えます。

この時期に日本の仏教史上に極めて大きな足跡を残したのが栄西(ようさい)です。
その最大のものは国際貿易で栄える博多を拠点にして、二度にわたって中国に渡り、厳しい修行の末に持ち帰ったのが「禅」だったそうです。
そして帰国後、この栄西によって、『扶桑最初禅窟』とされる聖福寺(しょうふくじ 福岡市博多区御供所町)が日本最初の禅寺として創建されました。
京都をはじめ、日本中にあまねく広がった禅宗の本格的な第一歩は、この聖福寺から始まったようです。
聖福寺周辺には現在でも実に40ほどの由緒ある大小の古刹が連なる独特のエリアで、行かれた方はご存じだと思いますが、博多の歴史の深さを静かに物語っている地域です。

親日家で有名なシラク元フランス共和国大統領が現役時代に日本を訪問した際、首脳会談など公式行事を終えて帰国の途につく最後の一日に福岡を訪れたことがありましたが、その目的は禅にも深い関心をもつシラク氏が、聖福寺の老師(高位の僧)に直接会いたいというたっての希望から実現されたものでした。

また意外に思われるのは、昔から我々日本人がごく自然に親しんでいるお茶の文化をはじめに日本にもたらしたのが、やはりこの栄西だったそうです。お茶ほど日本人の生活の中に深く根を下ろしているものもなく、様々な歴史の舞台にも登場し、わけても千利休はそれを芸術の域にまで高めた人物ですが、栄西がお茶をもたらしたのが約900年前で、利休はその500年後の人物ということになります。

聞くところによると「うどん」も博多が発祥の地といわれているようです。

そんな栄西と中世博多展でしたが、展覧会そのものは古文書や器類の展示が中心となり、期待していた仏像は大した数ではなく、正直あまりおもしろいものではありませんでした。
歴史的には貴重なものばかりなのでしょうが、夥しい量の古文書をどれだけ見せられても、学者でもない一般人にはそれほどの魅力は感じられませんでした。というか少なくともマロニエ君はそうでした。
続きを読む

続・液晶テレビ

テレビの買い換えの下勉強のつもりで、食事に出たついでに大型電気店を覗いてきました。
平日の夜ということもあるのか、店員はかなり少な目で、ちょっと質問してもポツリとそれに答えるだけで拍子抜けするほど積極性がなく、あまりにも意欲的でないのが印象的でした。
店の戦術として、あえてお客を追いかけ回さず、自由にゆっくり見せるということなのかもしれませんが、そうだとしても過ぎたるは及ばざるがごとしで、あまり消極的な態度をとられると、こちらも白けてしまいますから、そのへんのさじ加減には配慮が必要でしょうね。

さて、今時のニーズを反映してか、テレビの売り場にはまさに唸るほどに多種多様なテレビが展示されていて驚くばかりです。よく見ればサイズと種類、メーカーごとに分類されているので、迷って困るということはありませんでしたが、同じサイズの液晶テレビでも価格が違うのはスペック上の何が違うのか要するによくわかりません。

尤も、マロニエ君はテレビなどはピアノと違い、支障なくちゃんと映れば基本的になんでもいいという手合いですから、こまかいことにこだわるつもりは毛頭ありませんが。

以前からお得感が最も高いのは32インチでは?という気がなんとなくしていたのですが、やはりそれは間違っていなかったようでした。サイズが大きくなれば価格も高くなるのは当然としても、32インチ以下のサイズでは価格は必ずしも安くはならず、むしろ逆転して高くなる場合さえあります。本当は26インチでもいいと思っているのですが、32インチより高額な小型をわざわざ買うというのもどこか腑に落ちない気がするわけです。

メーカーごとの性能の違いは、ひとことで言うなら、どこもこれというほどの差はなく、各社伯仲しているようです。ひとつだけ印象が変化したのは、以前(2年前)一台目の液晶テレビを買うときには、当時シャープのアクオスがこの分野での知名度ではトップというような印象がありましたが、実際に較べてみると画面の鮮明度とか発色のきれいさの点で、他社に譲る点があるようにも感じてソニーを購入しました。
しかし、いまあらためて見てみると、アクオスの持つそうした特徴が、むしろやわらかで落ち着きがあるようにも思えてきました。ほんのわずかなことですが。
これも2年間、ソニーの液晶テレビと付き合ってみた経験から、少し要求が変わってきたのかもしれません。

驚いたのは、いつの間にか消えて無くなったとばかり思っていたプラズマテレビが、大型店にいくとまだまだかなり売られていることで、あくまでこちらを好むという「こだわり派」がいるのだろうなあと思わせられました。
家電という分野も、ひとたびこだわりが入ると際限のない世界だろうなあと思います。
続きを読む

ブリュートナー

以前、ニュウニュウの弾くショパンのエチュードで使用されたピアノがどうも変なので、てっきり中国製のピアノかと思っていたところ、読者の方からブリュートナーであることを教えていただきました。
日本向けのジャケット写真では、ピアノのメーカーの文字が消されてしまっているようで、同じ写真を使用した中国版のジャケットでは、ブリュートナーの文字がくっきりと写っていることもわかりました。

なぜそのようなことをしたのかはわかりませんが、あまりにも音が良くないのでメーカーからクレームが来たのかもしれないとも思いますが、これはあくまでもマロニエ君の勝手な想像で、真相はわかりません。

こういうことにはめっぽう詳しい、四国のピアノ技術者の方にも問い合わせをしていたところ、話はブリュートナーの輸入元の方の耳にも達して、本来のブリュートナーの音を聞くに値するCDを教えていただきました。そういえばプレトニョフもモーツァルトのソナタやベートーヴェンのピアノ協奏曲全集ではブリュートナーを使っているようですし、故園田高広氏も新旧のブリュートナーで録音したCDもありました。

教えられたCDは、アルトゥール・ピッツァーロといういかにもイタリア人らしい名前のピアニストが奏するシリーズで、ともかくそのうちのひとつを購入しました。
リストのハンガリー狂詩曲全集ですが、ここに聴くブリュートナーはそれはもうニュウニュウのショパンで使われたピアノとはまったく別物というべき、なるほど優れたピアノでした。

無意識のうちにスタインウェイの音に慣れきっている耳には、新鮮な魅力さえ感じました。
ベヒシュタインほどの骨太さや剛直さはないかわりに、つややかでふくよかな美音が鳴り響き、それでいて根っこのところではガチッとした鳴り方をするあたりは、さすがはドイツピアノの血筋だと思わせられます。

とりわけリストのハンガリー狂詩曲との相性が良いのは思いがけない発見で、ブリュートナーのやや古典的な発音がノスタルジックでもあり、リストの中でもとくに荒々しい民族性の溢れるハンガリー狂詩曲ですが、ブリュートナーの音色が作品の生臭さを抑え、作品の核心だけをうまく取り出して聴こえてくるようです。
もちろんピッツァーロ氏の演奏の妙によるところもありますが、決してそれだけではない、ブリュートナーの持って生まれたピアノとしての潜在力と、調整の素晴らしさ、録音の良さと相まって、ピアノの音を聴くためだけにも、何度も聴きたくなるCDに仕上がっているように感じました。
続きを読む

液晶テレビ

最近、人と話をするとよく話題に出るのがテレビの買い換え問題です。

まだまだ先のことだと思っていたアナログ放送の終了が、さすがにだんだんと近づいてきている気がします。
とくに省エネの家電製品についてくるエコポイントを得ようとするなら、今年の12月あたりまでという話なので、そろそろ地デジ対応のテレビに買い換えないといけないというのが共通した話題です。

我が家にも一台だけ液晶テレビがありますが、マロニエ君はじつはあれ、あまり好みではありません。
一番の理由は、あまりにも鮮明画像で、画面もそれなりに大きさがあるので、はじめは感激していましたが、どうも視ていて疲れるのです。

ひとつには最近のカメラアングルは、必要以上に人の顔に近づきすぎて、話をする人の顎や額が画面に入りきれないところまで接近するのはどうかと思います。
しかもそれがハイビジョン放送のような高性能な映像クオリティと、片やそれを映し出すテレビがもの凄い高性能ときているので、肉眼でさえ見なくて済むような人の顔の皮膚のこまかい状態や、脂や、小じわや、髭のそり跡などが、これでもかというほど克明に映し出されて、これはほとんど人権侵害では?と思うほど、むごいまでに鮮明に映し出されます。
まさに手を伸ばせば触れられるかというようなクリアな画面というのは、単純にきれい、すごいとは思っても、不思議に心の落ち着きはえられないのはマロニエ君だけでしょうか?

なんでも、大河ドラマのような番組でも、ハイビジョンの撮影なってからというもの、役者も、衣装も、メイクも、そのクオリティに合わせた結果を出すべく、あらゆる基準が格段に厳しくなったそうで、それが関係者のかなりの負担になっているという話を聞いたことがありました。
そんなことでばかりにエネルギーを投じていては、本来のいい番組作りなどという本質には手も意識も回らなくなるでしょうね。

マロニエ君の部屋には今でも従来のアナログテレビがありますが、こちらは画面は小さいし、たしかに画質もうんと劣りますが、なぜかホッとするものがあるのは事実です。
たかがテレビなんざぁ、せいぜいこれぐらいで十分だと思うんですが。
それに地デジ放送って、チャンネルを切り替えるのになぜいちいちワンテンポもツーテンポも遅れるのかが解せません。アナログテレビはチャンネルボタンを押せばパッと瞬時に切り替わる、あの一点をとっても快適です。

まあ、そんなことを言っていても時勢に逆らうことはできませんから、買い換え問題はいよいよ大詰めを迎えるようです。どうせ買うならセコイようですがエコポイントのあるうちに腰を上げなくちゃと思っているこの頃です。
続きを読む

一人旅

久しぶりに会う知人らと食事をしました。
いろいろとりとめもない話題が飛び交いましたが、旅に関する話が持ち上がりました。

このうちの一人は今月海外に行くとのことでしたが、もう一人は国内のあちこちを時間を見つけては、しょっちゅう一人で旅に出かけているようです。
マロニエ君にとって驚くべきは、この2人とも「一人旅」が好きだということでした。

人の好みや感性は実に様々ですが、一人旅を好むというのはそのひとつの大きなあらわれのような気がします。
知人に言わせると、一人旅には自由があり、自分の趣味や気分のおもむくままに行動でき、旅行中の時間を自分のためだけに十全に堪能できるという利点があるようです。
なるほどなあ…とは思いますし、話としてはわかるのですが、いまいち実感は湧きません。

マロニエ君のような甘ちゃんにとっては、一人でレストランや喫茶店に入ることも嫌なのに、何が悲しくて一人旅なんかしなくちゃいけないのかとしか思えませんから、どんなに素敵だと言われても想像もできない世界。ましてや海外へのアテなき一人旅なんてとんでもない。
そんなことをするくらいなら家にいたほうがどれだけいいかとしか思えません。

一人旅を好むようになるには、各人の生活習慣も大いに関係しているような気がします。
外に勤めに出て、出張したり転勤したりと鍛えられて、単独行動がなんでもないことになるのでしょうし、下手に気の合わない人と我慢して同行するより、一人のほうがどれだけ快適かということにもなるようです。

マロニエ君といえば自分でもおかしいぐらい真逆の人間で、学生時代に東京から帰省する際、飛行機以外にも、車でも数え切れないほど往復した経験がありますが、だいたい誰かを誘い込むか、一人で行かざるを得ない場合は、途中休憩もそこそこに極力ノンストップで走りきるという、かなり無茶なことをしていたという記憶があるばかりです。

これが一人旅の好きな人ならば、せっかく車と時間があるのだから、それをチャンスにほうぼうに立ち寄って、普段できないような自由な旅を楽しみながら福岡なり東京を目指せばいいのでしょうが、それがもう、てんでできないわけです。
一目散に目的地を目指し、旅の宝庫である京都や神戸、瀬戸内の街々をすべてすっ飛ばして、脱兎のごとく徹夜してでも走覇していたあの頃を思い出しました。
続きを読む

映画でのピアノ演奏

『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(2008年ドイツ、フランス、ハンガリー合作)という映画を観ました。

クララ・シューマン役はマルティナ・ケデックで、『マーサの幸せレシピ』以来二度目に見ましたが、危なげのない美貌と、長身の体格からくるしっかりとした存在感は相変わらずでした。

シューマンを題材にした映画では、昔はなんと言ってもキャサリン・ヘップバーンの『愛の調べ』が有名でしたが、たしか80年代にも『哀愁のトロイメライ』というのがあって、この映画にはなんとギドン・クレーメルがパガニーニの役でわずかですが出演して、実際にヴァイオリンを弾くシーンがありました。
これらはいずれもロベルトとクララの結婚に至る一連の騒動を中心に描いたものですが、今回の映画はシューマン夫妻のもとにブラームスが現れて、その後シューマンが亡くなるまでを描いた映画でした。

冒頭、シューマンのピアノ協奏曲ではじまり、最後はブラームスのピアノ協奏曲第1番で終わるというところに、クララの愛の対象の移ろいが象徴されているようです。

新しい試みだと思ったのは、通常、俳優がピアノを弾くときは上半身のみを写し、手のアップではピアニストのそれに入れ換えるという手法が、映画のピアノ演奏シーンの半ば常識でしたが、今回の作品では、クララ役のマルティナ・ケデックが弾いているように、すべて上半身と手先を切り離さない映像になっていました。
それはいいのですが、その指先の動きがかなり滅茶苦茶で、よほどピアノに縁がないような人なら違和感なく見られるのかもしれませんが、ちょっとでもわかる人なら、あれは却って逆効果のような気もしました。

それも、カメラが顔から入って手先へ移動するという撮り方などを何度もしているため、ただ鍵盤の上でぐしゃぐしゃと指を動かしているだけの手をアップにされても、見ているほうは興ざめしてしまいます。
ピアノの弾けない俳優の動きというのは、どんな名優でも音楽と身体の動きが一致せず、いかにも取って付けたようになり、このあたりが音楽映画のむずかしいところだと改めて思います。

ピアノが弾ける俳優に、ピアノを弾く役をやってほしいものです。
そういえば、つい先日最終回を迎えた『ゲゲゲの女房』の主役の松下奈緒さんは、東京音大出身のピアニストでもあるそうでびっくりしました。
残念ながらゲゲゲでピアノを弾くシーンはありませんでしたが。
続きを読む

オーケストラの命綱

友人がたまたま目にしたらしく、10日ほど前の日経新聞の切り抜きをくれました。
そこに書いてあるのは、地方のオーケストラが資金不足に喘いでいるという記事でした。

プロオーケストラは団員と職員あわせて概ね100人近い人間を抱え、あるオーケストラを例にすると昨年168公演をおこなったそうですが、それでもコンサートの入場料収入だけでは運営費はまかなえないらしく、頼りは自治体から支給される補助金なのだそうです。

ところが、その補助金が国の(つまり民主党の)事業仕分けによって削減され、多くのオーケストラがまさに命綱を切られて、浮沈の瀬戸際にあるということでした。
日本オーケストラ連盟によると、加盟する31のプロオーケストラの大半が補助金に頼っているのが現状とのことですが、文化庁から各楽団に支給される補助金は昨年の事業仕分けで削減されているとか。

大阪の橋下知事に至っては、財政再建策の一環として、大阪のあるオーケストラへの補助金の大幅カットを表明し、来年度からは全廃するという極めて厳しいものだそうです。まあ、あの橋下さんがオーケストラに価値を持つとはとても思えませんが。

政権与党は、税金のムダ使いを洗い出して整理するのは至極当然の事であって、基本的にはどしどしやってほしいと思います。
しかし、そもそも文化芸術というものは、それがただちにお金になるという種類のものではなく、むしろ国や自治体が支えるべきものではないのかとも思います。地方のオーケストラなどが真っ先にその槍玉にあがるのは、切り捨てる側の文化意識や価値観にも大きく左右されるのではという気がしてしまいます。
音楽などは、見る角度によってはムダとしか映らないものかもしれませんが、文化とはほんらい金銭的価値とは違う次元で必要なものでもあるはずだと思います。しかし、スポーツなども本来の精神を逸脱して金銭と深く結びついた、汚れた世界に成り下がってしまって、賞金額でその人をランク付けするような時代ですから、やはり現在はなんでも金銭的収支が絶対視されるしかないのでしょうか。

官僚や公務員のあきれるような天下りなどには見直しが不徹底ないっぽうで、こういうことをあの痩せた短髪の女性が意気揚々と先頭に立ってやっているとしたら、世の中はまさに鶏ガラのように痩せこけてギスギスになってしまうようです。
そうはいっても、中には切り捨てられても仕方がないようなオーケストラもあるのかもしれませんから、適切な見極めはなにより大事だと思いますが。
続きを読む

薬剤師

ちょっとした体調不良があって、昨日はじめての病院に行ったのですが、そこで処方箋をもらい、すぐ脇の薬局に薬を受け取りに行きました。
薬局内には若い薬剤師らしい女性がひとりいて、いきなり保険証の提示を求められました。
マロニエ君のこれまでの経験でいうと、薬局で保険証を見せろと言われた記憶はあまりありませんでしたが、ともかくはじめての場所ではあるし、ひとまずおとなしく従いました。

ほどなくすると、筆記用具をもってこちら側にパッと出てきたかと思うと、大したことでもないようなことをもっともらしく次々に尋ねられました。
住所まで言わせられそうになったので、それはさっき渡した保険証に書いてあるでしょうというと、すかさず今度は電話番号は?などと矢継ぎ早に質問してきます。
たたみかけるようなテンポの速いしゃべり方に、最初から嫌な感じがしていましたが案の定でした。

ようやく薬の準備ができ、渡す薬の説明をするのは当然としても、以前の別の薬はどれぐらいのんでいたかなどと、また関係のないことを口にして、それ(別の薬)がちょっと多すぎるような気がする…などと言い始めたのには驚きました。
保険証から過去の処方薬の履歴などを追跡できるのかとも思いましたが、よくはわかりませんし、今日のところはとにかくおとなしくして引き下がりました。

以前もある薬局で、薬剤師の女性が、まるで医師顔負けの堂に入った態度で「今日はどうしましたか?」と椅子に腰掛けて質問が始まり、問答ばかりで一向に薬の準備もせず、具体的な症状などをずけずけ聞いては指導的な口のきき方をし、それがあまりにもしつこいので、ついに、医師でもない貴女からなぜそのようなことを聞かれなければいけないのか?私はたったいま病院で診察を受けてきたばかりで、それに基づいて薬が処方されたのだから、貴女は自分のなすべき仕事をすればいいわけで、もし疑問があるのなら先生に聞くべきではといって回答を拒絶したことがありました。

これは極端な例としても、薬剤師には程度の差こそあれ、ちょっとこういうタイプがいるようです。
自分の資格を言い訳のできる範囲で濫用して、つかのまの医者気分を楽しんでいるかのような人。
病院に連なる施設の人間であるのをいいことに、人のプライバシーにズケズケ踏み込んできて、それを大抵の人が素直に応えるものだから、調子に乗っていい気分になっているのでしょう。

こういうことがどうしても見逃せないマロニエ君としては、さて次回がどうなるかというところです。
続きを読む

エアコンパニック-3

この時期にいたって、なんとまた、エアコンに問題が起きしました。
先のトラブル以来、快調に運転を続けていたマロニエ君の部屋のエアコンですが、ある日を境にとんでもないことが起こり始めました。
室内への盛大な水漏れです。一昨年もこれに悩まされたが、その時の教訓としては微細なごみが積み重なって、排水ホースを詰まらせ、行き場の無くなった水が室内に溢れ出るというものでした。
それいらい修理に来たメーカーの勧めにしたがって、毎年クリーニングの専門業者を呼んで内部の徹底的な掃除をするようにしています。

今年も7月の後半に来てもらって、安くもない代金を払ってクリーニングをやっていましたので、その点に関しては安心していたのですが…。
エアコンの水漏れというのは経験のある方ならご存じでしょうが、ひとたび漏れはじめると、もうとめどがありません。
おまけにマロニエ君の部屋は、ベッドの頭のちょうど上ぐらいにエアコンを設置しているので、漏れはじめると枕から3〜40センチのところにポタポタ水が落ち始めます。

漏れてくる場所によっては布団まで濡れてしまうので、ベッドの横にはお盆にバスタオルを重ねて水漏れに備えるしかありませんが、今回は量がやたら多くそれでは足りないので、おおきなプラスチックの容器のようなものを持ってきてたりと対策も大変です。この時期になってもエアコンを切ると寝られないエアコン依存症のマロニエ君なので、夜通しこのパチャンパチャンという音に悩まされ、深い睡眠は普段から苦手なのに、ますます眠りは浅いものとなりました。

すぐにクリーニング業者に連絡すると、普段の愛想はやたらいいくせに、いざとなると自分達はクリーニング以外のことは関与せず、故障はメーカーのほうに言ってくれというすげない返事です。そこでメーカーに連絡してすぐに修理に来てもらいましたが、果たして原因はクリーニングのやり方が中途半端なためと考えられるらしく、機械部分を洗浄することで出てくるゴミなどが逆に排水ホースに詰まって発生したトラブルだということでした。それでも出張修理費はかなりかかりました。

この結果をクリーニング業者に伝えると、なんと国会の証人喚問のように自分達の非を認めようとしません。
ただもう必死に逃げ回るばかりで会話が成立しません。あまりにもばかばかしいのでだったら私は素人なのでメーカーに電話して専門家同士で話をしてくれといったら、それも頑として嫌がります。
結局、来年のクリーニング一回分をサービスすることで話は収まりました。
続きを読む

再放送

日曜日の午後、NHKアーカイブスでショパンコンクールのドキュメント番組が再放送されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
これはユンディ・リが優勝した10年前の記録による「若きピアニストたちの挑戦」という70分の番組で、マロニエ君は途中から見たのですが、今年がショパン生誕200年であり、10月には5年に一度のコンクールが開催されるというタイミングもあって放送されたのだろうと思いました。

以前も見た記憶のある番組でしたが、やはりこのクラスのコンクールに出るのは並大抵ではないことをまざまざ感じさせられます。
以前誰か日本人の女性ピアニストが言っていたことで、それが誰だったかもう忘れましたが、ショパンコンクールに(出場者として)行くと、会場に入り、ほうぼうで練習しているその音を聞いただけで、そのとてつもないレベルの高さに圧倒されて、身がすくんでしまうというようなことをいっていたのを思い出しました。

つくづくそうなんだろうと思うほど、みんな本当に上手くて見事な演奏をしていますが、それでも二次にさえ進めない人、三次で終わりの人、ましてや決勝に残るなどもはや尋常なことではない事だと思わせられます。

マロニエ君的には、決勝に残った人、残らなかった人、それぞれにどうして?と思える人があって、以前から話題の尽きない問題、すなわち審査の公正さや判定をめぐる審査員達の攻防も熾烈を極めると聞きますが、それはこういうドキュメント番組をチラッと見ただけでもふっと察せられる気がしました。
これまでに審査に不服を申し立てて席を蹴った審査員も数多く、スポーツとは違ってピアノ演奏の真の価値を審査するというのは本当に難しく、さらにそこへ汚い裏事情まで絡んでくるとなると、いやが上にも複雑化し紛糾するのは当然のことだろうと思います。

番組が終わるとスタジオの場面になり、またぞろあの有名ピアニストが鎮座していて、すでにもうなんども聞いたような解説をして自分がまるで主催者であるかのようでした。見ていると、もはや時代遅れというべきヘビー級の厚化粧で、目の周りはいろんな線やぼかしやキラキラ光る粉などが所狭しと塗られているようでした。
うしろにピアノがあるので嫌な予感がしていましたが、やはり最後にこの御大は自分を見せる時間がないと気が済まないらしく、「あたくしが、ショパンコンクールでも弾いた黒鍵のエチュード」が披露されました。
演奏に関してはノーコメント。
続きを読む

相撲と野球

マロニエ君は基本的にスポーツに興味はありませんが、それでも相撲は少し見ますし、その他のものも話題の結果ぐらいには興味を持つことがあります。

今日は大相撲9月場所の千秋楽でしたが、なんと言っても白鵬の62連勝達成と魁皇の勝ち越しで幕を閉じたのは良かったと思いました。だいたいこういう結果というのは、まずほとんど自分が望むことの反対で終わることが多く、大半は落胆で幕を閉じるものですが、今日の上記二つはホッとしたというか嬉しいことでした。

魁皇は福岡の地元力士という枠を超えて、もはや全国区の人気力士で、引退を常に背負いながら出場記録を伸ばしているところが、とくに最近は見るたびにハラハラさせられます。聞けば現在、この魁皇が大関以上では唯一の日本人力士なんだそうですね。あともう少し頑張って欲しいものです。

それにしても白鵬の62連勝はすごいですね。
取り口を見ていても、基本は悠然たる横綱相撲で、常に受身の相撲をつらぬきながら、必要時には目にも止まらぬ俊敏と獰猛とさえいえるような突進力で相手をなぎ倒すところはまさに本物の横綱といえるでしょう。
その姿も美しく、長身で、色白で、風格に溢れるその偉容は、まさにこれこそ横綱という感じです。
横綱の資格はまずもってその実力と人並み外れた成績であることは言うまでもありませんが、心・技・体といわれるように、ただ強いだけではないすべてをひっくるめた、見る者を一瞬にして納得させるオーラが無くてはなりません。

やや下り坂気味だった千代の富士の53連勝の時とは違って、白鵬の相撲にはまだはち切れんばかりの力が漲っていて、これはどこまでいくかわかりませんね。はじめの頃は双葉山の69連勝なんてゼッタイムリと思っていましたが、どうやらそうではないような気がしはじめているのはマロニエ君だけではないでしょう。

千秋楽が終わってやれやれという感じでいたら、夜になって知ったことですが、なんとソフトバンク・ホークスも今夜リーグ優勝をきめたと知って、二重の驚きでした。
昔のダイエーがやはり優勝と、つづく日本シリーズで日本一になったとき、中州の橋の上に大騒ぎを見に行ったことを思い出しました。優勝に湧く群衆の中から、次々に川に飛び込む若者がいて、厳密なことを言ったら問題はあるのかもしれませんが、めったにないお祭り騒ぎの熱狂の中での出来事として楽しい思い出になっています。もしかしたら今ごろやっているのでしょうか。

ひとつだけ、野球の優勝で個人的にいただけないのは、あのビールかけです。
いくら嬉しいとはいっても、ホテルなどの屋内を飛び交うビールの放水で壁も天井もベトベトにしてしまうのは、ちょっと騒ぎ方としてはスマートさに欠ける気がしますが、今夜のビールかけは意外や野外のようでしたから、いくぶんホッとしました。
続きを読む

バッハだけの世界

いまさら言うまでもないことですが、バッハの作品ほど楽器の特性を超越したところで作曲された音楽というのは類がないと痛感しました。

例えば、多くの鍵盤楽器の作品が、チェンバロから現代のモダンピアノまですべてを楽々と受け容れて演奏されるのは当然としても、ゴルトベルク変奏曲が弦楽合奏で演奏されても、何の違和感もなく音楽をして快適に聴き進むことができるのは多くの人が知るところでしょう。

未完の大作である「フーガの技法」もチェンバロ、オルガン、ピアノと楽器を選ばないところにこの孤高の作品は位置しているように思われます。
また昔はプレイバッハなるジャズバージョンも流行したことも忘れるわけにはいきません。

さて、最近珍しいCDを手に入れました。
ブランデンブルク協奏曲(全曲)をマックス・レーガーの編曲でピアノ連弾によって演奏しているものです。
ネットで見つけて、どんなものか面白そうなので買ったのですが、鳴らしてみると、面白いというよりはうんとまともというか、非常にすんなりと音楽が耳に入ってくるのに驚きました。

ブランデンブルク協奏曲は、すでに合奏協奏曲での演奏で耳にタコができるほど聞き込んでいる名曲中の名曲ですが、それが今はじめてピアノで鳴っているというのに、何の違和感もなく曲がすらすらと現れて流れるのには驚きました。
まるで、もともとピアノ曲であったかのように自然で、いつしかオリジナルが合奏協奏曲であったことをつい忘れさせるほどです。

こういうことは、しかしバッハだけのものであって、たとえばリストがソロピアノに編曲したベートーヴェンの交響曲(一時期カツァリスがよく取り上げていました)や、2台のピアノで演奏されるブラームスの交響曲などは、聴いていて意外性やそれなりのおもしろさは感じても、しだいに飽きてきて、最後にはどうしてもオーケストラの演奏を聴かずにはいられない欲求に駆られるものです。

ところがこのピアノ連弾によるブランデンブルク協奏曲はそういう不満感がまるで起きないのです。
演奏ももちろん見事で、ピアノも100年以上前のスタインウェイを使って演奏されていますが、そんなことよりもバッハの超越的な作品の凄さというものをひしひしと感じさせられるCDでした。
やはりバッハは時代や楽器を超えた、孤高の作曲家ですね。
続きを読む

携帯パニック

どうしたものか、今年は次から次に電気製品が故障したり不具合が発生する年のようです。
マロニエ君は現在、ソフトバンクの携帯(iPhoneではない)を使っているのですが、現在の機種を使い始めて半年ちかく経ったころからバッテリーの消費が激しくなり、修理ということで代替機を使うことになりました。
10日ほどするとショップから連絡があり、引き取りに行ってみると、やはり機械的な問題があったらしく、問題の箇所は新品に交換した旨の報告を受けました。

それから数ヶ月経ったころ、やはりまたバッテリーの保ちが悪くなり、今度はそろそろバッテリーの寿命かと思い、貯まったポイントを利用をして新しいバッテリーを購入し交換しました。
ところが、それを使い始めて二ヶ月も使ったころから、またしてもバッテリーが保たなくなり、毎日充電してあまり使わなくてもすぐに電池レベル表示は不足の警告を出すようになりました。

今回はバッテリーは新しく、寿命ということは考えられないのでショップに出向いて事情を話したところ、とりあえず別のバッテリーの貸し出しを受けて様子を見ることになったのは、以前このブログにもちょっと書きました。

さて、そのショップが貸してくれた中古のずいぶん汚れたバッテリーを使ってみたところ、なんとこれが何の問題も無いことが判明。すなわち購入したバッテリーが不良品だったことがわかりました。

その旨、ショップに電話して不良品を交換してくれるように頼んだのですが、ここからが大変でした。
ショップはショップの関与したことにしか責任をとらず、ネットで注文購入したものについては独自にネット注文の部署に掛け合ってくれと言うのです。やむなく教えられた番号にかけると、ガイダンスにしたがって際限なく操作を繰り返し、やっと人間の声にたどり着いたと思ったら、今度はひと言なにか言う度に「少々お持ちください」を連発するばかり。

その挙げ句、不良品を交換するためにはバッテリーをいったんショップに持っていくように言われました。
しかし、そもそもショップはネットで買ったモノについては関与しないと言うのでかけた電話であるというと、またお待ちくださいの挙げ句、「折り返しお電話します」となります。これを実に3回繰り返したあげく、ついに「特例として」新しいバッテリーを送るということになりました。ここまでくるのにもうヘトヘトでした。

これで終わりかと思うと、今度は不良品を宅急便で送って欲しいので、住所のメモをお願いしますといわれました。
さすがにカチンときて、それは拒否し、ショップへ借りたバッテリーを返しに行くときに一緒に渡しておくので、あとはこれ以上客の手を煩わせることなく、社内で処理してくれというと、ようやくそのように収まりました。
電話に出る女性は言葉は丁寧なのですが、判断力が無く、応用が利かず、生きた処理ができません。
決められたシステムを守るためにはお客にどれだけ迷惑がかかっても、そこは問題ではないようです。

この一連の電話が済むだけでも、実に一時間半!!を要しました。
続きを読む

気骨あるピアニスト

昨日、ブログに書いた「ピアノの本」ですが、処分する前にパラパラとめくってみると、ちょっとした文言が目にとまりました。

ピアニストの小川典子さんによる文章で、英国のマレー・マクラハランというピアニストを紹介しているものでしたが、注目すべきはマクラハランが恩師に言われたという言葉でした。
「気骨あるピアニストを目指すなら、コンクールには一切出場しないことだ。」
なるほど!と思いました。
彼はその教えを忠実に守り、地道な努力によって骨太なピアニストに成長したらしく、いまや世界で活躍しながら、地元の音楽学院の教授をつとめ、CDもすでに40タイトル以上に達しているようです。

現代ではピアニストを志すものがコンクールに出場するのはごく当たり前であって、それに値する実力がありながら、一切出場しない正道を進むのは、よほどの勇気と決断の要る事だろうと思います。
率直に言うなら、コンクールは一攫千金的な側面があって、世界の有名コンクールともなれば、優勝すれば一夜にして有名人になることができる上、ステージチャンスは舞い込み、経歴としても単純・明快・確実だから、コンサートピアニストを目指すほどの人は当然のように出場するのだと思います。

中にはコンクール中毒のような人までいて、世界各地のコンクールにとにかく出場することが生き甲斐みたいな人までいるのです。
どんなに指は達者でも、こういう人は決して本物のピアニストにはなれないでしょうね。

いっぽう、コンクール経験なしでピアニストを目指すのは生半可ことではありませんが、でもそれが可能なら、もちろんそのほうが演奏家として本物だとマロニエ君も理屈抜きに、直感的に思います。
コンクール歴がなければ、自分を飾る肩書きもなく、より純粋に優れた演奏だけが勝負であり、その蓄積によって遠い道のりを一歩一歩前進するしかありませんからね。ここが「気骨」だろうと思いますが。
真っ先に思い浮かぶのはエフゲーニ・キーシンで、彼はこれといったコンクール歴のないまま、現代最高のピアニストの一人に数えられるまでに上りつめた希有な一人でしょう。

コンクール歴のない人の演奏は、どこか昔の巨匠にも通じる、一種の人間くささ、誠実さ、魂の純潔、芸術家として必要なストイシズムをもっていて、そういうところからぎゅっと搾りとるように汲み出された音楽が、我々聴く者の心を打つのだろうと思います。
その点、コンクール出身者は、素晴らしい人もありますが、おおむね難しい受験に合格した勝利者という印象です。
続きを読む

「ピアノの本」

ヤマハのレジの横に置いてある「ピアノの本」という、たいそう小さくて薄い、わずか40ページほどの冊子があるのをご存じですか?
いちおうは月刊誌らしいのですが、普通の雑誌の付録にもはるか劣る、とてもお金を出して買うようなものには見えないものです。
せいぜい航空会社の時刻表並みですが、紙質ははるかに劣りますし、カラーは表紙のみです。

それでなくても今時は、無数のたいそう立派なフリーぺーバーが世の中ひしめき合っている中、なんとこれが有料だというのですから開いた口がふさがりません。だれがあんなものをお金を出して買うんでしょう?

ところが、それが現実にレジ横で105円で売られていて、しかもピアノの先生の何とかいう会員とかであれば無料とのことなのが甚だ愉快ではありません。一般の客でもレジではちゃんとお金を出して定価で商品を買っているのに、これではまるで差別されているみたいで不愉快なので、マロニエ君はこれまでに一度たりとも買ったことはなく、したがって常々ほとんど読んだことはありません。

そういう一部優遇制度が撤廃されれば気まぐれで買うこともあるかもしれませんが。
逆にいうと、あれを敢えて105円出して買う人はまずいないと思うので、だったらどうして無料にしないのかと訝しく思うばかりです。
しかも、以前ヤマハの別店舗ではタダでもらったことがあるので内容を見てみると、ピアニストへのインタビューとか、先生の紹介、ヤマハのコンサートや公開講座/公開レッスンの案内、あとはヤマハのイベントやヤマハの新製品や新刊のニュースの羅列で、要するにヤマハに関する宣伝の類ばかりが書かれた冊子です。

これを一部の先生だの会員だのにはタダで渡し、お金を出して現実にモノを買っている一般のお客さんには105円也を請求するとはなんたることかと思いました。
別店舗では「どうぞお持ちください」と言われたこともありますが、天神では頑として売り物扱いですからいい度胸だと思いました。

タダでも読んでもらえるだけ幸せと思うべきところを、何を勘違いしているのでしょう。
これを無料にしたところで、みんなが一斉に持っていくようなものではぜんぜんありませんし、そもそも刊行された印刷物は少しでも多くの人に読まれてこそ意味があるというもの。

いかなる企業も顧客の確保とサービスの向上には、それこそ血の滲むような努力をしているというのに。
思うところをヤマハの担当者に電話して、鋭意検討の上、善処してくれるよう伝えました。
続きを読む

バレンボイム

【いただいたコメント】
名前:福岡から タイトル: 今年聴いたショパン-No.19〜24

今年聴いたショパン-No.19〜24を拝読しました。読み応えのあるシリーズでした。最近は恵まれていて、あまり聞いたことがないピアニストも右クリックで動画検索に入り瞬時に数曲効けるという王侯貴族でも不可だったことがモバイル環境で可能ですね。

私の良く聞くピアニストについては賛同できる面が多々ありますが、やはりバレンボイムについては、彼しか引き受ける人間がいなかったのだと思います。彼は今の年齢66才でもベートーベンソナタ全曲ライブとか破天荒な試みを成功させておりますし、ショパンもかなり古くからレコードがあります。

彼のアコーギクなりルバートには鼻につく面がありますが、それなりに全曲大きな破綻なく収めるベテランが、若手のキーシンに対していなかった(引き受けてくれる人が)ということではないかと拝察します。

個人的には完成度はともかくバレンボイムのように何でも弾けるといいなあ、と思う毎日です。普通の人にとって人生はショパンにせよベートーベンにせよ全曲弾くにはあまり短すぎるものですから、その観点でバレンボイムを評価している一人としてペンをとりました。今後のエッセイも期待しています。

【マロニエ君より】
コメントをいただきありがとうございました。
最近のバレンボイムはせっかくの才能を乱費しているようで残念です。指揮をする量が増え、壮年期に入ったあたりから仕事の質が次第に落ちたと思います。子供の頃はモーツァルトの再来のように言われた神童だった聞きますが、歳をとり、世間の垢にまみれ、ついには大手スーパー並の演奏商売をはじめた観があります。

たしかに彼のように何でも弾けるのは羨ましいですが、アシュケナージもそうであったように、あまりにも無闇に広範なレパートリーを手中にしようとするピアニストは、どうしても仕事が粗く、音楽に霊感が無く、いつしか音楽の土台までがこわれていくような気がします。

おっしゃるようにピアノのレパートリーはあまりにも膨大で、人の一生では時間が足りないというのは同感です。
ところが、現代ではいつの間にかベートーヴェンを弾くなら全曲演奏は当たり前というような風潮で、誰もが音楽と言うより記録作りのたぐいにばかりに精力をさいて無意味な挑戦するのは危機感を覚えます。
いつもながらお粗末な文章をお読みいただき恐縮ですが、今後ともよろしくお願い致します。
続きを読む

ベビーカー

成熟した社会では、弱者に対して思いやりの心と手厚く温かい対応が必要とされることはいうまでもないことですが、ときどきそういう高尚な理念とはかけ離れた光景を目にして、大いに疑問に思うこと、違和感を感じることがあるのは決してマロニエ君だけではないはずです。

過日もデパートに行って、満員で乗れない人も多く出るような状況のエレベーターに、何憚ることなくベビーカーを突っ込んでくる人がいるのは見ていてあまり気持のいいものではありませんでした。

それもお母さん一人という状況ならわかりますが、両親そろっているのなら、混み合う満員のエレベーターに乗るときぐらい、公衆道徳といえば言葉が硬いでしょうが、臨機応変に子供を抱いてベビーカーを畳むぐらいのことをしたらどうかと思います。ひどいのになると、夫が子供を抱き、妻が空のベビーカーを悠々と押して入り、ぐいぐいと奥に詰めて場所を空けろといわんばかりのパターンもあります。

また、知り合いと一緒に買い物らしく、二台同時に入ってくることがありますが、ベビーカーというのは意外にサイズもあり、それが二台ともなると、普通の人が乗る数は多いに制限を受けますが、ベビーカーというものがまるで社会特権でももっているかのようなどこか高慢な態度と表情が、迷惑をかけているまわりの人達の心証にとどめを刺すように思います。

もちろんベビーカーをエレベーターに乗せるのが悪いと言っているのではありません。しかし、わずかでもスペースを譲り合うべき状況で、他人にやむを得ぬ迷惑をかけることに、なんの躊躇も遠慮も感じていない様子を目撃するのは、決して珍しい光景ではありません。まるで子供を盾にして自分の露払いをしているような印象。

しかも、あまりにも他人への思いやりがないために、人の荷物を引っかけたり、あやうく老女がつまずきかけるのを目撃したこともありますが、だいたいこの手の親は、ちょっとしたお詫びのひと言もなく、赤ん坊という最大の弱者を連れていることで、どことなく「生類憐れみの令のお犬様」のような圧力を感じてしまいます。

一番驚いたのは、やはりエレベーターで、さんざん人をよけさせた挙げ句に入ってきたベビーカーでしたが、なんとそこに赤ちゃんの姿はなく、買い物の荷物ばかりが積み込まれていて、これにはエレベーター内の乗客は呆気にとられ、無言の視線をその女性に送っていましたが、その女性ときたら何の悪びれたところもなく、必要以上に堂々としていたのが印象的でした。
続きを読む

かけた電話が…

ちょっとした要件があって友人の携帯へ電話したところ、むこうはちょうど知人の入院見舞いに行って、たったいま車に乗ったところとだったと告げました。
それはちょうどタイミングがよかったと思い、1〜2分ほど話をしていると、友人が突然アッと言ったかと思うといきなり電話を切ってしまいました。どうしたんだろう…と、すごく気にはなりましたが、そこは敢えてかけ直すことはしませんでした。
というか、なんだか嫌な予感がしたので、とりあえず何もしないほうがいいような気がしたのでした。

それからしばらくの間、マロニエ君も落ち着かないまま待っていると、10分ほどして向こうから電話がかかってきました。悪い予感は的中しており、運転中に携帯電話を使用したことでパトカーに捕まったらしいのです。
この通話がもともとマロニエ君がかけた電話であったことで、責任の一端がこちらにもあるようで、申し訳なさがつのります。
言い訳のようですが、マロニエ君は「たったいま車に乗ったところ」というのを、文字通りドアを開けてただ乗っただけで、車はまだ動いていないと思っていたのです。もし、運転中と知っていれば普段からさっさと切るようにしています。

今、後のパトカーの中で反則切符を作成中だそうで、なんともいやーな光景が目に浮かびました。

摘発の方法がまた驚きでした。
なんでも、パトカーから電波を使って携帯電話を使用中かどうかを測定するのだそうで、使用中ということがわかると、そのまま40m追尾することで、違反が成立したということになるそうです。
この方法は、以前も聞いたことがあるにはあったのですが、実はマロニエ君はあまり本気にしていませんでしたので、やはり今回このようなことになって、それが事実だということがよくわかりました。

だとすると、街頭などで警察官が、運転中に携帯で話している人を「見ただけ」では、証拠不十分で摘発できないのだろうかとも思います。
ただ携帯電話を片手に持って運転し、通話もなにもしないで話しているフリだけをしたとすると電波による確認ができないわけで、そういう場合はどうなるのだろうかと思ってしまいます。
まさか運転中は携帯に触っただけでも違反というわけではないと思いますが…。
とはいっても、シートベルト装着などは、見ただけで摘発されるわけですから、まあ余計なことはしないことですが。
続きを読む

モンスターペアレント-2

昨日の続き。

ある学校では毎月一回クラスの席替えを行っていた。
方法は公平なくじ引きで、席番号を書いた紙をみんなでひくというもの。すると翌日学校に一人の親から担任に電話がある。今回の席替えで我が子の隣が望ましくない子になったので、もう一度席替えをしてしてくれと主張する。それはできないと断るが、受験も控えているが失敗してもいいのか?などと猛烈に食い下がる。
とうとう根負けした担任が同じ方法で再度席替えをおこなった。するとまたしても電話が。今度のとなりの子も望ましくない子で、やはり困るので、もう一度席替えをやって欲しいと吠えまくる。

一家で食事をしていると、息子のお箸の持ち方がおかしいことを父親が発見する。その持ち方はおかしい、それでは学校の給食時間に先生から怒られるはずだというが、息子はべつに怒られないと答える。この事実に両親とも怒りをあらわにする。
翌日、父親が担任に電話をし、うちの子がお箸の持ち方がおかしいのに、なぜきちんと学校は教えないのかと、まるで学校の怠慢のようにまくしたてる。驚いた担任が、お箸の持ち方の指導はご家庭でお願いしますというと、父親は完全にキレる。
義務教育なんだから学校がお箸の持ち方を指導するのも当然のはずだ、そもそもアナタ方の給料は我々の税金で払われているんだ、我々が毎日忙しく働いて納めた税金のお陰でアナタ方は生活できているんだと吠えまくる。そして最後に名言を残す。
「一体、そちらではどういう教育をしているんですか!!!」と。
これにはさすがにスタジオの一人が言った。
「あれはふつう先生が親にいうセリフでしょう」と。ごもっとも。

これら以外にもマロニエ君は似たような話を聞いたことがありました。
ある子供が問題を起こして、親が学校から呼び出される。
ところが母親は働いていて、その都合ばかりを優先させ、そもそも子供のしでかしたことで呼び出しをされているという状況認識ができていないらしく、先生が強く要求することでようやく来ることに。
母親と子供と先生で話し合いがもたれ、一段落付いたところで母親が切り出す。
今日は先生がどうしてもと言われるので無理して大事な仕事を休んでしまった。だから、その賃金の損失分は学校側が負担するべきではないか?と先生に詰め寄るというものでした。

専門家の話では、現在、全体の約一割程度この手の親がいるそうで、1990年代からこうした現象が生まれはじめたのだそうです。
いやはやとてもじゃないですが、完全に笑い話レベルですが、素直に笑えない不快感があります。
先生もストレスたまるでしょうね。
続きを読む

モンスターペアレント-1

少し前に録画していたテレビ番組で、現在学校現場で大きな問題になっている、いわゆるモンスターペアレントの特集があったのをようやく見たのですが、その内容たるやすさまじいもので、実際の話なのですからただもう驚きました。
先生も昔とは違って大変過酷な仕事になってしまったようです。

内容は概ね以下のようなものでした。

体育の授業中、生徒が自分でサッカー場のポールに頭をぶつけてケガをしたので、先生が医務室ではなく、直ちに近くの病院へ連れて行ったところ大事には至らず、数回の通院で済むことになった。知らせを聞いて駆けつけた母親は一安心したのち、突如、先生に向かってなぜこの病院に連れてきたのか?と聞く。学校から一番近いからというと、母親は通院すると家からは遠いので、家の近くの病院がよかったのにという。
そして、ここに通院するのなら(先生の判断でこの病院になったわけだから)、それに要するタクシー代は学校から出るんでしょう?と詰め寄る。

学芸会でビデオを手にした親達が我も我もと揉み合うように我が子の撮影に興じる中、上手く撮れなかったことを妻子に責められた父親は、なんと学校の校長室に行って、もう一度学芸会をすることを要求。断られた父親は、それじゃあうちの子の思い出が撮れなくてもいいって言うんですか!と校長を相手にキレる。

似たようなもので、運動会のかけっこをビデオ撮影していると、先頭を走っていた我が子が運悪く転倒する。結果ビリになってしまったことにどうしても納得できず、学校側にもう一度やり直しを要求。転びさえしなければうちの子が一等だったのに、ビリになるのはおかしい、かわいそうだと父親がまくし立てる。

学芸会で白雪姫をすることになり、希望者によるくじで白雪姫役を決定した。ところが、翌日先生に電話が殺到。うちの子がなぜ白雪姫になれないのか、帰宅してから泣いていたと、などと責め立てられ続け、ついに白雪姫ばかりが舞台上にずらりと並んで登場し、その親たちだけが盛り上がって拍手を送った。
魔法使いも7人の小人もいない、原作を踏みにじる出来事として海外のメディアにも取り上げられた。

授業参観で親たちが教室の後に立ったまま、授業中にもかかわらず勝手なおしゃべりを続けて止める気配がない。先生は咳払いなどして注意を促すがまるで効き目なし。そのうちおしゃべりは生徒へも波及し授業にならない。ついに先生がおしゃべりをする生徒を注意し、その流れで親たちにも少し静かにするように言うと、一人の母親が逆ギレ。なんで私を見るのか!しゃべっていたのは私だけじゃない、だいたい授業があんまりつまらないからこういうことになる。もう少しマシな授業をしたらどうか?と逆襲する。

どうです?すごいでしょう。
つづく。
続きを読む

草戦争-その後

朝夕はずいぶん涼しくなりましたね。
我が家の庭は例の化学兵器の投下により、今年の草はほぼ壊滅し、その点ではなんとも快い日々を送ることができました。
これなくしては草の伸びる猛烈な勢いを抑えることは到底できないし、ましてや今年のような猛暑日の連続とあっては、果たしてどんな恐ろしいことになっていたか、考えただけでもゾッとしました。
投下前の状況からしても、例年以上の規模と勢いがあったのは確実でしたし。

マロニエ君のような根性ナシでは、逆立ちしたって、とてもじゃないですがあの酷暑の中、草取りなんかできるわけがありませんし、草刈り機をかけたところで、すぐまたグングン伸びて、ものの一週間や十日で元に戻ります。
かくして庭は、ゲゲゲの遊び場状態となるのです。

草が枯れていることで思わぬ副産物がありました。
それは蚊が少ないということでした。
考えてみれば、こんなことは当たり前のことなのでしょうが、はやり直接それを経験してみるとしみじみ効果を感じるものです。
蚊の大半は、草木の中を根城しにているのでしょうし、以前よりも変なムシの類も格段に少なかったように感じます。
こんなことはあまり書きたくはないですが、夏になると年に1〜2度は蛇をさえ目撃することもありました。
それがガレージの中に混入してしまって、大騒ぎになり、ついには警察を呼んだこともありました。

除草剤はそういう一切からも我々を解放してくれたような気がしています。
そんな話をしていると、友人の一人が「あまりそんなことをしたら、土地が汚染されるんじゃない?」などと大げさな脅しをかけてくる輩もいますが、べつに家庭菜園をするわけでもなく、要はなにを優先するかの問題です。

ところが最近、効き目が消えてきたのか、草のなくなったはずの庭のあちこちに、またしても雑草の一種だけがにょきにょきと出てきました。
すでに20センチ前後にはなっていますが、生え方はまばらで、そのうちまた「投下」すれば済むと思うと、フンと余裕で見つめています。
続きを読む

笑顔の記憶

お食事リンクにあるハシダ洋菓子店は、数ある洋菓子店の中でも、独特のお店だったと思います。
時代の波で、洋菓子店といっても次々に新しいものや変化が押し寄せてくる中で、ハシダ洋菓子店は小さいけれども決してスタイルを変えない店で、ここに行くとマロニエ君が子供だった頃そのままの、まさに昭和の時計が止まったまんまといった風情でした。

この店は老いたご夫婦でやっていて、作っているのは頑固一徹のような職人肌のご主人で、普段は店の奥で黙々と仕事をしていて、お客さんともまずほとんど口をききません。ごくまれに接触しても、その無愛想なことといったらありませんでした。

そんなご主人とは対照的に、小柄な奥さんはいつもエプロン姿で店頭に立ち、いついかなるときにも例外なくこぼれんばかりの笑顔で接客していましたから、この店のイメージはそのまま奥さんのイメージでもあり、とびきりの笑顔と丁寧な接客で成り立っているのは、この店を知る人ならみんな知っているはずです。
常連さんだけでなく、はじめてこの店を訪れた人でも、この奥さんの笑顔と接客姿勢は強く印象に残るものだったようです。

ケーキの種類なども決して豊富ではなく、中にはどう見ても時代遅れなものもありました。
それでもいくつか好きなものがあり、おまけに休みもなく、いつでも夜遅くまで確実に開いているので、考えてみるともうずいぶん長いこと、ふっと思い出しては買いに行っていました。
中でも、クリスマスなどのデコレーションケーキは、生クリームとスポンジという基本形なので、そこはご主人のベーシックな製法が功を奏して、とても美味しく、そのうえに安いので毎年注文するのが我が家の慣わしでした。

それが数日前に会った知人から、思いがけない話を聞かされ大変なショックを受けました。
店の看板ともいうべきあの奥さんがつい最近、病気で亡くなったとのこと。
それを追いかけるようにご主人も同じ病気になり、ついに店はシャッターを降ろしたという話でした。

マロニエ君の意識の中では、未来永劫あの店はあそこにあるものと思っていただけに本当に驚かされました。
昨日、気になって店の前を通ってみたら、なるほど昼間だというのにシャッターが降りていて、小さな張り紙がしてありました。
…長いこと、本当にお疲れ様でした。
続きを読む

圧迫感と解放感

いまさら繰り返すまでもないほど何度も書いてきたことですが、マロニエ君はとにかく人前でピアノを弾くということが自分でもちょっと異常じゃないかと思うぐらい苦手です。

一昨日もある会場でサークルの定例会が行われましたが、そこは普段より比較的広い会場ではありましたが、それでもホールではないのでピアノと客席との距離がすごく近いわけで、これが心理的にもの凄い圧迫になるのです。
だいたいピアノサークルで利用する会場というのは狭いところが多く(もちろんホール借り切りというわけには行きませんから当たり前なのですが)、人の目と存在がめちゃめちゃ至近距離で、そんな中で弾かなくてはなりません。
ちょっとした自己紹介も嫌なマロニエ君にとっては、こんな見つめてくれと言わんばかりのシチュエーションで順番に歩み出てピアノを弾くというのは、まさに恐怖そのものなので(たぶん心臓にも悪いだろうし)、いつもそのたびに「これを最後に見学者になろう」と思うほどです。

ところが、そんなマロニエ君ですが、極限的に耐え難い状況と、そこまででもない状況があるということがわかりました。
それは機会があって、何度か本格的なホールのステージ(もちろん客席には数人の関係者以外はいません)で弾いてみると、これが思ったほどキンキンには緊張しないことがわかり、これは自分でも非常に驚いたことでした。

その理由は幾つかありますが、まずホールというのはとにかく圧倒的に広い空間であるために、開放的で息がつまるということがありません。ステージに置かれたコンサートグランドも、はるか小さな楽器に見えるほどです。
それに音がことごとく遠くへやわらかに飛び去って行くので、思わず心が澄みわたるような気分になるのです。
とりわけマロニエ君にとって一番の有難い点は、ピアノの近くに人がいないということ。

客席に少々人がいても、ステージとはかなり距離があり、床の高さも照明も厳然と区分けされ、ステージが独立した空間のように思えるためか、意外に自由で快適に弾けることがわかりました。
要するにちょっぴり自分の世界を作れるのです。

ピアノサークルでは、マロニエ君ほど極端ではないにせよ、こういう状況を苦手に感じている人もいる反面、口では「緊張する!」なんて言いながら、どうしてどうして、大いに楽しんで弾いている人もいらっしゃるのは何度見ても驚きます。
よほど神経の構造が根本的に違うのでしょうが、実にうらやましいことです。
続きを読む

練習の迷い

日本で最も有名な女性ピアニストがよく使う言葉に『練習は決して貴方を裏切りません!』という格言めいたものがありますが、マロニエ君にしてみれば必ずしもそうではない場合もあるのだということがわかりました。

昨日はピアノサークルの定例会があったのですが、そこで演奏するための曲を、最近ときどき練習をしていたのですが、これまでそれなりに弾いてきたつもりの曲というのは、あらためてきちんと練習し直してみると、いろんなところが気になりはじめたり、これまでちょっとした思い違いをしていたことがわかったり、とかくいろんなチェック項目が出てくるものです。

これがぽつぽつ出てくると、当然それらを考慮し修正しての練習──厳密にいうなら新たな練習になりますが、そのせいで普通に弾けていたところまで壊れてくる事が往々にしてあり、結局、練習前よりも全体がガタガタになっていってしまいます。
より滑らかに、より確かに、より美しく弾くための練習のはずだったものが、かえって寝た子を起こしてしまうような結果となり、混乱しはじめると、もうとめどがありません。
単純に言うと、練習すればするほど自信がなくなっていくわけです。
自信が無くなるということは、弾けていた部分を弾くことにも新たな不安がつきまといはじめるわけで、こうなると何のための練習かといった感じで、ただもう気持ばかりが焦ります。

それはひとつにはこういうことだろうと思います。
もともとの練習がキッチリ正確に出来ていないまま、それで何となく仕上がっていたものが、新たにちょっと真面目に練習することで、未解決の問題点などが洗い出されてしまい、その修正作業にエネルギーを費やすことになるのでしょう。

いや、しかし、そればかりではありません。
練習って、やっているとだんだん上達して自信がつくその裏に、だんだん自信をなくすという逆の一面が潜んでいるのだと思います。
抽象化され感覚化されていたものが、練習によって再び具体化され分解されてしまうとも言えるような気がします。
さらには、音楽はこれで終わりというものがない世界だから、たとえ下手な素人でも音楽的に精査して踏み込んでいくと問題は次から次に出てくるわけです。
はああ、とりあえず定例会が終わってやれやれというところです。
続きを読む

ビデオパニック-その後

ビデオが故障したのは大変な痛手で、録画していた番組がすべて失われたのは精神的にもショックだったことは事実でしたが、日が経ってみると所詮はビデオはビデオで、大事な本やCDが失われたのとはやはりちがいます。

さて、このDVDレコーダーはテレビと一緒に2年前に国内最大手といわれる有名電気店で購入した物でしたが、販売店に修理依頼をしたところ、これが予想以上にてきぱきと対応してくれたことは悪い気分ではありませんでした。
電話に出た担当者は、こちらの状況説明で、ハードディスクが壊れていると判断し、おそらくそれの交換になるので、すぐ伺っても良いけれども、できればまずはその部品を揃えてからのほうが良いのでは?といわれました。
その提案は合理的で尤もだと思い、了解しました。

それから数日して部品が揃ったので伺いたい旨の連絡がありました。
訪問時間の取り決めをし、翌日その通りにやってきました。

こちらの大まかな説明を聞いた後は、スムーズに修理に取りかかり、大した時間もかからずに完了しました。
ついでに電波の状況など、テレビとビデオがキチンと映るための環境のチェックもしたらしく、そこで感じた問題点などもわかりやすく伝えてくれました。
昔のテレビから引き継いでいたアンテナの差し込み口の部品が古くて好ましくないということで、これも新しいものに交換してくれて作業はすべて完了しました。

ちなみにマロニエ君は購入時にこの店の長期保証というのを勧められてこれに加入していたので、その関係書類などを提示しようとしたら、すでに店の記録でその確認をした上で来ているので、その必要が一切なかったことも驚きでした。
修理完了までの一連の流れはとても気持ちのいいもので、結局お金も取らずに、またなにかあったらいつでも連絡してくださいという頼もしげな言葉を残して去っていきました。
要するに、故障はしたけれども、その解決と修理に際しての面倒を、迅速かつ最少限のものにするというシステムが有効に機能しているようでした。

この有名電気店で買ったのは別にこれといった理由があったからではなかったのですが、やはり業界トップに君臨する店というのは、いざというときにそれなりのものがあるのだなあと感心してしまいました。
今回の一例で言えば、明らかにメーカーのサポートを上回る快適さをもっていると感じました。
とくに商売で大事なのはお客の心証をよくすることで、それを勝ち得れば次に繋がるということを経営者は知り抜いているのでしょうね。
すっかり好感を持ってしまったマロニエ君でした。
続きを読む

日本人のような中国人

いま使っている携帯電話にちょっとした不具合があるので修理をしなくてはと思いつつ、携帯ショップでの待ち時間などを考えるとなかなか腰が上がりませんでしたが、思い切って行きました。

友人から、天神のソフトバンクのショップは直営店だから他の店舗よりもいいとアドバイスされて、そこにいきました。
ショップの面積こそ決して広くはありませんが、ここは展示品の数などが極端に少ないかわりに、受付の数が多く、マロニエ君も待ち時間ナシですぐに要件にかかることが出来ました。

端末を預けて修理に出し、その間、代替機を使うという手順ですが、いろいろと事情のあることも判明したために、今日すぐにそれをすることは見送り、とりあえず別のバッテリーを借りて、それでしばらく様子を見ることになりました。

そんなことはどうでもいいのですが、驚いたのは対応してくれた女性でした。
いろいろとやりとりをする中で、この女性が首からさげたストラップの途中に、小さな中国の国旗がくっついていることに気がついたのです。ご多分に漏れず携帯ショップの用事というのは何かと時間がかかり、こちらもヒマな瞬間がしばしばあるものです。

で、はじめは気にもしませんでしたが、どうやらこの女性が中国人であることが途中からわかりました。
そうだと気がつけば、ちょっとした雰囲気とか話の感じがわずかに日本人とは違うのが理解できましたが、それがすぐにはわからないぐらい日本語も達者で、しかも店頭でお客を相手に使う用語なども日本人とかわりなく(日本人の敬語自体が崩壊しているとは思いますが)すらすらとしゃべって、しかもややこしい機械操作やシステムを駆使しながら、こちらの持ち込んだ問題にテキパキと対応していく能力には目を見張りました。

マロニエ君など中国語もできないし、自分の携帯電話さえ使いこなしているとは程遠い単純な使い方しかできていません。向こうはもちろん給料をとる仕事なのですから、操作やシステムに詳しくて当たり前と言ってしまえばそれまでですが、素直に大したもんだとびっくりしました。
おそらくは日本語をマスターする前の留学生などが、携帯電話を買いに来るために中国人を配置しているのだろうと思いますが、決して中国人専用ではなく、日本人にも何不自由なく対応できるのはお見事でした。
続きを読む

張りぼて

マロニエ君は現在、ちょっとしたアレルギー系の治療(大したものではありません)があって近所の医院に通っていますが、そこの先生に別の医師を紹介され、ぜひ一度行ってみてくれといわれたので、気は進みませんでしたが日ごろお世話にもなっているその先生の顔を立てるつもりで出かけていきました。

そこは、福岡市の百道浜にある新しい大きな病院で、今の新しいトレンドなのか、まるでホテルと見まごうような作りで一時話題になった病院です。
正面玄関を入ると自動演奏付きのグランドピアノが置かれていて、高い吹き抜けにはシャンデリア群が輝き、とにかく今どきの人には「贅沢で特別な病院」と感じさせるような作りになっています。受付もロビーもホテル風の構えで、そもそもマロニエ君は基本的にこういう上っ面の豪華趣味が好きではありません。

受付を済ませ、二階の専門ごとにわかれた外来の診察室に向かいますが、従来の病院くささを排した装飾的な内装や調度品などは、これでもかとばかりに続きます。診察室の前は各科によってガラスで仕切られ、それぞれが空港のVIPラウンジのような感じで待合室になっています。

今回の診察は予約されたものでしたから、時間の少し前には着くように行きましたが、そこに他の患者はゼロで、要するにマロニエ君だけでした。
それなのに、時間になっても一向に呼ばれることはなく、「先生はいまこちらに向かわれています」などと何度か受付の女性や看護士が言いに来ましたが、ずるずると時間ばかりが経過し、ついに30分を超過した段階で帰ろうと決断しました。それを看護士に伝えると、あわてて「いま来られましたので(??)、診察室へどうぞ」ということになりました。

中に入ると、中年の女医が見るからに横着な様子で椅子に座っていて、嫌な直感が働きました。
むやみに上から目線で、遅刻を詫びるでもなく、いきなり横柄な調子で症状の話をはじめました。語尾に「デス/マス」もつかない無礼な物言いがさらに神経にさわりました。
こういうことの看過できないマロニエ君は、向こうの質問を遮り「今日のお約束は××時ではありませんでしたか?」というと、「しってるよ。」それがどうした?といったいささか硬直気味の開き直りでした。

こういう礼儀もなにもないような人に自分の体を診てもらおうとは思いませんので、こちらの考えを言って席を立ち、一階の受付で事の顛末を説明して帰宅しました。
どんなに借金して豪華な箱物を作り「患者さま」などと言ってみたところで、あれでは『仏作って魂入れず』の喩えの通りで、豪華さがかえって虚しく泣いているようでした。えてして今の世の中とはそんなもの。
立派なホールを作っても、地元のカラオケ大会しか使い道のないのと同じです。
続きを読む

スズメバチ

なんとも恐ろしい光景を目にしました。
きのう、午前中外出して、ちょうど昼過ぎに帰宅して玄関に向かおうとしたとき、足元の石畳になにか小さな動きのある気配を感じました。
見ると、蝉が仰向けになって動いているので、そのへんの木に戻してやろうかと思った刹那、よく見るとアッとおどろくような状況になっているのがわかりました。

蝉の身体に大きなスズメバチが覆い被さっていて、生きている蝉の息の根を止めようと奮闘しているところでした。

スズメバチといえども、蝉よりはいくぶん身体は小さいのですが、勝負は完全にハチのペースで、蝉はなす術がない状況でした。
ときどき透明のきれいな羽尾をむなしくパタパタさせる蝉がなんとも哀れでした。
スズメバチは完全に蝉の上で思うさま蝉を攻撃して、まさに強者の姿でした。

驕り高ぶっているのか、ハチはマロニエ君が30cmほどに近づいているのにも目もくれず、まるでジャングルのライオンが獲物をしとめたときのように、一心不乱にその処理に熱中しているようでしたが、そのときのスズメバチの憎たらしさといったらありませんでした。
この段階で、すでに蝉の敗北は明らかでしたから、だったら一気に靴で蝉もろとも踏みつぶして、スズメバチを退治してやろうかという考えが頭をよぎりましたが、なにかが躊躇させてついに出来ませんでした。

いったんは玄関に入りましたが、気になってしばらくして見に行ったら、なんと、もうそこには何一つ残っていませんでした。
おそらく蝉を絶命させたのちに、巣に持ち帰って仲間とともに獲物をとことん食い散らしたのでしょう。

人間の世界もいいかげん厳しいですが、いやはや、いずこもすごいもんだと思いました。
続きを読む

コメント紹介

【「東京から」さんからのコメント】
ピアノはカワイはもちろんのことスタンウェイでもヤマハでも出荷のままでは半完成品ですね。
どうしても湿気でスティックする安全率を見込むので環境によっては重りもバネもおもすぎです。
とくにリラの天秤のバネはヤマハで二山カワイだと三山カットしないと子供はひけないですね。
スタインウェイの場合はこれにソステヌートがからみます。
結構アクションの調子は気にするのですがペダルまで配慮がとどかない調律師が多いです

とくにピアノが弾けない調律しなんか論外ですね。さいていでもソナチネ程度が弾けないなら調律師は廃業すべきかもしれません。

【マロニエ君】
コメントをいただきありがとうございます。
おっしゃるように、ピアノはいずれも出荷段階では完成品とはいえないようですね。
以前耳にした話では、国産ピアノも以前より出荷調整が手薄になり、そのぶん末端の技術者の方の手間と苦労が増えているという話は聞いたことがあります。

ペダルはつくづくと重要だと思いました。
これが意志通りに機能しないと、いくらアクションの調整に精魂込められていても、結局のところ全体の弾き心地が崩れてしまうのがよくわかりました。

調律師も多少はピアノが弾けた方が最後の仕上がりが違うと私も思います。
運転の出来ない自動車整備士なんてあり得ないのと同じことですが、ピアノを弾くのは車の運転のように簡単ではないので、そう簡単なことではないと思いますが。
でも、それでもちょっとでも演奏フィールが理解できる程度には弾けて欲しいと思いますし、それは結果的に大きな差になってあらわれように思います。
続きを読む

ビデオパニック!

エアコントラブルの次はビデオです。
こちらのほうが内容は明らかに深刻で、ハードディスクというものの恐ろしさをつくづくと思い知らされました。
昨日の夜、自室にいると家族からビデオデッキ(パナソニックのDVDレコーダー)の調子がおかしいということで内線電話がかかってきました。てっきりいつもの操作ミスだろうぐらいに思ってしぶしぶ下に降りていきました。

すると、録画した番組表示の画面が空っぽになっています。
こんな状態はこれまでに一度も見たことがないものでした。

あれこれと操作してみますが、押しても引いてもどうにもならず、どうやら深刻な故障が発生していることは次第に理解できてきました。
そういえば数日前に、録画した番組を見るとき、画面がタイルのように壊れたり、何度も途中で止まったりしていたので、おかしいなとは思っていたのですが、それがまさか、こんなことになろうとは想像もつきませんでした。

ビデオテープの時代とちがって、ハードディスクの故障では、採りためたデータが一瞬にして失われるという、なんとも残酷な仕打ちがユーザーに襲いかかります。
今はいくぶん落ち着きましたが、たかがテレビ番組とはいえ、やはり自分が任意で採りためていたものが一気に失われるというのは精神的にもかなりショックを受けるものです。
大したものは入っていませんでしたけれども、欠かさず見ていた大河ドラマの数回分や、かなりの数の日曜美術館、NHKスペシャルなどは、どうしても悔いが残ります。

音楽番組は別の機械で録画し、いつもDVDに移す習慣があるのでこちらは難を逃れましたが、家人が楽しみにしている連続物やちょっとした娯楽番組なども全滅です。

それにしても買ってわずか2年でこんなことになるなんて、メーカーの品質を疑います。
さっそく修理依頼しましたが、これだけショックを受けているのに、なんともシステマティックな機械のような対応しかしないのが無性に腹立たしく感じました。
続きを読む

精密の均衡

先週、我が家のメインのピアノの再調整をやっていただきました。
これまでにもいろいろと気になるところがあり、具体的なことを言うのは微妙で難しいのですが、要するにあまり弾きやすいとは言えないところのあるピアノでした。

これまでに何度か調整を重ね、その都度、良い方向には向かっていたとは思いますが、いつもなにか課題を残した感じがつきまといました。

今年になり、打弦距離の調整などを重ねながら調整を進めていましたが、なんというか…途中である種の限界を感じていたことも事実です。
それはピアノの機構的な限界というより、もっと別のものでした。

その後の5月頃だったか、あるホールのピアノを弾いたところ、そのピアノの調整がとても好ましいものですっかり驚いてしまいました。
そこで、後日ホールに電話して、技術者の方をご紹介願って、うちに来ていただくようにお願いしました。
果たして快く応じていただき、すでにその方による来宅も三回目を数えるまでになりました。

今回は、とりあえず最後に残っていた課題である、主にペダルとダンパーの調整に3時間を費やしましたが、これを境にピアノは見違えるように良い方向を向き始め、ようやくにしてひと心地つけた気分です。

そこでマロニエ君なりのひとつの発見がありました。
要するに奏者にとっての弾きやすいピアノというのは、それを理解した技術者によって、こまかい専門的な作業や微妙な調整の、有機的な積み重ねの上にはじめて達成される精密の境地であり、そのどれが欠けても全体の調和は崩れ、したがって弾き易さには繋がらないということです。
この方のお陰で、何年来の雲がようやく晴れて、久々に青空を見たような気分でした。
続きを読む

熱地獄

福岡市にお住まいで、日ごろ車を利用される方なら、天神のソラリアターミナル駐車場をご存じの方も多いことでしょう。
マロニエ君は天神に出かけるときは、必ずと言っていいほどこの駐車場を利用します。

さてこの駐車場、この夏は例年にも勝る、強烈無比な暑さに満ち溢れていました。
三越のあるビルの4階から上が一部駐車場になっていますが、ここは風通しが悪い上に、外は連日のうだるような酷暑、さらにエンジンという猛烈な熱源を抱えた車が所狭しと並ぶために、駐車場内の温度たるや、それはもう蒸し風呂なんてものではない、想像を絶する世界になります。
とくに車のエンジンは、回転時よりも停止後しばらく経ったときにその温度は最高潮に達するので、駐車場に居並ぶ車は、みな火の玉を抱えたようなものでしょう。

車を置いてエレベータホールに出るわずか数十メートルを歩くのさえ、全身がトースターの中で焼かれるよう暑さです。

昨日も用があってこの駐車場に車を止めましたが、夕方でさえ、頭がボーっとなるほどの猛烈な高温でした。
実際に温度計で測ったわけではありませんが、たぶんあそこは陽も差していないけれど40度は超えているものと思われますし、体温より高温の場所を一定距離歩くという経験は、マロニエ君の場合はこの駐車場が初めてだったように思います。

感心するのは、よくまあ連日あんな高温にさらされて、建物の床や柱が歪んだりしないものだとシロウト考えに思います。
このビルは、駐車場の一階下がバスセンターで、朝から晩まで長距離バスの巨体がひっきりなしに出入りし、さらにその一階下は電車の西鉄福岡駅になっているのですから、もしかしたら軍事要塞並の堅牢な建築物だったりするのかもしれません。

さらに感動してしまうのは、我が車です。
あんな環境に留め置かれた車が、これまた不平も言わず故障もせず、エンジンをかければエアコンからはせっせと冷気を出しながらまた従順に走ってくれるのですから、なんとも健気というか、いじらしいような気分になります。
続きを読む

猿芝居の効果

最近また新たに、有名ピアニストによる、大人のためのレッスン番組が始まったんですね。
つい先日、偶然見ましたが、あれは一体なんですか。

このピアニスト、いろんなウワサも多いようですが、メディアへの露出欲も旺盛なようで、きっとタレント性も十二分にあるものと相当に自覚しているんでしょう。
しかし最近の高性能な撮影機材とデジタル放送は、この人のすでにトウの立ったお顔を鮮明に映し出します。

それでもあくまでもカワイイぶった、しどけない物言いは却って気持ち悪くなりますね。

ピアノがぜんぜん弾けないという中年俳優を生徒役にひっぱってきて、そのピアニストがコケットリーな物言いや仕草を交えながら、いい大人を相手に、3才の童子をあやすようにねっとりと指導らしきことをしていました。
ふたりともわざとらしい演技の連発で、役者が芝居や映画で演技をするのは当たり前としても、ああいう両人のやりとりは、なんだかとってもやりきれない気分になりました。

音楽歴史上のピアノの代表的な作曲者の作品を、ゆびの動かない、楽譜も読めない初心者にもかならず弾けるよう、平易な音符に強引に編曲して、それで「本物気分」を味わわせようという、まことに浅ましき企画のようです。

そしてこの手の番組のお約束で、レッスンの合間合間には先生ピアニストの演奏風景が織り込まれますが、演奏中、必要以上にいちいち陶酔的な表情をしてみせるこの人は、見ているだけでむず痒くなってきます。
日本にも本当に力のある、本物のピアニストが何人もいるのに、メディアへ出てきて有名になるのは、結局こういう人なんですね。

何でも世事に詳しい知人いわく、「テレビの影響ってすごいから、あれを観てピアノを始める人が増える、すると楽譜や楽器が売れる」のだそうです。
ということは、あのピアニストのコンサートの動員力も増すというとこなんでしょうね。

今の世の中、すべてがこの仕組みで動いているようですね。
…うんざりです。
続きを読む

続・エアコンパニック!

調子のおかしくなったエアコン。
依然として調子は戻らずついに3日目を迎えました。

設定温度を下げると、風はファーファー出るものの、温度自体はかすかに冷たい程度でベタッとしています。
それでも廊下に出ると、部屋の中よりは明らかに暑いので、やっぱりまったくのオダブツ状態ではないようで、ともかく修理が来るまで、これでなんとか乗り切らねばなりません。

しかし除湿機能がまったく働いていないようで、すでに部屋はべたついた重い空気に落ちぶれてしまいました。
室外機のホースからも水はあまり出ていません。

そして今しがた、ついに、待ちに待った、メーカーの修理の人が重い修理鞄をもってやって来ました。
マロニエ君としては最大級の歓待をしたいような気分でした。

すると今のエアコンはよくできていて、故障履歴が記録されいるらしく、リモコンの中のあるボタンを操作すると、それが表示される仕組みになっているようでした。
そこに現れた文字列によると、室外機の冷暖房の切替弁の動きに不具合があったということが判明しました。

ではそこを修理するのかというとさにあらずで、スイッチを数分間切る、あるいはコンセントを抜いて数分後に差し込むといった処置をするのだそうで、はたして我がエアコンは見事に復活を遂げました。
以前のようなシャープな冷気が室内を満たし、ああもう幸せという気分です。

今後同様の不具合があるときは、同様の処置をしてみてくださいといわれ、これで一応の解決となりました。
現代のエアコンは室内機/室外機いずれにもコンピューターが仕込まれているらしく、今回はこのコンピューターの作動不良でよくあることだということでした。

いやはや、マロニエ君にしてみれば、命綱のようなエアコンですから、愚痴を言い続けた友人からは、もう一台予備のエアコンを付けたらいいとからかわれる有り様でした。
続きを読む

エアコンパニック!

大変なことが起こりました。
マロニエ君は知る人ぞ知るエアコン中毒人間なので、普段はもちろんのこと、就寝中であってもエアコンはつけっぱなしなのはいうまでもありません。
というか、タイマーで寝る、とか、寝るときは消す、といった人の気が知れません。

食事やお茶で同席する女性などが、こっちはもうちょっとクーラーが効けばいいのにと思っていると、「少し寒くない?」などというと、「ええっ!?」と思ってしまうし、逆にスーパーの生鮮食品売り場などは心地よさを感じます。
とくに野菜売り場などはときどき白い冷気が煙のようにもくもく下に降りているのなどをみると、思わず首を突っ込みたくさえなります。

マロニエ君の場合は、すでに体質化しているとみえて、寝るときにエアコンがないと、眠れないのは当然中の当然としても、さらには実際に呼吸が苦しくなって、まともに息も出来なくなり、吸入器のお世話になったり、体に発疹がでることも。
つまりマロニエ君にとって夏のエアコンは、いわば命綱のようなものなのです。

先日行ったロイヤルホストもエアコンの効きが悪く、二時間もすると両腕に赤いものが出始めていましたから、本当なら強くしてと頼むのですが、この日はつい我慢してしまいました。

さて、そんなマロニエ君の部屋のエアコンですが、数日前、明け方にふと蒸し暑いような気がして目が醒めました。
しかし、そのときはそれほど気に留めることもなく過ごしましたが、後であらためて注意してみると、あきらかに設定温度とはちがうなまぬるい冷え方をしているのがわかり、この連日の酷暑の真っただ中、全身に稲妻のようにショックが走りました。

その後はあれこれとスイッチをいじりまわしてみましたが、結局、効きが本来のものではないことは、認めたくないけれども明らかでした。
愕然として目の前は真っ暗になりましたが、放置するわけにも行かず、しぶしぶ修理依頼をしたら、最短でも3日後の訪問ということで、それがまたイライラ。
さて、この力の落ちたエアコンをいかにして丸2日間効かせて過ごすかが最大の課題になり、現在2日目を耐えています。
続きを読む

趣味道

知人の家に久しぶりにお邪魔しました。
この方もピアノがお好きで、趣味でスタインウェイをお持ちです。
以前はニューヨーク製のM型をお持ちで何度か弾かせていただいたことがありましたが、その後ハンブルクの0型に替えられたと聞いていました。
昨日、上手い具合についでができて、お宅に寄ってはじめてハンブルクを見せていただきました。

このピアノはいわゆるヴェンテージ・スタインウェイと呼ぶべきピアノで、製造年はなんと1918年!だそうです。
単純計算しても実に92年前のピアノということですが、キーにちょっとだけ触れてみても、とても元気の良いピアノという印象でした。
ケースの形状とかディテールのデザインが現在のものとはやや異なり、このピアノが90年以上も生きてきた時間の重みをじさせられました。
「どうぞ弾いてください」と言われても、なかなかよそのお宅でピアノを弾かせていただく勇気はありませんが、たぶんとても素敵な音楽を奏でるピアノだろうと思いました。

このお宅にはもう一台グランドピアノがあり、ほかにも電子ピアノが数台あるという凝りようです。

さらには、部屋には黒い大きな冷蔵庫みたいなものあがあって、なにかと思ったらワインセラーだそうで、ドアをあけてもらうと、上から下まで隙間なくびっしりと無数のワインが並んでおり、その壮観な眺めにはただもう驚きました。

そういえばこの方は、最近は模型飛行機にもハマっているとのことで、いやはや、趣味というのは実におかしな、大変なものだと思いました。
マロニエ君も人のことを言えた義理ではありませんが、それでも他者の趣味道を覗き見ると、自分のことは棚に上げて呆れかえってしまいます。

しかしながら、マニアという生き物は、門外漢からみれば実にばかばかしいことに熱中しているところに一番の意義と純粋さと、大げさにいえば生きる喜びみたいなものがあるのかもしれません。
こう結論づけて、自分自身をも肯定しようとしているのかもしれませんが。
続きを読む