親切が裏目に出るとき

友人が車を修理に出すというので、帰りの足代わりに迎えに行ってあげたその帰り道。
現場は片側2車線の道路で、交差点内だけ右折専用車線が追加されて3車線になるスタイルの、まあどこにでもある交差点付近。

マロニエ君は右側の走行車線を走っていましたが、前方が赤信号となり、先頭から3台目に停車しようとしたところ、左のわき道から出て来ようとする軽自動車がこちらに向いており、どうやらそこから一気に停車中の車の間をすり抜けて、対向車線へ向けて右折したいということのようで、運転する若い女性が「通して」という感じにこちらを見ました。左車線の車はそれを心得て、すでに少し手前で止まっています。
仕方がないから、マロニエ君も前車とやや距離をおいて停車すると、その女性はトーゼンみたいな感じで車はスーッと我々の目の前を横切りはじめました。

で、なんとなく見ていると、その女性、どういうわけか左のほうばかり顔が向いて、肝心の右側を一切確認せず、まったく注意の意識もない様子に違和感を覚えました。マロニエ君のいる車線の右には、右折専用車線がまだあるのに!
あぶないと思った次の瞬間、右折車が背後からサーッと走ってくるや、女性の車の右側にほとんど正面衝突して、軽自動車のほうは前方に1、2メートルとばされて停車しました。
マロニエ君もワーッ!と思わず声をあげてしまいましたが、ほんとうに一瞬のできごとでした。

右折車の運転者はすぐに車を降りて女性に話しかけますが、女性は人形のように無表情で、車からまったく降りようともしませんでした。
でも、マロニエ君の見るところでは、女性の不注意に事故の大半の原因と責任があると思いましたし、ぶつけたほうの男性こそいい災難だったという他ありません。自分が逆の立場でも、あんなに急に信号停車中の車の中から、別の車がためらいもなく横に飛び出してくるなんて、普通なかなか思いませんから、きっと同じようなクラッシュになっていたような気がしました。

はじめに意地悪して、彼女の望むスペースをふさいでしまっていたら起こらなかった事故かと思うと、なんだか責任の一端がこちらにもあるようで、なんとも後味の悪い出来事でした。
衝突の瞬間のドスッというような乾いたイヤな音、そのあとの不気味な沈黙が、生々しく記憶に残りました。
努々安全運転には気をつけなくては。
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ロルティのショパン新譜

数あるショパン弾きの中でも、知る人ぞ知る逸材として有名なピアニストにルイ・ロルティがいます。
彼はフランス系カナダ人のピアニストで録音もそれなりにあるものの、レーベルの問題か来日が少ないのか、ともかく日本ではあまり知られていないというのが実情でしょう。
しかし、彼が20代の後半(1986年)に録音したエチュード全27曲は隠れた名演の誉れ高く、マニアの間では伝説的なディスクとして評判になっているようです。

このエチュードがきっかけだったのかどうかわかりませんが、次第に彼はショピニストとして認められてきたようです。そのロルティの最新のショパンアルバムを聴きましたが、残念ながらあまり好みのCDではありませんでした。
後期のノクターンと4つのスケルツォを交互に組み合わせ、最後に2番のソナタという内容ですが、どこといって目立つ欠点があるわけでもないのに、なにか心に残らないショパンでした。

よく理由がわからず、なんども聴きましたが、おぼろげに感じるのは演奏者当人の個性が希薄であること。
やや詩情に乏しく、ルバートや歌いこみのポイントに必然性からくる説得力がない。
平たく言えば、とてもきれいだけれどもシナリオ通りというか演技っぽくて、そこに演奏者の本音が見えない演奏だったと思います。
すべてが美しい織物のように演奏されている、美の表面だけをなめらかに通過するような印象でした。

聞けばロルティは往年の演奏家の研究にも熱心なピアニストだということですが、ひとつにはそれが寄せ集め的な印象を与えるのかもしれません。
マロニエ君自身はそれほど熱狂しなかったものの、ちなみに24年前のエチュードを聴きなおしたところ、これには一貫した若い美意識と推進性がありました。今回のアルバムでは、そのような挑戦の気概が感じられず、ネガつぶしをしたことによる、当たり前の美しさの羅列という感じで、一曲一曲からくる固有の相貌と迫りがないわけです。

また、ロルティはファツィオリのアーティストにもなったようで、録音にもこのピアノを使っていますが、やはり基本的な印象はかわりませんし、単純にきれいな音とは思いますが、あまりにもキラキラ系のピアノで、演奏の問題も加わって聴いているうちに、だんだん飽きて、疲れてきました。
すくなくともマロニエ君は聴いていて、何かが内側で反応するような類のCDではありませんでした。
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酒、女、歌

すでに何度か書いていますが、マロニエ君の知人の経営するお店で、熱意ある店主の企画によって毎月音楽家の誕生日を祝うというイベントが試み的に行われていて、現在はまだスタイルを確立すべく試行錯誤の一環として敢行されている感じですが、ともかく今月はブラームスでした。
ここで流す音楽はマロニエ君の担当で、今回は交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲、ヴァイオリンソナタ、歌曲など、都合8枚からなるCDを準備しました。

ここでは毎回、初めてお会いするとても素敵な方がいらっしゃいますが、今回も齢70を過ぎられた男性がおられ、その方が大変な音楽ファンで、3時間の間、音楽の話でもちきりでした。
お好きというだけでなく、お詳しさも相当のもので、話はそれこそあっちへこっちへと広がるばかりでした。
それこそよくあるピアノの先生や自称音楽家などは、外面は音楽の専門家ぶっても、本当の音楽のことはなにも知りません。

初めてお会いした方とこれだけ緊密に話ができるというのも、趣味というものの偉大な力のなせる技だと感動するばかりです。
子供の頃、学校の宿直室で聴かせてもらった蓄音器によって音楽の魅力に目覚められ、電気ホールに来たA.コルトーの独奏会なども関係者の粋な手引きによって聴かれたとのこと。
最近もいろいろなコンサートに出向いておられるようで、良否様々な意見や感想を交換できました。

驚いたことにはアルコールがまた、音楽に劣らずお好きとのことで、下戸のマロニエ君はそちらのお付き合いはできませんでしたが、聞けば飲酒のサークルにも入っておられるとかで、翌日には島原まで日帰りで、お仲間とバスを貸し切って酒を飲みに行かれるらしく、現地ではもちろん往復の車中でも飲みっぱなしという強行軍で、その豪快さには恐れ入りました。
お仕事はリタイアされても尚、旺盛に人生を楽しんでおられるようです。

ちなみに、この方が音楽に入られたきっかけはウィンナーワルツだそうですが、まさにシュトラウス2世の名作≪酒、女、歌≫をそのまま地で行っているような方でした。
女性のほうはどうなのか、この点をうっかり聞きそびれましたが。
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調律も究めれば芸術

今日の昼、マロニエ君が最も尊敬する調律家のお一人から電話をいただきました。
この方は現在、調律に関するある体験を綴るべく出版を前提とした文章を数年がかりで執筆中だったのですが、それがいよいよ今日の昼、最終章を書き終えたということで、たまたまその時間にすぐに電話をとりそうな相手がいなかったからでしょうが、マロニエ君のところに電話がきたのです。
何年がかりの仕事をおえられた達成感からか、いささか上気した様子が受話器の向こうに窺われました。

意見を言えということで、疑問のある個所をあちらこちらと読んで聞かせてくださいますが、正直いうとその前後関係がわからないので軽々なことは言えませんでしたが、それでも思いつく限りのことはいいました。

ひとまず最後まで書いたというのは、ピアノで言えば譜読みが終わった段階というべきで、これからが肝心の推敲の始まりだとも脅かしておきましたが、さて一冊の本になるのはいつのことになるやら楽しみです。
この方は職業は調律家というピアノ技術者ではありますが、その人柄はというと、まったくの芸術家気質で、何に対してでも子供のような興味を持ち、およそ畏れというものを知りません。

朗読中に出てきた内容がまた驚きでした。
ある場所に技術者達が集まっていたところ、そこにクリスティアン・ツィメルマンが入ってきたらしく、この世界的ピアニストにして、その筋では有名なピアノオタクのマエストロが語りだした意見に対し、一同はありがたく拝聴し納得するばかりの中、彼だけがマエストロの傍に控える通訳を通じて、自分なりの疑念と意見と反論を堂々とぶつけるというくだりがありました。

朗読は忙しげにあっち飛びこっち飛びで、ツィメルマンがなんと答えたかまではわかりませんでしたが、この方は何事につけこういう人なのです。それだけに自身の仕事に対する情熱と探究心は並々ならぬものがありますが、同時に人からしばしば誤解され、不当な評価を受けたりということもあると聞いています。
それでもくじけず、へこたれず、自分の道を行くのですから、大したものです。

それにしても、今の人の中には、自分の損得には一向気が回らず、ひたすら本物だけを追い求めていくような純粋培養みたいな人物はいなくなりましたね。文化や芸術、すなわち美しいものや精神を作り出すためには、この手の人達の情熱と感性と卓越した仕事によってその根底が支えられていくものだということを思うと、なにやら先行き暗いものを感じてしまいます。
いつまでも元気で頑張ってほしいものです。
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ヴォロドスはビジュアル系?

先週のNHK芸術劇場は嬉しいことにピアノの日でした。
はじめ3/4はアルカディ・ヴォロドスのウィーンのリサイタルの模様と、のこる1/4はフセイン・セルメットの展覧会の絵が放映されました。
ヴォロドスのウィーン演奏会の様子はすでにCDやDVDでも発売されているものですが、解説によるとヴォロドスの演奏の映像はこれまでにあまりなく、非常に珍しいというようなことでした。
マロニエ君はこの人のCDはチャイコフスキーの1番とプロコフィエフの3番を小沢/ベルリンフィルと弾いたものと、もう一枚(内容は忘れました)を持っていましたが、やや大味であまり好みのタイプではないので、それ以降もあまり関心を寄せてはいませんでした。

彼の音楽的内容はともかくとして、この映像はかなり面白いものでした。
まずはその見事な巨漢ぶり。大きなコンサートグランドが小さく見えるようで、現在この人に並ぶ人は、鍵盤にお腹がつっかえそうなブロンフマンぐらいでは。
オスカー・ワイルドはじめ、巨漢の芸術家というのは、すでにそれだけでなにやら一種独特な熱気をまき散らします。
正面からのショットでもほとんど首らしい部分はなく、その両側にあまったお肉が左右に張り出して迫力満点、まるでどこぞの外国人力士がピアノを弾いているようでした。

また、いきなり目に付いたのが、椅子が普通のコンサートベンチではなく、子供のお稽古や中村紘子女史がよく使う背もたれつきのピアノ椅子でもなく、なんとそのへんの会議室の隅にでも積み重ねてあるような安っぽい感じの椅子でした。
演奏中はその薄い背もたれに巨大な上半身を後ろに倒れんばかりに寄りかからせることしばしばですが、いつ椅子がボキッと壊れるのかとひやひやするような珍妙な光景でした。

顔の表情の変化がまたすごい。大きな目や眉や口が曲想に応じて苦痛や陶酔をくるくると作り出し、まるでビックリ映像のようでした。彼に匹敵する顔の表情パフォーマーは内田光子かランランぐらいでしょうか。
ランランといえば彼は欧米化されたのか、最近は表情がおとなしくなってつまらなくなりましたね。むかしデュトワ/N響とやったラフマニノフの3番はもはや伝説です。

会場だったウィーンの学友協会ホールは通称「金のホール」と呼ばれる、文字通り金色づくしのまさに豪華絢爛ホールですが、マロニエ君にはニューイヤーコンサートなどの印象が強烈で、ピアノリサイタルにはちょっと違和感を覚えましたが、地元では普通なのでしょうか?
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ハスキル先生すみません

先日知人からのメールで、カザルスの輸入物のCDが10枚組で1500円だったと聞いて驚いたばかりでしたが、今日、タワーレコードにいって何気なく物色していたら、これまたとてつもなく安いCDがあり、だまされたつもりで買ってみました。

クララ・ハスキルの輸入盤で10枚組、価格はさらに下を行く1390円でした。
一枚あたり139円!!ということになります。
版権やらなにやらの理由があるのでしょうが、なんであれ驚くほかはありません。

帰宅してさっそくあれこれと聴いてみましたが、正規盤同様のたいそう立派な録音ばかりが大半を占めている点も二重の驚きでした。
一枚だけ録音も演奏もとても本来のものとは思えないようなものもあり、そのあたりはご愛嬌といったところでしょう。
おそらくは正規盤にはできないような放送録音などから間に合わせで詰め合わせたといった感じですが、いずれにしろ演奏はすべて1950年代、すなわち彼女の円熟期のものばかりです。

これで不満などあろうはずもありませんが、ぶん殴られるつもりで敢えて言うならば、収録時間が40分台のものもあり、現在のような70分前後が当たり前の感覚からすると、実質7~8枚ぶんといったところです。
それでも驚異的な低価格で、本当にハスキル大先生に申し訳ない気分です。

演奏はどれもがハスキル独特な、飾らない決然としたタッチでサバサバと弾き進められますが、そこに漂う気品と骨太な音楽は、この人以外には決して聴くことのできないものです。
とくに感銘を受けるのは、いかなるときも確信的であってさりげなく、それでいて内側に激しいものが見え隠れしながら、一瞬も「音楽」が途切れずに脈々と続いていくところです。
色とりどりの作品(シューマン)の第1曲など目頭が熱くなるような演奏です。
はああ、まさに音楽です、、、

まだ数セットありましたから、ご興味のある方はお早めに。
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ピアノな三連休

連休最後の三日間は、はからずもピアノがらみの毎日でした。

2010.05.03
午後から知り合いのピアノ弾き兼先生が我が家に遊びにきてくれました。
おみやげといって「ロシア五人組集」という立派な楽譜をいただき感激ですが、さてどれか一つでも弾けるかどうか。
この方は楽譜の校訂者である高名なピアニストのお弟子さんでもあられ、同氏の楽譜出版のお手伝いなどもされています。
CDを聴いたり食事をしたり、普段お忙しい方ですがこの日ばかりはゆっくりしていただきました。
一緒にピアノを弾いたりもしましたが、大半はおしゃべりに費やされました。

2010.05.04
ちょっと思いついて、音楽情報誌を発行していた頃から親しくお付き合いさせてもらっている「ぱすとらーれ」に遊びに行きました。
遅い昼食を、ホール隣に併設された「ぱすとりーの」でいただきました。
ここの食事はほとんどが自製のものばかりで、鶏の燻製をメインとしたヘルシーでとても美味しい料理です。
掛け値なしに満腹でき、これで700円とは驚きです。近くなら頻繁に食べに行きたいところですが。
ここのオーナーはホール管理、コンサートのサポート、食事作り、自らもピアノ演奏と先生、その他もろもろあらゆることをたった一人で淡々とこなすスーパーウーマンです。
以前よりも木製家具が増えていると思ったら、旦那さんが木工技術をお持ちだそうで、自然な木の姿を活かした椅子やテーブルを自作されていて、注文にも格安で応じてくださるとのこと。
なにかひとつお願いしたくなりました。

2010.05.05
たまたま知り合いを通じてのチャンスがあり、さる施設の所有するスタインウェイを弾かせてもらいました。
20年以上経ったD型でしたが、これがとても素晴らしいピアノで、会場の音響も抜群で貴重な経験ができました。
とりわけタッチが秀逸で、マロニエ君がこれまでに弾いた同型の中でも最高の部類のタッチであったと思います。
新品でもああいう繊細かつ軽やかなタッチ感はありません。
親しい調律師さんで、スタインウェイのタッチに以前から疑問を抱いておられる方がおられ、たしかにその方の言うことも一理あるのですが、彼にこのピアノを弾かせたら、さてなんというだろうかと思えるほど素晴らしいタッチでした。
技術者が「偽術者」でない、あっぱれな仕事を見た気分で、顔も知らない技術者に敬意を払うばかりです。

ああ、今日からまた普段の生活に戻りました。
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草むしり

連休中にやろうと思っていたことの一つに庭の草むしりがあります。
雑草というのはまったく腹立たしくもうらやましい驚異的な生命力があるので、ちょっと油断していると一面くまなく草は生えてしまいます。
とくに雨があがって日が差すと、たちどころに勢いを増してきます。

とりあえず二日間やりましたが、決して広い庭でもないのにまだ終わりません。
ざっと見た感じは作業開始以前よりもはるかに量は減ったように見えますが、ここからがある意味本番です。
今のうちに頑張っておかないと、うかうかしていると蚊の季節になり、そうなると猛烈な草の成長と蚊の攻撃には、もうてんで敵いません。

しゃがんで草むしりをしていると、なんだかだんだん意地になってくる自分がわかります。
いっぺんに無理せず、少しずつでいいじゃないかと頭ではわかっていても、もうちょっと、あと一本、という欲が断ち切れず、ここからがまた延々と続いていくのです。

キリがないので、はめている薄いゴム手袋が破れたら止めると決めたら、これがまたいつまでも破れません。
その結果、延長に次ぐ延長を重ねて、ついに五時間ぐらい経ってしまいました。
そもそも草むしりなんてちっとも好きじゃないけれど、それでも少しずつきれいになる景色が増えていくのを見ていると、それがまたささやかな励みになって、もうちょっと、もうちょっと、になるわけです。
それと、おかしいけれど、草をむしっていると草が土から根ごと抜き取られて上がってくるとき指先に伝わる、ぶつぶつという感触が妙な快感になってきます。

嫌いな草むしりをしていてさえ、人間は、目に見えて効果の上がることはつくづくと嬉しいもので、どんなにスローテンポではあっても、やったぶんだけ着実な結果がでるところに、ちょっと病みつきになる快感があります。
でも、もうクタクタで、腰の曲げ伸ばしにもつい声が出てしまいます。
久しぶりに長時間外の空気を吸いました。
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コンサートも連休?

ゴールデンウィーク期間中になにか手軽なコンサートはないだろうかと情報を集めてみたところ、これがほとんど全滅に等しい状態であることがわかり、これにはかなり驚かされました。
なんと、連休中って、コンサートはまったくのゼロではないものの、本当にろくなものがないし、できるだけしない方向というのが世の常識なんですね!今ごろ知りました。

そもそもコンサートって行くほうには娯楽かと思っていましたが、では一体なんなのでしょう?
連休中にコンサートなどやっても普段以上に人が来ないということがわかっているから、実際こんなに申し合わせたように一斉休業状態になるわけでしょうね。

盆暮れ同様、ゴールデンウィークにもコンサートが軒並み姿を消すこの現状を知って、一般人のコンサートに対する認識というか、位置づけというか、重みをありありと知らされた気がします。
要するに「まとまった休みが取れる時期はコンサートなんぞに行くヒマはないよ」ということ。

では連休期間中は、コンサートも行く暇がないほどみなさん何をされているのかは知りませんが、いくらなんでもすべての人が旅行やドライブや里帰りというわけでもないでしょうに。
べつにすることもなくだらだらしてた、ビデオを見てただけ、休みは却って嫌だというような人をマロニエ君はいくらでも知っています。
では、そもそもコンサートはどういうタイミングで行くものなのか、果たしてコンサートってなんだろうと思ってしまいます。

確認したわけではないですが、きっと欧米ではこんなことはまずないと思います。
海外の音楽祭なんて聴く側はそれ自体が長期戦の遊びみたいなものでは?
どうしようもない文化レベルの低さをこんなことで見せられてしまったようで、非常に貧しい感じがします。

マロニエ君のごくごく素直な感覚からいうと、音楽が好きな人にとっては普段以上に連休中などはゆったりコンサートにでかけたりするのに格好の、自由な数日のように思うのですが。
日本人でありながら日本人の行動パターンがわかりません。
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雑談は音楽のように

少し前のことですが、書き忘れていたので。
知り合いのテスト企画ということで、音楽家の誕生月をテーマとしたささやかなイベントを行いました。
4月なのでプロコフィエフ、ラフマニノフ、カラヤン、レハールなどさまざまな音楽家が該当し、この人たちのCDを聴きながら適当に話を進めるという趣向です。
どうあらねばならないという決まりはないので、話は次から次に発展し、枝分かれし、混迷し、脱線していくところに最大の面白さがありました。会話の魅力は、話題の際限ない展開にあると思いました。

一つのテーマを出発した話は様々な曲折を経ながら悠々と変化して、話の扉は次の扉へと連なり、歌舞伎の早変りのようにめくるめく姿を変えていきます。それを幾度も繰り返した揚句に、ところどころで本来のテーマに立ち返ります。
これはまるで音楽の形式そのもののようで、主題があり、引き継がれた第二主題と絡みながら展開部あり、転調あり、あるいはソロあり掛け合いありアンサンブルあり、それらを即興性が支配するという、あらゆる要素が音楽のそれに重なるようでした。テーマを変えれば楽章が変わるようで、終わってみればこの一日全体が多きなひとつの音楽のような気がしました。

自然な会話のやり取りがあたかも音楽の法則の原点のようでもあったと思われ、同時に音楽それ自体が人の生理にかなっていることを証明するようで、お互いを両面から確認できたようでした。

この日のメンバーはまことに奇妙な顔触れによる雑談のカルテットでしたが、なかなか音楽の話をこれだけ自然におもしろおかしくやってのける場というものは経験的にないような気がします。

あまりに初心者に合わせたものは人為的迎合的すぎてつまらないし、逆に過度に専門的になるとこれまた学究的な臭みがあって遊びと呼ぶにはふさわしくない。
マロニエ君にとっては風刺漫画のように適度に崩されたそのバランスは最適なものでした。

ここで痛感したことは、いかに雑談とはいえ、参加者が一つのテーマを意識したうえで交わす自由な会話というものが、ある意味ではもっとも充実した内容になるという意外な発見だったように思いました。
すなわち雑談にもテーマは不可欠だということ。
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トホホ

昨夜は友人数名が集まり食事会をしました。
わけあってこのメンバーの時はだいたい居酒屋のようなところになります。
通されたのは小さな小部屋のようなところで、他のお客さんに煩わされることがなく、ゆっくり話をするのには最適な状況でした。
そのせいで会話は思う存分堪能できたのですが、こういうスタイルの店はどこも同じで、アルコールがダメなマロニエ君にはどれもがつまみ食いばかりのような感覚になります。
いつも結局、何を食べたのか自分でもよくわからないまま終わりとなります。
その時はお茶などを併せ飲んで表面的には満腹していても、実際きっちり食べていないので帰宅するとお腹がすいて、いつものように夜食を余儀なくされました。

やはりこういうことは、長年自分が過ごしてきた生活パターンからくるのだと思いますが、馴れないものはいつまで経っても馴れないというか、むしろ歳をとるほど順応性がなくなるようです。
マロニエ君にとっての食事とは、親子連れでいくような店のことを指すのかもしれません。

きのうもマロニエ君はどうせ呑まないので車で行ったのですが、店の前にあるタワーパーキングにとめていたところ、気がついたときには出庫時間を過ぎており、もはや打つ手がなくタクシーで帰宅。
今日の午前中、友人に送ってもらって車をとってきましたが、そこの駐車場ときたら、あんな歓楽街で駐車場業をしているくせに23時で閉鎖して、なおかつ深夜料金も泊まり料金も設定がなく、そのまま計16時間分の駐車料金を取られて帰って来ました。
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今日もまたやられた

マロニエ君は車の仲間内ではちょっと知られた洗車オタクなんです、じつは。
一時は本を書いたら?といわれるほど強烈でしたが、最近ではめっきりそのエネルギーも落ちて以前のような迫力はなくなり、自分でもかなり普通になったと思っています。
でもまだその残光というか、引きずっているものはあるわけです。

たとえば同乗者のドアの閉め方。
人さまを車に乗せるのはぜんぜん嫌ではありませんが、ひとつだけ気にかかることがあって、それがドアの閉め方なんです。
9割以上の人が無意識にすることですが、車を降りてドアを閉めるとき、必ずと言っていいほどドアのガラスかその周辺の塗装面に手を触れてエイヤッとばかりに閉めてくれます。
結果は無残にもそこに指紋が残りますし、車が汚れているときはそこだけ跡がつきます。
なんでみんなこうなの?って思います。

ドアには取っ手が付いているのだから、開けるときと同様に閉めるときもここを持って静かに閉めてほしいわけです。
車の仲間はそういう作法はごく初歩的な常識としてわきまえているので全く問題ないのですが、普通はまず期待できません。
それも車がかなり汚れている時ならまだしも、洗いたてのピカピカ状態でそれをやられると、思わず真っ青になるか血圧がバクッとあがっているはずです。家に帰ったら、こめかみに青筋を立てながらガレージでさっそく指紋取り作業開始です。
それでもガラスは拭けばまだ済みますが、塗装面だと下手をすると傷が入ることもめずらしくないのです。

だいたい車に限らずガラスをじかに触るというのが理解できません。
例えば普通の主婦の方でも、ピカピカに磨いたばかりのガラス窓に他人が無邪気に触ってべたべた指紋を付けながら眺める景色の話などしたらいい気分はしないはずです。

タイトルの通り、じつは今日もまた見事にやられてしまいました。
その人はこんなブログのことは知りませんのであえて書いてしまいましたが。
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新発見

昨日のコンサートで新発見をひとつ。

通常、2台のピアノのコンサートの場合、第1ピアノ(通常の向き。鍵盤左、大屋根付き)に対して、第2ピアノ(第1の逆向き。鍵盤右、大屋根なし)のほうが分が悪いとよく言われます。
理由は簡単、フタのついたほうのピアノは音が客席側に向ってくるのに対して、フタを取り去ったほうのピアノは音が四方に散ってしまい、そのぶんパワーが弱くなるからです。

それはわかっているのですが、昨日は第1ピアノの豊かで深みのある音に対して、第2ピアノはわずかながら安っぽい平坦な音に聞こえていました。で、マロニエ君は良いほうのピアノが第1ピアノに選ばれたのだろうと、ごくごく単純に思っていました。

ところがです。後半のブラームスのトリオを控えて、第1ピアノはフタを閉じて舞台の隅に押しやられ、第2ピアノが方向転換して舞台中央に据えられ、同時に外されていたフタが取り付けられました。
するとどうでしょう、さっきとはまったく別のピアノのような、腰の据わった威厳のある音が鳴りはじめ、これにはちょっと面喰いました。
同じピアノがフタの有無と向きだけで、単なる音量以上の、音の質までまったく別物のように変わってしまうということです。

フタの有無の影響は当然としても、おそらくは高音が手前、低音が奥という配置もピアノの響きの前提条件なのかもしれません。専門的なことはわかりませんが、これほどの大きな変化には驚かされました。

連弾以外では、前半からこちらのピアノを弾いていたのは、チョン・ミュンフンでした。
おそらく彼は始めからこちらのピアノが気に入っていたのでしょうね。
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ああ、アルゲリッチ様!

以下、カルメンさんからの投稿です。

『いつもの黒のドレスで、肩にかかる黒髪を払いのけながら(結構おばさん的貫禄)、ツカツカとオーケーストラの前に立ち現れたアルゲリッチ様。ズシッとピアノの椅子にお座りになって、オケの方をぐるっと見回して・・・始まった! ショパンコンチェルト。前奏が始まると同時に体を揺さぶり、指揮者の方も見ず戦い挑むe mollの旋律!(背筋がゾゾー!)
皇帝ナポレオンか、否、暁のジャンヌ・ダルクか、何千という兵士を携え、ああ、アルゲリッチ様がそこに居わします!
「あなたわかる?彼女(アルゲリッチ様)ラリってるでしょう?こりゃあやっぱり(ドラッグ?)やってるね!ね!」横に座っていたMunchen音大生ゾフィーは私の耳元でささやくのです。
アルゲリッチパワーにボーっとしていたい私、「ああうるさい、黙っててよ!」私にはやってようがなかろうが、音楽とは関係ないことと思っていたのでした。
しかし、どこのオーケストラだったかも、指揮者が誰だったかも、2楽章をどんなふうに弾いたかも、ほとんど忘れているのに、頭から離れないのが、弾きながらオケの方を睨み付け怒ってるアルゲリッチ様。ああ、私も若かったんですねえ。
ヘラクレスザールで私が初めてアルゲリッチショパンを聴いた時の、あのオーラが今でも忘れられません。
30年前の春のお話。』

ということは、アルゲリッチが38歳のころですね。あの頃は本当に激しい演奏をしていましたね。
客席にいてもそのただならぬ様子にハラハラさせられたものです。(マロニエ君)
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チョン・ミュンフンとアルゲリッチ

マルタ・アルゲリッチ&チョン・ミュンフン室内楽の夕べに行ってきました。

演奏は改めて言うまでもない大変見事なものでしたが、若干力を抑え気味に、軽く弾いていた印象でした。
さすがというべきかこの世界最高のピアニストを聴こうと、会場は平日にもかかわらずほぼ満席で、マロニエ君の左右の人もそれぞれ門司や熊本からわざわざ来たという声が聞こえました。

前半は連弾と2台のピアノで、ドビュッシーの小組曲、ブラームスのハンガリー舞曲から3曲とハイドンの主題による変奏曲。
後半はブラームスのピアノトリオ第1番で、ピアノはチョン・ミュンフン、ヴァイオリン:キム・スーヤン、チェロ:ユンソンといずれも韓国人によるトリオでした。

アルゲリッチの演奏は前半で終了したのですが、後半の開始直前、会場の中央が少しどよめいたと思うと、なんと着替えを済ませたアルゲリッチが客席に姿を現し、あたりに小さな拍手が起こりました。
準備されていたらしいシートの一つに腰をおろして、後半のブラームスのトリオを聴衆の一人としてゆっくり楽しんでいるようでした。
一般の人の中に現れても、やはりとてつもないオーラを発していて、そこにいるだけでありがたい気分になります。

それにしてもチョン・ミュンフンはピアニストとしても、あきれるばかりの腕前を持っていることが再確認できたコンサートでした。若い二人をがっちりと支え、ひたすら音楽に奉仕するその格調高い演奏にはただただ敬服するばかりでした。
以前聞いた話では、チョン・ミュンフンのピアノに驚いたアルゲリッチが、彼のお母さんに「もっとピアノを弾くように言ってくれ」と言ったそうです。
現役の指揮者であれだけピアノの弾ける人は、他にはアシュケナージ、バレンボイム、レヴァイン、プレトニョフぐらいでしょうか。
レヴァイン以外はいずれもピアニスト出身ですから当然ですが、チョン・ミュンフンもチャイコフスキーコンクールのピアノ部門で2位に輝いた経歴の持ち主ですから、いずれにしろとてつもない才能です。

久々に本物のコンサートに行った気がしました。
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洗車健康術

今日はまた荒れ模様でしたね。
気温もさることながら方向の定まらない突風には閉口しました。
農作物の生育にも深刻な影響を及ぼしているそうで、およそ桜が散った後の天候とは思えませんね。

読書好きの知人からおもしろいテーマをいただき、エラールについて書いてみましたので、マロニエ君の部屋をご覧いただければ幸いです。

フランスのピアノというのも尽きない魅力があり、死ぬまでに一度は戦前のフランスピアノを見て回る旅をしてみたいものです。
それに対してイタリアは、美術やオペラはともかくも、車やピアノは歴史的に見ても大変重要な国なのですが、どうももうひとつ興味がわきません。
これこそ相性というもので、理屈じゃないのでしょう。

すべてをこの季節のせいにして体調のすぐれないのをいいことに、家の中に籠っていてもいけないと一念発起して、夕食後に洗車をしてみました。
寒いガレージで約2時間体を動かしたら、やはりというべきか望外の爽快な気分になれました。
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デュシャーブル

デュカスのソナタでさらにもう一つ書き忘れていましたが、私の聴いているこのソナタのCDのピアニストはフランソワ=ルネ・デュシャーブルです。彼は名前から推察される通りフランスのピアニストですが、大変な力量といいますか、まさに世界第一級の実力と才能を持った逸物でした。晩年のルビンシュタインが心から推挙した唯一の若手ピアニストがこのデュシャーブルです。

この人はしかし、この溢れんばかりの天分を普通のピアニストとして濫費する事を良しとはしませんでした。とはいってもショパンやリストなどに多くの名録音を残しており、たとえばショパンの作品10/25のエチュードは、マロニエ君の手元にもパッと思い出すだけでも優に10人以上のCDがありますが、一押しはこのデュシャーブルです。
いっぽう彼ならではの珍しい録音も多くあり、隠れた名曲の再興にも力を尽くした本物の音楽家なのです。デュカスのほかサンサーンスの6つの練習曲(作品52と作品111)や、ソロピアノによるベルリオーズの「幻想交響曲」、プーランクのコンチェルトやオーバードなどは、普通ならなかなか見つけることの難しいCDです。

演奏もいかにもフランス人らしい泥臭さや贅肉のないスマートなピアニズムの持ち主ですが、決して線が細くはならず、シャープではあるが重量感とやわらかな体温も備えるといったもので、ちょっと例がないピアニストといえばいいでしょうか。

ところがもう10年以上も前のことだったような記憶ですが、デュシャーブルは商業主義主導のクラシック音楽界の現状に我慢がならないと声明を出し、いらい公共の場での演奏活動から身を引いてしまいました。
その引退セレモニーとして、ヘリコプターにグランドピアノを吊るし、衆目の中、池をめがけてこれを一気に落とすというショッキングなパフォーマンスを敢行して、コンサートピアニストとしての自分を葬り去ったそうです。
大変残念なことですが、本物の芸術家とは凡人に予測のつかないことをしでかすものです。
同時に、最近ではこの何をしでかすかわからないような芸術家もいなくなりました。
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デュカスから牧神の午後へ

デュカスのピアノソナタつながりでもうひとつ書き忘れていましたが、彼の数少ないピアノのための小品の一つに『はるかに聞こえる牧神の嘆き』という美しい曲がありますが、この牧神とは無論『牧神の午後への前奏曲』のことであり、つまりドビュッシーの死を悼んで書かれたものです。牧神の午後の、あのフルートで開始されるたゆたうごとくの動機が主要モティーフとなっていて、彼への親愛の情がにじみ出ている作品です。

ラヴェルが「自分が死んだときに演奏してほしい曲」として名指ししたのも、この『牧神の午後への前奏曲』で、「あれは完全な音楽だから」という言葉を添えたのは有名ですが、やはりこの曲は19世紀後半~20世紀初頭のフランスの音楽史の中でもひとつの中核をなす記念碑的な作品ということでしょうね。

マラルメの詩に触発されたことがドビュッシーの作曲動機となり、このころにはフランスに限らず音楽と文学の結びつきもいよいよ濃密なものになりつつあったようです。さらにそれは舞台芸術にも波及し『牧神の午後』はディアギレフ・バレエの看板ダンサー、ニジンスキーによってバレエ作品としても創り上げられてセンセーションを巻き起こします。

美術の世界でも歴史に名を残す大芸術家がぞくぞくとこの時期に登場し、こんなとてつもない時代があったということ自体が、現在の我々から見ると信じがたい絵空事のようにしか思えませんね。

『牧神の午後への前奏曲』は作曲者自身による2台のピアノのための編曲もあり、その点ではラヴェルの『ラ・ヴァルス』なども同様です。
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ソナタの心得

きのうデュカスのピアノソナタのことを書いたついでにちょっと調べていると、なかなか面白いことがわかりました。

彼はパリ音楽院の先生もしていましたが、作曲の講義でソナタについて、次のようなことを述べていました。
『この形式に近づく上で困難なことといえば、衒学的なソナタに陥らないこと、もったいぶった断片や、それだけがピアノから飛び出してきて、これぞテーマだと声高に告げるようなテーマを書かないことだ。けれどもある種のスタイルは持ち続け、さらに胡散臭い断片にはまらないのが重要でさる。そこがむずかしい。退屈させず、それでいて安易で投げやりなところのないこと。』

これは、演奏する側にも十分あてはまり、初心者や学習者は別としても、奏者が高度な演奏を心がければ心がけるほど、上記の説はとくに留意すべき点だと思います。
つまりやり過ぎは逆効果、バランスこそが肝要ということです。
わざとらしい様式感の誇張や、テーマや断片を執拗に追い回すような演奏は、本人は専ら高尚で深みのある芸術的演奏をしているつもりでも、聴いている側には説教じみた、音楽の全容の俯瞰や流動性を欠いたものに陥りやすいものです。そういう批評家から点がもらえることを前提にした欠陥演奏に対する警鐘のような気がします。

往年の巨匠達の奔放で大胆な自己表出はすっかり否定され、分析的なアカデミックな演奏が今日の主流をなしていますが、こういう流れをデュカスは100年前に予見していたように感じます。
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フランスのピアノソナタ

相変わらず厳しい気候が続きます。
今日は仕事の用事で、ある施設に行きましたが、すでに暖房は入っておらず、妙な底冷えの中で一時間弱を過ごす羽目になりました。なんとも難しい季節です。

このところエネスコのソナタに触発されて、最近はデュカスのピアノソナタを聴いていますが、これがなんともおもしろい作品です。
デュカスはご存じの通りフランスの作曲家で、ドビュッシーやラヴェルと同世代の大音楽家ですが、作品は少なく、一般的には管弦楽曲の『魔法使いの弟子』ぐらいしか知られていません。
彼はピアノソナタを一曲しか書きませんでしたが、考えてみるとフランスの作曲家によるピアノソナタというのはほとんどこのデュカス以外には思い当たりません。
もちろん探せば何かあるかもしれませんが、一般的にはゼロに等しいといっていいでしょう。

ピアノソナタ自体がそもそもドイツ的なものですから、その厳格な様式がフランスという風土や作風には馴染まないものだったといえばそれまでですが、それにしても、あれだけ多くのピアノのための傑作を生み出したフランスで、これというソナタがないというのは特筆すべきことです。

フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、サンサーンスなど、いずれもヴァイオリンやチェロのためのソナタはあるのに、皆申し合わせたように、まるで何かを避けるかのように、ピアノソナタだけは書いていません。これも驚くべきことですね。

デュカスのソナタは全4楽章、演奏時間40分に及ぶ大作で、フランス人の書いた作品でありながらも、ドイツ寄りな精神を感じさせ、さらにはリストを想起させるところのある無国籍な手触りのする作品といえるかもしれません。
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春の激しさ

桜の季節もようやく終息に向かっているようです。
春は寒さが緩み、花が咲き、命と明るさの象徴のごとくで、巷間良いことばかりのように言われますが、マロニエ君にとっては一年を通じて最も苦手な季節です。
そもそも春は、決してぽかぽかするばかりの穏やかな優しい季節ではなく、天候は毎日が目まぐるしく変化し、激しい風雨を伴う嵐のような日も実際多く、イメージよりはずっと気性の激しい荒々しい季節だと思います。

それというのも季節の変わり目は体調の管理が難しく、この季節はもっとも健康管理にも気を遣いますから、却って冬の真っただ中のほうが楽だったりします。

ヒーターを入れるかどうか迷うような時期はなにやらとても落ち着かず、体かどうしていいのかわからずに困っているのが自分でもよくわかります。
春が終わると次は梅雨の到来で、湿度が高いこの時期は喘息などの症状が出やすくなります。
これから梅雨が終わるまでは、心して過ごさねばならないと思うとうんざりします。

以前、恩師の一人である先生にこのことを話したら、「あなたはチェンバロのような人ね!」と言われました。
その先生は見るも美しいチェンバロをお持ちなので、その繊細で難しい管理経験から面白がってそう言われたようですが、チェンバロのような美しい音でも出せるわけでもなし、ただ単にこの体質には困るばかりです。

ピアノの管理には温湿度管理が大切と言われますが、とりわけ湿度はピアノのため以前に、まず自分の健康管理にもつながっているので、マロニエ君はこれを怠ることはなく、それがピアノにもちょうど良い環境をもたらしている点はなんとも皮肉な感じがします。
でも実際、ピアノに望ましい温湿度の環境は、そのまま人間にとっても快適なものですね。
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エネスコのピアノソナタ

かねてよりエネスコのピアノソナタを現代の演奏家で聴いてみたいと思っていたのですが、藤原亜美というピアニストが弾いたCDがありました。
現存する2つのソナタ(第1番/第3番)やリパッティの作品を収めたアルバムでしたが、日本人の演奏でジャケットの雰囲気などずいぶん迷ったあげく、購入に踏み切りました。

そうしたらこれが大当たりでした。
すっかり感激してさっそくマロニエ君の部屋に書きましたので、よろしかったらお読みください。

ル―マニアといえば普通思いつくのはコマネチやチャウシェスクの劇的な失脚劇ぐらいですが、音楽の世界ではエネスコはじめリパッティ、ハスキル、ルプー、ボベスコ、シルヴェストーリ、チェリビダッケなど錚錚たる顔ぶれが容易に思い出されるほど優れた音楽家を輩出した国なんですね。

そうそう、吸血鬼ドラキュラのモデルの貴族とその山城もたしかルーマニアが舞台で、現在もその戦慄の城が山深く存在しており、近づくものを断固拒絶する不思議な力があるといいます。
いまさらですがヨーロッパ奥深さには感嘆するばかりです。
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バルトークの誕生パーティ

知人のバルトーク研究家が開催するバルトークの誕生パーティに招かれて行ってきました。
本来の誕生日は1881年の3月25日なので、二日遅れではありますが参加者の都合を考慮しての土曜開催ということになったようです。
こじんまりとしていながらも素晴らしいメンバーが集い、主催者のお人柄を感じさせる楽しくも質の高い一夜でした。
バルトークについてあれこれと語り合い、簡単なレクチャーや演奏もあり、まさにバルトーク一色でしたが、決してアカデミックな臭みのあるものではなく、あくまでも偉大な一人の音楽家に敬愛の念を示しながら一同楽しく食事と音楽とおしゃべりを満喫しました。

遠くは熊本からわざわざ駆けつけられた方がおられましたが、この方がまたなんとも優雅な老齢の紳士で、美しいバラの花束を持っての登場でしたが、こういうことをしてちっとも嫌味でない上品な方でした。
おしゃべりをしていてもなんとも自然で心地よく、こういう歳の取り方がしたいものです。

驚いたのはマロニエ君のご町内ともいえる、我が家とは目と鼻の先の距離にお住まいの方が二人もおられ、さらには先日の音楽院でお見かけした先生などもいらしており、やはり世間は狭いものですね。
むろんお二人とも車でお送りしました。

次回が楽しみです。9月26日が命日なんですがどうされるんでしょう?
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練習会

今日は知り合い3人で練習会みたいなことがありました。
そのうちのお一人はこのところ大変熱心に練習に身を入れられており、ひたすらピアノに向われる背中には感心するばかりです。
ピアノはまず、何をおいても練習ですから、それが楽しいことは強みですね。

もう一人はとても美しいドビュッシーを弾かれ、これがまた同じピアノなのにぜんぜん違う音色が出てくるのに感心させられました。
最近感じるのですが、ピアノは自分で弾くより、そばで聞いているほうがその音色の美しさに感銘を受けます。
やはり自分が弾くと、音だけを楽しむという余裕がないのでしょうし、自分が弾く時とはまた違った位置で聴くために耳に届く響きも変わってくるのだろうと思います。

今日の会場にあったピアノはカワイのグランドで、かなり弾きこまれたピアノでした。
タッチが重いのでずいぶん勝手が違いましたが、おそらくはシュワンダ―式という昔のアクションをもったピアノだと思われました。
シュワンダ―は敏捷性こそ現在のものには及びませんが、そのぶんしっとりとしたタッチ感があり、これをうまく調整すると軽くもなり、同時にしっとり感も出てかなりいい感じにもなるもので、技術者の中にもこちらを好む人もいらっしゃいます。

音もカワイ独特の華やかさがあり、ヤマハとはずいぶん違いました。
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福岡パルコ

天神に出たついでにオープン間もない福岡パルコを覗いてみました。
平日にもかかわらず大変な人出で、中に入るにも、エスカレーターに乗るにも人で渋滞です。

全体をざっと回りましたが、基本的な印象としてはどこにでもある女性ファッション中心の店舗ビルで、マロニエ君のようにあまり関心のない者からすると、どこがどう新しいのかよくわかりませんでした。
ここは築70年を越す昔の岩田屋で、マロニエ君が子供の時分にはもっともなじみ深い建物でしたが、内装をいかに改装しようともその骨格はいかんともしがたく、狭くて天井の低い旧岩田屋のイメージの名残ばかりが感じられ、昔のイメージ払拭にも限界を感じました。
ありふれたピアノにどんな手の込んだ特別の改造や調整を施しても、うわべは変わっても、生まれ持った基本は覆らないのと同じようなものですね。

最上階にイシバシ楽器というのがあったから覗いてみました。
ここは「バンドユーザーの全て叶える内外のブランドギターの大量品揃え」とあるように、店内は徹底してバンド関連の楽器や商品で埋め尽くされており、クラシックに関するものは本一冊、小物ひとつもないという見事なまでの徹底ぶりでした。
楽器店を名乗りながら、これほど特定のジャンルに特化するというのも潔いものを感じます。

残念ながらマロニエ君にはこの先も用のない店ですが、そのぶんヤマハの存在感などが際立ってくるような印象を受けました。逆にこのジャンルが好きな人には大いに歓迎される嬉しいショップだろうと思われます。
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なつかしさ

マロニエ君の母校である福岡音楽学院の発表演奏会には毎年ご招待いただくので今年も行ってきました。
会場の末永文化センターホールは、かつての院長であられた末永博子先生のご主人が立てられたもので、普段は九州交響楽団のホームグラウンドにもなっています。
博子先生は本当に怖かったけれど、とても可愛がっていただいた記憶が残っています。

演奏会は付属幼稚園児の合奏で幕を開け、連弾あり弦楽合奏あり、最後は現院長によるソロで幕を閉じました。
とくに素晴らしかったのは現役ピアニストのラフマニノフの2台のピアノのための組曲第2番で、なかなかに聴きごたえのある演奏で堪能できました。

老先生はお年を召して、もはや会場にはお出向きにはなりませんし、関係者の大半の顔触れは昔とは変わってしまっていますが、それでも学院のもつ雰囲気は不思議に残っていて、なつかしいものを感じます。

このホールに行くといつも思うのは、豪快なピアノの数です。
スタインウェイを筆頭に4台ものコンサートグランドが左右にごろごろ置かれていて、これを一気に使うことはあるだろうかということです。
思いつく曲ではバッハの4台のピアノのための協奏曲やストラヴィンスキーの「結婚」ぐらいですが、それとて九響のプログラムにのるのはそう滅多にあることではないでしょうね。
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芸術家は絶滅寸前

今年はショパンの生誕200年という節目が商業主義の格好の餌食になっているようです。
ヤマハで音楽雑誌をパラパラめくっていたら、さる日本人ピアニストがこの関連イベントで途方もないことをするらしいことを知って驚愕しました。

なんと、ショパンのソロ全曲を一日16時間かけて演奏するというまさに曲芸師さながらの企画で、ギネス記録への挑戦も兼ねているとは、あいた口がふさがりません。
ショパンの芸術はそういうこととは真逆の極みにあるもので、そんなことをしてまでとにかく人の注目を集めようとする関係者の思惑だけが生々しく感じられます。

芸術家が芸術の質を勝負にして生きられない時代の、浅薄な価値観が世の中を支配している責任もあるとは思いつつ、だからといってこのようなばかげた挑戦に自らの才能を浪費するのは、なんともいたたまれない気分になります。
いかに指さばきと暗譜とスタミナにかけては天才であろうとも、こういうことをする人をマロニエ君は決して芸術家とは思いません。
さらには、それを英雄視し快挙として素直に尊敬し憧れる価値観の人たちがいると思うと気持のやり場がなくなります。
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嶮しい道

今日は思いがけない来客がありました。
この方がむかし父のアトリエのお弟子さんだったのは、マロニエ君が子供の頃でした。
お弟子さんたちの中でもちょっと異色の存在で、非常に厳格でストイックなところがあり、父の周辺を我が事のように取り仕切っている趣がありました。みんなから怖れられる存在で、マロニエ君もたびたび叱られた思い出があります。
数年後、彼女は一大決心のもと、別の道を志すとしてアトリエを辞めていきましたが、それは文学と歴史研究の道に身を投じるためでした。
とりわけ地元の歴史研究に没入し、野村望東尼の研究では第一人者の地位を確立して、すでに西日本新聞社から数冊の著作が刊行されていますが、先ごろ福岡市文学賞を受賞され、我が家に報告の挨拶に来てくれました。

しかし書籍出版にも音楽CDと変わりない苦労があるようで、一定量は作家買取の義務を負わされるらしく、数が望めるジャンルでないだけに文化研究の道の嶮しさも大変なようです。
それでも自分の努力が報われて書籍という形態に結実するのは何物にも代えがたい喜びがあるようです。

聞けば一冊の本を出すには、文字通り山と積まれた資料の谷間で気の遠くなるような調査と勉強の連続だそうで、やはり一つのことを成し遂げるのは生半可なことではない不屈の精神とひたむきな情熱が欠かせないようです。
道を究めるというのは損得も寝食も忘れて、自分の人生をひとつのことにあてがえるかどうかなのかもしれません。
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パン屋のチェロ

今日は休みで、とあるパン屋にパンを買いに行ったところ、一足先に大きなチェロケースを抱えた男性が店に入っていくのが目に入りました。するとその人、店の奥の飲食スペースに腰を下ろすなりチェロを取り出し、まわりにお客さんがいるのもお構いなしに、いきなり音を出し始めました。それも遠慮のない力でぐいぐい楽器を鳴らし、ただ練習のようなことをやり出しました。

営業中の店内で、あれだけ周囲に憚りなく音を出すからには、おそらくお店のほうは承知のことかもしれませんが、この異様な光景にはいささかびっくりでした。
もしかするとプロのチェリストで、あとでイベントのようなことをするのかもしれませんが、あれはちょっといただけませんでした。

思いがけないところで耳にするチェロの、その朗々とした音はたしかに美しいものでしたが、いかにも自信満々なその行動は、むしろ周囲から注目される快感をひとり楽しんでいるようで、まるでその人のアクの強いメッセージを聞かされたようでした。

生のチェロの音を聞けたのに、帰りはちっともいい気分ではありませんでした。
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バッハのトッカータ

少し前にバッハの好きな知人から、トッカータのオススメCDはありますか?と聞かれて、はたと困りました。
この見事な作品(BWV910-916)をピアノで録音している人は、実はとても少ないのです。
手持ちのCDを思い浮かべても全7曲となるとグールドぐらいしか思い当たりません。
アンジェラ・ヒューイット(カナダの閨秀ピアニスト)がそのCDを出していることは知っていましたが、ベートーヴェンなどでは表現が単純でややうるさい演奏をするのであまり好きになれず、トッカータも持っていなかったのですが、そうなると妙に聴いてみたくなってつい買ってしまいました。
結果は予想したよりも好ましい演奏でちょっと意外でした。

この人は近年ではファツィオリを使うピアニストとしても有名なので、ピアノはてっきりそうだと思い込み、録音でバッハなどを弾くにはまあそれなりの音ではあるなあと感じつつ聴いていたら、ライナーノートをよくよく見てみるとスタインウェイであることがわかり、これにはちょっとびっくりでした。
それは、近頃のスタインウェイにはあまり見られない濃厚な色彩を放つ音がしていたからで、そのあたりはファツィオリのお得意のところだろうと思っていたのですが、スタインウェイにもこういう音を求めて実現させているところをみると、これが彼女の求めるピアノの音なのだということがわかりました。

なんにしろ、明確な音の好みと要求をもった人というのは一貫性があり、その点ではたいへん立派だと思いました。

あらためてボリュームを大きくして耳を澄ませて聴いてみると、響きの特徴やなにかが紛れもないスタインウェイであることがすぐわかりましたが、やはり予断を持つということはとても危険だと思いました。
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わああ!

今日は外食ということになり目的地まで車で市内を走っていたら、思いがけないところでかなりの渋滞となりました。
待つことしばし、少しずつ車列が進むと、前方では右車線にいた車が一台ずつゆっくりと左車線に入っているようで、そこに渋滞の原因があることが直感的にわかりました。

ついにその現場に近づくと、なんと赤いフェラーリと黒いミニバンらしき車がくっついています。両車向き合う形でロシア人の挨拶のようにほっぺたを付け合うように、両方のフェンダーがべちゃっと接触していました。
大変な注目で、そこを過ぎると道はスイスイ。対向車線は大渋滞。
こっちは見物通過して終わりですが、当事者は大変でしょうね。
フェラーリはフロントエンジン12気筒の456GTでした。
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曲がり角

昨日はピアノサークルの例会がありました。
開き直ってほとんど練習もせずに参加したことも悪いのですが、前回に引き続き狭い空間に人がびっしりすし詰で、ただでさえ人前で弾くことに病的な苦痛を感じるマロニエ君としては、まさに窒息寸前でした。

サークル自体も私が入会したころに比べて会がうんと大きくなり、それだけサークルが隆盛になっていくのはいいことなのかもしれませんが、回を重ねるごとに参加者も増大し、名前を覚えるのもついけいけません。
とりわけプログラムにも記載されていない新しい人達がかなりおられたのも驚きでした。

個人差があると思いますが、マロニエ君にはだんだん苦手なものになって来たような気がします。
いったいあのままで膨張したら、どうなっていくのだろうと管理者のかたのご苦労が気になります。

個人的に、ピアノや音楽は自分のこだわりが強いジャンルであるだけに、長時間いろんな演奏を聴かされ続けるのは楽しい半面、相当の忍耐力が必要で、やはり心身の消耗は否めません。
もちろん、素敵なみなさんとお会いできるのがなによりの楽しみなのですが。

私見ですがサークルといったものにも最適のサイズというのがあるような気がします。
「ぴあのピア」はまだ本格始動していませんが、考えさせられるところだと思いました。
まあ、こちらはそんなに人が集まることもないでしょうから、そんな心配にも及びませんが。

とにかく今、本当の音楽というものが分かる人とだけ、忌憚なく大声で話がしたいという猛烈な欲求にかられています。
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働く姿

ピアノサークルの知り合いが近所の薬局でお仕事をしていらっしゃると聞いていましたので、ちょうどマロニエ君が頼りにしている風邪薬が切れていたこともあり、買い物の帰りにそのお店に寄ってみました。
店に入るとちょうど接客中でしたが、やはりお仕事中はサークルでお会いするときより幾分感じが違いました。

一区切りついたところを見計らって挨拶するとすぐに気付いてくれましたが、なんかこうして知り合いと会うのはおもしろいもんですね。
今日はちょうどポイント5倍の日で、試供品などもいただきました。
でも、やっぱりいつもよりしゃっきり感があって、なかなかサマになっていました。

そんな感心もつかの間、もうすぐ明後日は例会だというのに、練習はまだまだです。
最後の追い込みと言いたいところですが、どうせやっても同じという諦め癖がいつものように顔を出しています。

ありがとうございました。
また寄らせていただきます。
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疲れます

これというはっきりしたルールではないことだからこそ、相手の人柄や良心に依存し期待していることということがありますが、それが知らない場所であっさり裏切られているのは、とても嫌な気がします。
面と向かって文句が言えることでない微妙な問題である分その思いは募ります。

だいたいこういうことを平然としでかす人って、逆に普段から人一倍感じが良く、誠実で善人ぶっていますが、要は八方美人なんです。
結局、目的があるからできることなんですね。要は自己利益中心主義ということ。

厳しい世の中、ビジネスのために直接間接努力するのはわかりますが、それを超えた部分でいかにもの好印象や信頼をプレーボーイのように巧みに取り付け、ひいては仕事にも繋ごうというしたたかな意図が見えると、もうすっかり冷めてしまいます。
それはそれでその人の能力・テクニックだと言ってしまえばそれまでですが。

本当に実力のある人というのは、たとえ必要でもそういうことはできないし、やったところで下手なもの。そんなことが上手いと、却って本業の実力を疑いたくなります。

少なくともマロニエ君は多少の短所はあっても、人間的に信頼のおける人を好みます。

なんのことだかわかりませんよね。わかる人にだけばわかってもらえばいいのです。
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2010年2月25日 (木) ピアノマラソン?

今日は平日だったにもかかわらず、ピアノを弾く知人がふたり、仕事の都合をくぐり抜けて、マロニエ君の家に遊びに来てくれました。正味3時間半もの間、3人によるピアノの弾きまくりとなり、ほとんど休みらしい休みもないままピアノは終始鳴りっぱなしでした。
気がつくと向かい合わせの2台が別の曲を弾いていたりと、かなり自由奔放な状態で、まるで音大の練習室前の廊下か、楽器フェアの会場のような有様になる瞬間もありました。

発表会形式の人前演奏は苦手でも、少人数でのこのようなお遊びは、マロニエ君の性にあっており、とても楽しいひとときを過ごすことができました。
月並みですが、熱中できる好きなことがあり、それを共有できる人がいるというのは素晴らしいことですね。
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2010年2月21日 (日) シゲルカワイ

たまたま通りがかったので、迷いましたがカワイのショールームを覗いてみました。
ピアノ店巡りはできるだけ慎むよう心がけていたので、久しぶりですが、ちょっとだけのつもりで入りました。

来意を伝えると快く応じていただき、主にSKシリーズを3台弾かせてもらいました。
どちらかというと繊細さはあまりないものの、密度感のあるいいピアノで、とりわけ値段を分母に置けば、コストパフォーマンスの高いピアノだと思いました。

でも、根底にある音の根本はうちにあるカワイと同じDNAがあることがわかり、なんだか妙に納得してしまいました。
詳しいことはマロニエ君の部屋に書きます。
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2010年2月20日 (土) 小さなリサイタル

田舎にある百年前の百姓屋を改装した、珍しい会場でのピアノリサイタルに行ってきました。
独特の雰囲気があたりを包み込み、とても素敵な空間でした。

ただ、この場所固有の音場のせいか、ピアノが不思議なほど鳴らないのが最後の最後まで気になりました。
見上げると、建物の中央に大きな梁のようなものがあったので、それが音の拡散を妨げているのか、あるいはピアノそのものの問題なのか、人が多くて席をかわることができず、その原因をよく突き止められないまま終わりました。
ただし、トイレに行く際にピアノをチラッと見た限りでは、フレームの形状からしても、それほど古いくたびれたピアノとも思えませんでしたが。

小さな会場でのサロン的なコンサートそのものは賛成ですが、これらの会場に共通する欠点として、椅子がかなり簡略なものとなり、この手の椅子に延べ3時間、声も立てずにじっと座っているということは、それだけでかなりの体力と忍耐を必要とします。これは忙しく動き回っておられるスタッフの皆さんには意外とわからない苦痛かもしれません。

素晴らしかったのは、建物の外のあちこちにおしゃれな蝋燭の炎がものしずかにゆらめき、これがまたやわらかでヒューマンな雰囲気作りに大きく貢献していました。
逆に屋内は、演奏がはじまるとピアノのまわり以外は、まるでお化け屋敷のように真っ暗になってしまいましたが、マロニエ君が目が疲れやすいこともありこれはきつかったですし、同様の方はかなり多かっただろうと思います。目の疲れもさることながら、万一の安全上の配慮からも、演奏中といえども全体に最小限の照明は必須ではないかと思いました。

しかし休憩時間にふるまわれるコーヒーなどのサービスは(主催者の配慮あってのことですが)、この手の小さなコンサートならではの温かみで、ホッとさせられますね。
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2010年2月17日 (水) シュベスター

みなさんはエスピー楽器という会社をご存じでしょうか。
シュベスターピアノという、知る人ぞ知る隠れた名器を手作りで製造しているメーカーです。

今日、この会社からメールを頂戴したのですが、現在日本に存在するピアノメーカーはわずかに5社で、実際に製造しているのはヤマハ、カワイ、アポロ、そしてこのシュベスターの4社ということでした。
ブランド自体はこれ以上の数があるのですが、いずれも上記4社に生産委託しているらしく、さらに手作りという点ではシュベスターが唯一のメーカーになるとのことでした。

ピアノ業界にとって誠に厳しい世相であることの証明でしょうが、なんとももの寂しい話です。
今日偶然にも初めてさらってみたサティのグノシェンヌ第4番の悲痛な二短調の旋律が意味を帯びて胸に迫ってくるようです。
この話もいずれマロニエ君の部屋で取り上げてみるつもりです。
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2010年2月13日 (土) 練習2

考えてみたら自分の練習方法がまずいこともわかりました。
マロニエ君は昔から一つの曲を集中的に根気よくさらうということができないのです。
しばらく一つの曲をさらっていると、だんだん集中できなくなってくる。
よほど興が乗ってきたら熱中することもゼロではないが、大体において曲はあっちとびこっちとび。
常に4~5曲が練習中という状態におかれ、それがどれも中途半端になっているだけで、ようするに節操がないというか、根気がないわけです。

さらに思いつきであれこれと違う曲にも触ってみる。
こんな調子だからいつまでも練習中の曲が仕上がらないのも当然でしょうね。

でも、自己弁護するわけではないけれど、そもそも一つの曲ばかり来る日も来る日も練習するなんて、そんなことマロニエ君にはできるわけがないことです。
そんなことをしていたらその曲に飽きてしまうし、音楽的な感興も続くわけありません。
でも、普通レッスンに通う人などは同じ曲を仕上がるまでさらい続けるのでしょうね。
それだけでも尊敬しますが、でも、自分はそういう風にはなりたくないわけです。

ということは、反省していて実は反省していないという、どうしようもない自分がどうしようもないわけです。
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2010年2月11日 (木) 練習

柄にもなくピアノサークルなんぞに入ってしまったために、ろくな腕前もないのに人前でピアノを弾くことを余儀なくされ、さらにそのために練習をしなくてはならない羽目になっているこの頃です。
3月上旬にはまた例会があり、そこで何を弾くかをそろそろ考えなくてはいけない時期になってきました。
いや、すでにちょっと遅いのですが、怠け者は常にこういう巡り合わせになるのはやむを得ませんね。

さて、我が家は幸いにもピアノを弾くために、隣近所にそれほど配慮をしなくてもいい環境なので、状況次第では夜の12時過ぎでもよほどガンガンでなければ弾くことはできる点は恵まれているほうでしょう。しかし実は家の中に問題があり、生活の場所にピアノがあるために、家人の様子を見ながらの練習となります。
見たいテレビがあるときなどはこちらが遠慮することになり、ほかにも何かをわざわざ遮ってまで練習をするほどのこともないので、折よく時間的隙間を見つけたら弾くことになりますが、それでも自分が弾きたくないときもあったりで、なかなか時間の確保が難しいものです。

今更のように感じるが、ピアノの練習というのは思ったより時間を食うのということです。
ちょっと弾いても30分はすぐ経つし、少し練習のようなことをしていると1時間はすぐ経つ。
たまにだがちょっと真面目に練習なんぞしていようものなら2時間ぐらいはあっという間で、気がついたときには家人が終わるのを待っていたような気配を感じて驚いてしまいます。
わああ、すいません。

というわけで、練習時間の確保もなかなか難しいものだと思うこの頃です。
やはり自分の部屋に電子ピアノがあればいいのかもしれないですが。
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2010年2月6日 (土) ベヒシュタイン

市内のとある施設が所有するベヒシュタインを使ってのサークル発表会があったので見学に行きました。
このピアノはベヒシュタインの中でもアカデミーシリーズというもので、韓国のサミックとの協力関係によって製造されているモデルですが、それでもベヒシュタインを名乗るだけのことはあり、たしかにそれっぽい音はしていました。
中高音は率直でやわらかな歌心があるし、低音はベヒシュタインらしいギラッとした金属的な響きが加わるあたり、おお!という感じがあり、なかなか感心させられました。

響板、フレーム、アクションはドイツのパーツを使い、あとは韓国製のボディその他を合わせて組み上げるようです。最終調整は特に念入りにスペシャリストが行うというもので、一流ブランドの廉価モデルとはいえ、本家と同じブランドを名乗るだけあって、スタインウェイにおけるボストンよりも、ワンランク上質なピアノだということは聴いていてすぐにわかりました。
もちろん値段もボストンよりは高価ですから、当然と言えば当然ですが。

ただし、このピアノを真正のベヒシュタインだと信じて弾いている人がいると思うと、ちょっと複雑な気分になりました。

いずれマロニエ君の部屋に書きなおしてみたいテーマです。
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2010年1月30日 (土) ピアノサークルで演奏

ピアノサークルの例会に参加しました。
元来マロニエ君は人前でピアノを演奏するほどの腕はないし、性格的にも人前でピアノを弾くことが極度に嫌で、長いことこれを頑なに避けてきたのですが、昨年福岡に出来たピアノサークルに一念発起して入会し、いらいこの難行苦行に挑戦することになっています。

すでに3回ほどサークルでの演奏経験を積みましたが、やはりなかなか慣れるものではありません。今日もやはりドキドキでしたが、なんとか自分の番をやり過ごすことができて肩の荷が降りました。

しかし、見ていると多くの人が緊張するとは言いながら、結構人前での演奏を楽しんでいることがわかり驚かされます。
自分のことは別として、演奏というのは人柄が出るものだということが聴いていてよくわかります。大きな声では言えませんが、あまり上手でない人の中に、なかなかの味を持った人がいるのに対し、ちょっと腕に自信のある人の演奏ほど、美しい音が出ず、作品や音楽から遠退いて、まるで戦いのような演奏をする場合があって、なんとも言えない寒々しい気になります。

まあ所詮は遊びですからどうでもいいのですが、なんだか逆の現象って違和感がありますね。本来は上手い人ほど聴かせる演奏であって欲しいのですが。
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2010年1月27日 (水) ピアノの調整-2

前回の続きで、様々な調整の続きです。さらに今回は少し整音面にも手が入り、音色のムラを取り除いてもらいました。後半には調律が行われ、さらにまた調整の仕上げへと向かいます。

このように「調律」というのはピアノ調整作業の一部分にすぎず、調律=ピアノメンテというわけではありません。タッチ面等に代表される部分の調整はかなり収束されて良くなってきました。
調律はある意味ではもっとも奥の深い領域といえるもので、今回はかなり個性のちがうものになったような気がしてい
ます。

今回をもっていちおうの区切りとはしましたが、気がついた点などは引き続きお願いすることになると思います。トータルで9時間に及ぶ調整となりました。

かなり気持ちよく弾けるようになりました。
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2010年1月20日 (水) ピアノの調整-1

2台ある我が家のピアノのうちの大きいほうのタッチなど、機械面を主体とした調整のために調律師さんに来ていただきました。
今回はハンマーの接近など細かいところにいろいろと点検を兼ねた手を入れていただき、やや重めだったタッチをより理想的な状態へ持っていくというのが主な課題です。
ホールでいえば保守点検といったところでしょうか。

調律師さん曰く、理想を追い求めてやり始めたらキリがないとのことなので、今回はとりあえず2回にわけてやっていただくことになりました。午後から始めて夕方の6時半にようやく区切りをつけて今日は終わりになりましたが、結果は上々で、かなり弾きやすいタッチになっています。
弾きやすくなるということはピアノが自分に近づいてきてくれたような気になるものですね。

こうなると次週の二回目も楽しみです。ピアノは調整次第というわかり切った事実を、いまさらのように再認識しました。
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2010年1月17日 (日) カワイのNo.750

今日は知り合いの調律師さんの工房に遊びにいきました。
かねてよりオーバーホール中だったピアノが、ようやく仕上がったという連絡があったので、これを見に行ったわけです。
ピアノはカワイのNo.750という、おそらくは50年以上前のグランドで、ディテールも大量生産とは全く無縁の重厚なデザインです。
サイズはヤマハでいうC7クラスで、大きさといい造りの風格といい、かなりの迫力があります。

ボディこそ磨きのみで、再塗装はされていませんが、それ以外はフレームは上品なゴールドに塗られ、弦やハンマーを始め、ほとんどの消耗パーツは輝くような新品に交換され、当然ながら入念な調整がされています。

弾くと意外にも今のカワイからは想像できない、ドイツ的な渋みのある大人っぽい音色をもったピアノだったのが驚きでした。それも現代のピアノからは決して聴くことの出来ない、佳き時代のふくよかな響きを伴っていました。
タッチにも程良い抵抗とコントロールのしやすさが与えられ、隅々にまで技術者の手の入ったピアノというのは何ともいえない質感と暖かみがあるものですね。

マロニエ君は大変素晴らしい仕上がりと思い素直な感想を伝えましたが、調律師さんご当人はまだまだ不満の由でした。
ぜひプロのピアニストの演奏によってこのピアノを鳴らして欲しいものです。
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2010年1月11日 (月祝) 新年会

昨年入会したピアノサークルの新年会に行きました。

マロニエ君はアルコールは最初の一杯のお付き合いがせいぜいで、基本的に飲めません。
「類は友を呼ぶ」のかどうかは知りませんが、私の友人知人の付き合いではアルコールが出てくることはほとんどなかったのです。それがこのところサークルに入って酒の席にも何度か行くことになり、その雰囲気に圧倒されてしまいます。

今頃知ったなんて言うのもカマトトのようかもしれませんが、飲める人というのは食事量がやはり少ないんですね。食事はいわば脇役で、主にアルコールという名の液体で満腹している感があり、驚きました。
基本的に食事会に比べて食べ物が少ないというか、飲めない人にはちょっと辛い面もありますね。
飲めない人も食べるほうで楽しめるような自然な環境があればいいのですが。

体は正直で、帰宅したころには猛烈にお腹が空いている自分に驚きます。
いつもこういうときはそのへんにあるものを手当たり次第に食べてしまいます。

でも、新しい人たちと交流できることはとても楽しいし素晴らしいことだと思っています。
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2010年1月10日 (日) ホロヴィッツのCD

晩年のホロヴィッツのヨーロッパ公演での最高の出来と評される〝ベルリンコンサート〟を買ってみました。
2枚組で一枚目のメインはクライスレリアーナなどでしたが、あまりにも衰えが顕著でかなり期待はずれでした。
演奏の質というよりは、会場もこのカリスマを見に来たという雰囲気ばかりがよく出ていたように思います。
機械というものは本当の味のようなものは表現できないところもあるけれど、無残なほどありのままを記録してしまうという正直さももっていますね。
昔と違ってキャッチコピーもだんだん当てにならない気がしているこのごろです。
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2010年1月8日 (金) インドカレー

時たま車で通る道にインドカレーのお店があって、通るたびに気になっていたので、思い切って行ってみました。

マロニエ君は未知のお店に入ってみるのがあまり好きじゃありません。
せっかくの食事でがっかりしたくないからです。
だから食べ物屋さんの開拓には非常に消極的なほうだと自分で思いますが、今回は挑戦的になりました。

結果は大成功でした。
カレーも美味しいし、とりわけ印象に残ったのはフワフワで厚みのあるナンでした。
量もたっぷりあり値段もリーズナブルでまた行こうと思います。お店の人は全員がインド人男性でした。
http://www.good-job-115.info/tama’s-room/f-milan/index.html
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2010年1月4日 (月) CDの年初め

べつに大したことではないけれど、新年に最初にかけるCDを何にするかは毎年ちょっとだけ悩むところです。
たかだかCDを鳴らすぐらいのことに、お正月だからという畏まった気持などはないけれど、でもやっぱりなんとなく意識してしまいます。

で、今年はドビュッシーの「海」でスタートしました。
これが自分なりになかなかの成功でした。

第一曲が夜明けからはじまるところにわざわざ拘ったわけではないですが、久しぶりに聴くこの壮大かつ繊細な名曲にあらためて感銘を受けましたし、同じCDに収められた「牧神の午後」も、正月早々から酔いしれました。

以降、すでに毎日のように聴き続けることになってしまっています。
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2010年1月2日 (土) 新年の合奏

マロニエ君の自宅で友人と合奏しました。
曲は以前から手をつけ始めていたシューベルトのアルペジョーネ・ソナタですが、へたくそ二人ですから大変です。全曲を通すだけでも30分以上かかるし、細部を詰めながらやり直しなどしていると2時間ぐらいあっという間にかかってしまいました。

アンサンブルは一人で弾く時とは違った難しさがあると同時に、なによりも音楽の原点を感じさせる楽しさがあり、ときどきこういう遊びをやってみるのもいいものだと思いました。

そのためには練習が必要な点が怠け者のマロニエ君にはつらいところですが。
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